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夏至の日

暑く、長い一日だった。
背中にかいた汗が、筋沿いに流れるのを認めた幼い頃の私は、それでも必死になりながら、黒く染みが出来た深緑のシャツを大いに揺らして坂を駆け下りて行った。
軽い足取りではない。決して上手くステップを踏んでいる訳でもなかった。背後から忍び寄る何かが、脚に絡み付く恐怖。がむしゃらにでも進まねば、私はそれに魅入られていただろう。


 四丁目の駄菓子屋と言えば、小学生の間では有名な溜まり場である。それは時に七不思議の舞台となり、陽が沈んだ後は心霊スポットとして、我々の話題に欠かせぬ重要な場所だった。
高台の入り組んだ住宅地に、隠れる様にして建つそれは、校区内でも限られた生徒しか知らぬという、まるで秘め事にでも手を染めているかの感覚を周囲の子供達に与えた。
実際のところ、店主の婆さんは当たりが良く、この街に越して来たのは関東大震災の翌年、つまり私の記憶が正しければ、当時で五十年以上もの生き字引であった訳だから、その駄菓子屋に我々が集まる事に関して、親からとやかく言われる事は一度たりともなかった。

 昭和六十年、目前に猛暑を控えた夏至の日。
いつもの通り昼飯を掻き込んで、机に置かれた百円玉を母に気付かれない様手に取った私は、夏休みの宿題も気に掛からぬまま、目前の坂道を登っていた。
道中の廃墟から伸びる竹林が、ふいに頭上を覆ったかと思えば、隙間を縫った陽の光が、地面をまだら模様に照らす。数年前までは老夫婦の影が見え隠れしていたこの屋敷も、私が高学年に上がる頃を境に、妙な匂いを垂れ流し始め、次第に竹林に飲み込まれる様な形で視界から消えてしまった。
当時もなお、家屋が存在したかは分からない。少なくとも、それを確認しようと敷地内に乗り込む者は、我々の間には一人もいなかった。
好奇心は冒険を生まず、誇張として噂が立つ。
七不思議とはその様にして広まるのだろう。

 駄菓子屋には、既に友人達が集まっていた。
一人がホームランバーを冷凍庫から取り出すのを認め、続け様にそれを手に取る。何気無しに奥間にいる婆さんへ金を渡しに行こうとすると何かに気付いた友人が私を呼び止めた。
「それ、俺のと交換してくれへん?」
「同じアイスやで」
「......ほら、折り目逆になってるやろ」
確かに、私が持つホームランバーは、包み紙の端の折り目が逆になっていた。
彼曰く、それは当たり棒の印の様な物で、製造メーカーが出荷前、当たりとハズレを把握する為に加えられる一手間だと言う。
今となってはとんだホラだが、当時の私には、説得力のある、疑い様の無い話に思えた。

「やだよ、僕もう一本食べたい」
「お願い!今日、五十円しかないねん」

四十円のアイスを買ってしまうと残金は十円、夕食までひもじい思いをするだろう。彼と比べて多少金に余裕があった私は、しぶしぶ当たりだと思われるアイスを彼と交換した。
金を支払う際、折り目の件を婆さんに聞くと、
「そんな話知らんわ。勘違いやろ」
と笑って、私の掌に六十両のお釣りを置いた。
友人の元へ行こうとした振り向き様に、
「コレあげるさかい、皆で食べ」と、私の手に酢イカと花カステラの串が一杯入った、駄菓子箱を持たせてくれた。それらを抱き抱える様な姿勢となり、御礼を叫びながら出口へ走ると、背後から気をつけや、と言う婆さんの大声が、何故か寂しく私の耳を打った。

 駄菓子屋から徒歩五分ほどの場所に、仲間の誰かが住む団地がある。その広場で集まる皆の姿を認めた頃には、アイスは溶けてベトベトになり、下から舐める様に食べる他なかった。
近所で飼われている犬の、似た格好で水を飲んでいる姿が脳裏に浮かんだ。
友人は遅いよ、と一斉に非難を浴びせたが、抱いた駄菓子箱を見た途端、態度を一変させる。
皆取り合う様にして箱を回すと、思い思いに好きな串を口に頬張った。首に巻いたタオルで額や脇の汗を拭いてしまうと、水道の蛇口を指で上手く押さえて水を飛ばす者、その水を頭から被る者に別れて遊んでいた。

「俺のハズレだった。折り目逆なのになぁ」
アイスを交換した友人が、横でそう呟いた。
自分のはどうかと、粘り気ある包み紙から白く汚れた棒を引いてみると、そこには『当たり』の文字が––
私は大袈裟に喜んで見せたが、彼の怒りを買うのも面倒だと思い、結局素直に当たり棒を手渡そうとした。しかし友人は面白く無かったのか要らへんとだけ呟き、水道にて遊ぶ皆の元へ行ってしまった。私は一人寂しく、駄菓子屋までの道を引き返す。

 午後二時を回り、気温は更に上がっていた。頭を直接照らす太陽に腹が立ち、何度引き返そうとしたか分からない。だがその考えを遮ったのは、意地になる友人の表情であり、歩みを止める事を良しとしない、私自身の意地である。
駄菓子屋の格子戸は開いた状態のままだった。
店内の扇風機の風が、私の身体を温く冷やす。
暫くその場でジッとしていると、奥間に寝転がる婆さんの姿が見えた。無用心だなぁと呆れた私は、彼女を起こす為に近寄ろうとするも、

––違和感。

何かしらの違和感が、身体中を駆け巡り、私の脚は動かなくなった。確かに、目の前に横たわる姿形は婆さんに間違いなかった。正しくは、以前婆さんであった物か。
感覚に思考が追い付いたその瞬間、私の脚は走り出していた。友人の事、当たり棒の事、そんなモノは思考から弾き飛ばされた。急ぎ自分の家に戻り、母に伝えなければならない!

 呼吸も満足に出来ない、暑い空気を掻き分けながら坂道を下る身体は、自らの意思とは関係のないまま動き続けていた。止まってしまえば背後より忍び寄る何者かに肩を掴まれそうな、脚を掬われそうな、そんな恐怖が歩幅を狂わせ私は何度も何度もアスファルトに転がった。
家に着いた際、母は私が盗んだ百円の事を問い正そうと、待ち構えていた。しかし手足は傷にまみれ、酸素不足でまともに言葉すら発せないこの哀れな姿に、母は目を丸くした。
助かった......。身体中が安堵に包まれる感覚を私はその時初めて知ったのだ。恐怖を抱かせた違和感は、婆さんの様子を伝える使命を凌駕して、ただひたすらに自らの脚を動かした。
いつもの光景に孕む『死』という概念は、幼い私にとっての違和感であり、恐怖と成り得た。


 数年が経過した後、街全体における道路拡張計画の為、駄菓子屋も、廃墟も、全ては過去の物として姿を消した。皆で一緒になって遊んでいた集合団地も、今は立派な高層マンションに生まれ変わっている。
婆さんが、その後どうなったか。当時の大人は誰も教えてくれなかった。身寄りは無い筈なので、一人寂しく火葬となったか、町内会の意向で誰かが集まったのかは、定かではない。
この季節、この街に帰省すれば、今でも当時の空気を感じると共に、記憶にこびり付いたあの強烈な違和感が蘇って来る。
汗やアスファルトが溶ける匂い、立ち昇る陽炎の揺らめきの中に、その夏の死は存在する。

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