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「すごいね」待ちの子どもに、どんな声をかけるか?

私は職業柄もあり、多くの子どもと顔を合わせます。
その中で、いつも気を遣うのが「すごいね」待ちのこどもの対応です。

例えば、大乱闘スマッシュブラザーズという格闘ゲームを好きな小学生が、

「この間、一番強いレベル相手に勝てたんだよ〜?(ドヤ顔で反応待ち)」

と話しかけてきました。
そこで私は「強い相手に勝てるようになったんだね!」と驚いてみせます。
するとその子は「え、すごいと思わない?すごいでしょ?」と不服そう。

私は、簡単に「すごい」と伝えることに、ある葛藤があって、ついつい何を伝えようか悩んでしまうのでした。

今日はそんな「ほめること」へのお話。

この記事を書いている人:
現職教員としてはたらく20代。教育改革や職場改革に奔走するも、心身不調により休職経験あり。教育についての自分の経験や科学的情報、心身安定に関する情報を発信しています。


成果をほめるか、過程をほめるか。

子どもを「ほめる」という場面になったときに抱える「ある葛藤」とは、

できた成果・結果についてほめるか、そこに行き着くまでの過程についてほめるかによって、子どもが持つマインドセットが変わる可能性がある

ということです。


もしその子どもが取り組んだ結果についてほめた場合、
その「良い結果」があったから「認められた」という経験をします。

すると、「良い結果」がなければ認められないという恐れから、
次に何か取り組むときに「失敗を恐れ、チャレンジが苦手」な子どもになる傾向があるというのです。

逆に、もしその子どもが取り組むまでの努力ややり方についてほめた場合、
「自分には力がないから…」など諦めるのではなく、
柔軟に色々な方法を試すことで成功できるかもしれないと取り組めるようになるというのです。

(参考にした本の一つ👇)


「すごいね」は、手間要らずで子どもを「コントロール」しやすいから使われがちという説

さて、そういう教育論(実際に実験データもあるようです)を知っていたために、しばしば冒頭のような悩みを抱えてしまいます。

本人は、結果への「すごいね」で承認慣れしている。
だけど、私は柔軟にチャレンジし、自己受容できる子どもを育てられたらいいと思っているので、おざなりに結果への「すごいね」を言いたくない。

ここに、子どもと私とのコミュニケーションギャップが生まれています。


さらに難しいのは、過程をほめるためには、少し手間がかかるのです。

具体的にどんな取り組みでできるようになったのか?
どんな工夫をしたのか?

こういう視点を持って、子どもの様子を注意深く観察したり、子供に質問しながらその過程を探っていく時間が必要なのですね。

だから、ついつい子どもに対して「すごいね」で済ましてしまいがち。

これらに、自分の葛藤が含まれているのです。

***

毎回気をつけると思うと難しいかもしれませんが、
自分が可能な限り声かけの内容を変えていきたいです。

皆さんはどう思われますか?


🖋あとがき

ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊
よかったら、ほかのエッセイや読書ノートも目を通してもらえたら嬉しいです!
< 自己紹介 「7つの習慣と教師とわたし」>


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