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巣ごもりと懐メロ

外出の自粛にすっかり体が慣れた今日この頃。
毎日YouTubeを観てても、流石にYouTubeという赤いアイコンのアイツ自体に飽きてきて、観るものはあれど少し億劫になる。

そうすると目に入るのは、すっかり机の上でインテリアに様変わりしていたCDだ。文字通り少し埃を被っていた…申し訳ない気持ちになった。「せめてもの償いとして…」という言い訳で作業を放棄して、おもむろに聞き出していた。なんならお気にいりはパソコンに取り込んでスマホに入れ直した。
忘れかけていた歌詞カードの紙の感触や、特典のブロマイド…買った当時のワクワク感を思い出してたまらない。今すぐにでもアニメイトに行きたい。

しかしながら、それと同時にチラつくのは買った当時の「記憶」である。厨二病真っ盛りだった黒歴史、恋愛、卒業…。選り取りみどりだった。正気を保つのが至難の業だった、というか発狂しかけた。
「この曲、あの人好きだったなぁ」
「話を合わせたくて買ったんだっけか」
「なんで買ったんだ」
「うーーーわっっっ(絶句)」
などなど…。

こんな風に、懐メロは爆弾さながら脳内に何かをぶちかましてくる。ぐらっぐらである。Twitterとかで共有してみんなを道ずれにしたかったが、マイナーな曲故にただ喚く人になってしまうと思って出来なかった。

「人生に寄り添う懐メロ」。言い方を変えれば「怨霊のように一生付きまとう懐メロ」が1人1曲はあるんじゃないかなぁと思う。共有してみたいけど、他人に見せなくないなぁという、なんともセンシティブなものでもある。

私は音楽は好きだがあんまり人の前でそれを言わない。いっぱいありすぎるから。何度も音楽に助けられた。幼い頃から今に至るまで、絵を書いたり劇をみたりする私の想像力に翼を与えてくれたのは、劇伴やアニソン、ゲームの音楽だし、音楽が無ければ私はきっと生きていない。内心では人の心を1番動かすのは音楽だ、と思っている。懐メロは、自分の世界観のベースともいいかえることが出来るなぁと思った。
「懐かしい」という感覚がどんどんわかり始めてきた今、こうやって改めて自分の原点に触れるというのは大事なのかもしれないと思った。

余談だけど、CDはやはり現物派だなぁ〜と思った。「モノ」の良さみたいなものを改めて感じる。パッケージのこだわり具合や工夫に、アーティストの個性が現れるから本当に面白い。もはやアルバムの「ゼロ曲目」ともいえる位置にパッケージがある。
そんなすごいものたちを閉じ込めてある箱。
こう考えるとやっぱり現物いいなぁ〜!!!って気持ちになる。宝箱か、パンドラの箱かはその人次第だ。
みんなの知っている曲なら、CDが出てきただけで「懐かしい〜!!!!!」と少し場が沸く。(この前やったオンライン飲み会で実証済)

カセットからMD、CDになり今は形を伴わずとも聴ける時代だ。それぞれに良さがあり、無駄だったものなどひとつもないと思う。もはや音楽に限らず、メディア全体がそんなふうになっている。
ストリーミング配信が定番となった今、本当に色んな曲をすぐ聞けるようになった。めっちゃ楽。でもなんだか余計に現物に触れたくなる。
それぞれの良さは残しつつ、新しいものが発展していけばいいなぁと思う。

現物を買うにはかなりお金がかかる。だから私はコストがあまりかからない理由でストリーミングは素晴らしいとおもってる。だけど、一周まわって原点回帰。お金を出すにはそれ相応の価値があったし、自分で買ったCDは、こんなにも愛着と思い出が詰まるものなのだな、という気づきを得た。

コロナが落ち着いたら、CDを買いに行こう。

なんだかいい感じに書けたが、私は引っ張り出したCDの後片付けから逃げたくてこの記事を書いている。しっかり拭いて戻そう。そしてまた引っ張りだそう。


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