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担任の仕事とわたし

今日は、先生のお仕事について考えたことをぼんやりと書いていく、徒然日記です。

この記事を書いている人:
現職教員としてはたらく20代。教育改革や職場改革に奔走するも、心身不調により休職経験あり。教育についての自分の経験や科学的情報、心身安定に関する情報を発信しています。

担任は大変だったけど、大きな喜びにあふれていた

自分が高校生を卒業させるまで、3年間持ち上がりで担任をしました。数年前のことです。

毎日、すごく大変で、とにかく仕事に追われ続けていましたが、年齢が近いこともあってか生徒と一緒に学ぶスタンスで卒業まで見守ることができました。

卒業の日、クラスの生徒の1人に言われた言葉が忘れられません。

先生に出会えてよかった。先生と過ごすうちに、自分のことを認められるようになったから。

いまでも、そしてこれからも、大切な宝物のような言葉です。きっと死ぬ前の走馬灯には入っているシーンなのでしょうね。

ところ変わって中学の担任になった。何かが変わった。

その後、ところ変わって中学の担任となります。

そこでも心機一転、頑張ろうと張り切っていました。

高校のゴールの姿を見届けた自分としては、それが中学生を見る大きなヒントになるのではないかと思っていたからです。それは、半分あっていて、半分間違っていました。

確かに、6年後の方針を立てながら、その日その日の生徒に臨むことはできたのです。

できたのですが、

あまりにもその姿とは離れた別の生き物に、私は適応しきれませんでした。

まず、自分のことをまだ自分で全てできない。

教員であれば当たり前にわかってるさ、と思っていたのに、いざその様子を目の前にした時、自分はどうしていいのか分からない自分がいることに気がつきました。

学校のルールを守らせなきゃ。

校則は?言葉遣いは?生活態度は?

友達とこじれた人間関係は?

保護者から来る心配の声は?

子どもの気持ち、親の気持ち、周りの先生の目は?

あれ、わたしの気持ちは、どこにいるんだろう?


私は、誰かのために生きる子どもを育てたいわけじゃなかった。

休職して、ようやく本当の気持ちに気づきました。

私はいろんな立場の人の間に立った時、いろんな立場全て叶えなきゃいけないのだと本気で信じていたようです。

担任の激務の中で、完全に自分を見失っていました。

担任の仕事は、本当にいろんな立場の関係にはさまれるものです。

子どもと担任、子ども同士と担任、保護者と担任、保護者と子どもと担任、学年の担当者たちと担任‥。

そのなかで葛藤しながら、自分は何を大切にしたいのか、子どもとどう向き合うのか、何をゴールに教員をするのかを考え続ける。

不器用なわたしにはちょっと難しかったです。

ちなみに担任のネガキャンとかじゃないです!

ここまで書いたのを読み返してみると、なんだか担任の辛い面が際立ってしまっていますが、これはあくまでも当時のわたしの心の中でしかありません。

これから担任になるのを楽しみにしている人へ、すでに毎日楽しく過ごしている先生は大勢います。

ただ、自分は、担任という立場で、やりたいことをするのが難しいタイプだったのかもしれないな、と感じているだけなのです。


これから、わたしどうしたいのだろうか‥。


いろんなチャンネルから刺激をもらいつつ、ゆっくりと考えていきます。


🖋あとがき

ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊

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