こうして今日も正解の見えない空間に溺れる


今日は、ちょっぴりブルーなつれづれ日記です。

この記事を書いている人:
現職教員としてはたらく20代。教育改革や職場改革に奔走するも、心身不調により休職経験あり。教育についての自分の経験や科学的情報、心身安定に関する情報を発信しています。

正解のない問題が苦手だ。

もしくは複数解のある問題が苦手だ。

過去のことを言ってもしょうがないけれど、あえて原因を究明するならば、
答えのある問題に答えられることに自分の価値を起き続けてきたからなのだと思う。

なんのことはない。

学校生活で、私は、聞き分けがよく、テストの成績がよかった。
そのことに、自分の承認欲求を満たす活路を見出していたのだ。

先生や親の顔色を上手によんでいれば、居心地の良い空間で伸び伸びと暮らせたのだ。ただ、それだけだったのだ。

(その時の私👇)


社会人になって。

その生き方は、まるで、

酸素を求めて先の見えない深海を溺れながら進むようなものだと気づいた。

あの人の顔を見れば、こっちの顔色が悪くなる。
私の酸素はそこにあるんだ。正解はどこだ。

ある人にとっては、ある状況下においては正解だったものが、
少し場面が変わるだけで覆る。正解じゃなくなる。

また溺れながら、進む。


***

教員生活の中で、めっちゃうまくいかない!ってことがあると、
いつもこんな気分になります。

きっと、大なり小なり、そういう悩みを抱えた大人がいると思っているし、
今接している子どもたちにもそういう状況があるのかもしれない。

だから、私だけ・・・とか悲劇のヒロイン的な浸りをしてるわけではないのだけれど、時々そういう感情がある自分を味わう時間も必要なのではと気づいた。

今まではずっと蓋をし続けていたので、自己否定癖がついてしまったから。


味わって、それも自分なんやな、と納得して、そうすれば次に進めるような気がするのです。

🖋あとがき

ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊
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< 自己紹介 「7つの習慣と教師とわたし」>


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