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収穫祭は遠くとも

 例えば、この秋の冷気が身体に触れたとき、ふいに自らの郷を想ってしまう我が心を、一体だれが責めるというのだろう。窓越しに見えるのはいつしかの紅葉でも、隣に住む幼馴染みの姿でも、畑を耕す叔父の背中でもない。ただ、無機質な建屋が息をせず群れる都市にあって、人混みの中で無数に吐かれた溜息が象徴する、深淵の街「東京」。天候が安定しないのは、皆がやるせない呼吸をするからだ、という叔母のよく分からない冗談を以て、確かに東京の空は蒼さが不足しているような気がした。


我が盛り
またをちめやもほとほとに
奈良の京を見ずかなりなむ

飛鳥時代、太宰府に帥として赴任した大伴旅人が詠む望郷の想い。だんだんと歳行く肉体を嘆き、もう奈良の都を見ることもないのだろう、という哀愁漂う歌である。
どれほどの発展と進歩が、我々人類にあったのだろう。千三百年の時を経ても、人の根本というのは変わらぬものらしい。


 仕事終わり。夜道を一人歩いていると、なにやら親子連れの姿が目立つ。住宅の隙間を縫うようにして建てられた小柄な神社より、周囲を橙色に照らす提灯の連なり、後片付けの途中に寂しく放置された屋台の骨組みが見えた。傍に立て掛けられたプレートには「町内会秋祭り」の文字。祭りのあとの静けさは、妙に切ない。

 私の郷にも、収穫祭という名の催しがある。近隣の農家が集まって、広場で舞を披露する。少年の頃は、屋台も出ないその祭りを退屈に感じていたものだが、そんな毎年続く様式美の中にも、幼心に根付く人々の祈りが垣間見えた。
東京の曇り空の下、彼らの舞が無性に恋しくなって、寂しさ漂う都会を歩く帰り道。収穫祭は遠くとも、男が泣き言を言っても仕方がない。秋の歩幅はやけに大きく、それでいて我が背中は、わりと小さく纏まっている。


望郷の歌を詠んだ大伴旅人は、後に奈良の都へと帰郷することとなる。病にて没す、一年前のことだった。

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