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乾いた音色は注ぐに継ぐ

 ここまで揃いの良い親戚を持つというのは、十代の思春期を迎えた当時の私にとって、不幸以外の何物でもない様に思えた。

 GWや夏休み、本来であれば友人や彼女との淡い思い出を作るべく、右に左にと奔走していただろう、かけがえのない時間。携帯のメール受信音を認めれば、嫌でも浮き足立つ我が心。だが喜びを噛み締める暇もなく、私を失望の淵に突き落とすのは、決まって母の一言だった。

「GW(お盆)の三日間、岡山で何食べたいか考えといてちょうだいね」

「えっ、俺は予定あるから行けへんで.....」

「優ちゃんなんて、東京から来るのよ? 私達が行かない訳にはいかないでしょう」

と、まぁこんな具合に。

 母の故郷である岡山では、自らの娘(叔母と母)が家を出た後、溜め込んだ貯金を大いに利用したリフォームが行われた。生家の変貌した姿に、何度帰省をしても興奮冷めやまぬ母。
連休毎に娘が孫を連れて戻ってくるのだから、祖父と祖母にしてみれば実のある投資だったに違いない。

岡山に残った、通称岡山組
・祖父、祖母 (2名)

東京へ出た、通称東京組 
※叔父の財力から、玉の輿組とも呼ばれた。
・叔母、叔父、従姉妹の優ちゃん (3名)

兵庫へ出た、通称神戸組
・母、父、妹、私 (4名)

以上が、岡山に集いし精鋭9名である。
我々が車で1時間半ほどの道のりを行くのに対して、東京組は新幹線での移動で、倍以上の時間を要する。そう考えれば、同じく思春期真っ只中である従姉妹が来て、私が行かないという選択は、確かに許されない行為かもしれない。


 岡山の東端に位置する街。国道2号線を少し逸れたところに、祖父宅はあった。国道付近とはいえ、周囲は田園と河川に囲まれた殺風景な場所であったし、十代の子供が目を惹く物というのは一つもなかった。
 そして、毎日決まった時間に出てくる夕食。瓶ビール、麦茶、オレンジジュース。山芋や大根の煮物にジュース類が合うとも思えず、我々子供連中は皆こぞって麦茶を取り合ったものだったが、その後も幾度となく登場するオレンジジュースは、祖母の思いやりなのか、それとも執念だったのか。今となっては分からない。

 グラスが9つ集まったところで、祖父が感謝の言葉を述べる。大概の場合、このタイミングで皆にお小遣いが配られた。
自らの娘夫婦には1万円。孫達には3千円ずつ。だが、その小遣いは基本的に親預かりとなり、行方が分からなくなるのが常である。
そして、満を持して響く、グラスのぶつかる乾いた音色......。その9つの音色は、親戚一同の絆を上手く表していたように思う。

家族団欒を温かい目で見守る祖父や祖母。

親孝行とリフォームへの興味の狭間に立った、気の合う姉妹。母と叔母。

僅かな気まずさを酒で紛らわす、父と叔父。

そして、遙か彼方にて集う友人達を想像して、ため息を吐く子供が3人。

皆その胸中に違いこそあったはずだが、それでも我々は顔を合わせて、笑い合ったのだ。


 時の流れに合わせて、乾杯の音色が向かう事柄というのも刻々と変化した。
高校受験合格に向けられたモノ。
大学受験合格に向けられたモノ。
就職に向けられたモノ。
 小遣いを貰う側であった我々は、ある時期を境にプレゼントを送る側となった。
祖父には寝具セット、祖母には各地の日本酒など、(祖母は、我が家系にも類を見ない酒豪であった)バイトや新人社員の給料などたかが知れている為に、あまり金のかかる物は渡せなかった。それでも、涙を流しながら喜んでいたあの表情ときたら──
 こちらが苦手だと知っているにも関わらず、ビールを注いでくれた祖母。
「あんたら、もうジュースは卒業じゃな」
そう言って、オレンジジュースからの呪縛から解き放たれた私は、9つのグラスに入った薄黄色の波にいたく満足していた。

 叔父が庭に立ち、縁側に座る我々の写真を撮っていた。祖母は日本酒を掲げ、祖父は枕を抱きしめて、皆で身を寄せ合った。
 その内の一枚、はにかんだ笑いが象徴する、照れ屋な祖父の姿が、よく映し出されていた、夏の夕暮れ時の写真。
 彼の遺影を選ぶ際、私はこの表情を推した。
仏壇に立てかけられた祖父の笑みを見る度に、あの乾いた音が蘇ってくるのは何故だ。皆が集まった折、奏でる音が物足りないのは何故だ。それでも、写真の中の祖父が笑うのは何故だ。


 去年の暮れ、従姉妹が旦那を連れて岡山に帰って来た。東京生まれ、東京育ちの男は、岡山にて生活をする事になるとは思いもしなかっただろうに、私の親戚にはどうも強い女性が多いらしい。
 従姉妹は子を孕んでいて、今秋の出産の準備で色々と大変そうである。状況が状況な為に、似た様な境遇の夫婦が集まるコミュニティなどにも参加して、日々悩みや不安を話し合っているのだという。

 祖母は、あれだけ好きだった酒を控えて、新しく見つけた趣味である野球観戦に没頭しているとの事だった。
いちいちメールを送ってきては、
「相変わらず、菅野は頼りがいがありますね」
「若手で良い選手はいますか」
などと、意見を求めてくる。
私に巨人の話をされても、困るのだ。
父と母、叔母と叔父は相変わらずで、悠々自適な生活を送っており、私は東京にて乾杯の相手が居ないままに、今日も缶ビールのプルトップを引いている。

 いつしか岡山にて響かなくなってしまった、9つのグラスが奏でる乾いた音色。GWこそは、お盆こそは、と言いながら、なかなか合わさる事のない音色。もうじき帰る祖父は、残念に思うだろうが、少しの間辛抱して貰う他ない。
 次に乾杯の音頭を取るのは祖母で、私は従姉妹の子に何をプレゼントしたら良いのだろう。去る者、残る者、後に乾杯の役割を引継ぐ者。そしてその思考は確かに我々の深い絆を、自らの心に鮮明にして映し出すのである。
再び皆が集うその日を想い、たった一人の響く事なき乾杯の音色。

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