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今、学校教育が直面している危機

~ 教職の魅力と教師の「生きがい」を取り戻すために ~

 ここでは、子どもたちの生活実態と、学校が直面している危機的状況について明らかにする。そしてこれから学校教育の最前線に立って活躍する教員志望の学生たちに、学校現場の実態について情報提供を行うとともに、教職の魅力と教師の生きがいについて伝えたい。

1.学校教育の現状と課題

(1)子どもたちの現状と課題

 ① 深刻化する活字離れ、読書離れ、スマホの使用時間増加に伴う成績の不振 
 
 今高校生以下の子どもたちは、生まれた時から家庭にタブレットやスマホがあった最初の世代である。当然物心ついた時から、それらのデバイスに触れてきている。現在では、早い子は小学生になると自分専用のスマホを親から与えられており、放課後の時間は、ほぼスマホを見つめて過ごすことが常態化している。

 彼らの様子を観察していると、学校から貸与されたタブレットや個人のスマホで、YouTubeかTikTok動画を見続けている。

 動画漬けの生活が、子どもたちに及ぼす悪影響については、近年様々な研究者が指摘しているが、東北大学加齢医学研究所が仙台市と協力して、2010年から市内の児童生徒7万人を対象に行っている大規模調査では、スマホをはじめとするタブレットやゲーム機、音楽プレーヤーといったデジタルデバイスを、1時間以上使っている子どもほど学力が低いという結果が出ている。

 さらにスマホを毎日3時間以上使用している子どもたちは、例外なしに成績が平均(偏差値50)以下という衝撃的なデータも出ている。(Fig.1~Fig.5)

Fig1
Fig2
Fig3
Fig4
Fig5

 次に、内閣府が発表した「令和4年度青少年のインターネット利用環境実態調査」によれば、平日1日当たりのインターネットの平均使用時間は、小学生(10歳以上)が3時間34分、中学生が4時間37分、高校生が5時間45分である。(Fig.6)

Fig6

 これらのデータを合わせて考えてみると、今の高校生以下の子どもたちの学力が、スマホの使用によって大きく損なわれている実態が見えてくる。

 また動画視聴の時間が増えるに従って、子どもたちの「活字離れ」「読書離れ」が進んでいる。学研総合教育研究所が行った抽出による全国の小学生1,200名の解答データを見ると、読書量は全学年で30年前に比べて激減していて、平均では25%に減っている。(Fig.7)

Fig7

 私は中学校の現場にいたのだが、2,010年頃から、数学で習熟度別授業を取り入れてきた。そのため、新一年生には、小学校での学習内容についての復習テストを行い、その結果をもとに、習熟度別授業のクラス分けをしてきた。

 しかし毎年平均以下の層が増えてきて、明らかに得点分布が二コブになる。なぜだろうと疑問に思い、子どもたちが問題に向かっている様子を観察すると、平均以下の層の子ども達は、計算問題には取り組めるが、文章題には最初から取り組もうとしない。当然文章題は全滅である。

 そこで試験が終わって、問題文を読みながら解説をすると、「なんだ、それならわかったのに」という生徒が多い。つまり彼らは算数ができないのではなく「問題文が読めていない」のである。難解な論説文ではなく、普通の問題文が読めない。おそらく漢字も読めていない。このように近年、圧倒的に読解力が身につかないまま中学生になってしまう生徒が増加している、という実態がある。

 ② 不登校児童生徒の増加

 こちらもマスコミで取り上げられることも増えて、認知度が上がってきているが、文科省の学校基本調査の結果を見れば、令和に入り不登校児童生徒の増加傾向が加速し、令和4年度は、小中学校併せて30万人もの子どもたちが不登校状態となっている。(Fig.8)

Fig8

 このデータに対し文科省は、「コロナの影響で、家庭で過ごさざるを得ない状況があったので、一時的な傾向だ」としているが、現場で日々子どもたちと接してきた私たちはそうは思わない。子どもたちは今の義務教育制度に対し、「NO!」を突き付けているように感じている。

 今の義務教育は、「同じ年に生まれた子どもを」「同じ場所に集めて」「同じ教科書を使って」「同じ進度で一斉に」授業を行うことを前提として、制度設計されている。

 そのため子どもたちが、自由に個性や特性を発揮できる場面は非常に限られている。とにかく学校生活の多くの場面で「みんな一緒に」という「同調圧力」が非常に強い。

 そんな制度になじめず「もっと好きなことに打ち込みたい」子どもたちや「授業のペースについていけない」子どもたち、あるいは「自分に合ったペースで学習したい」子どもたちが学校に見切りをつけて、「こんな窮屈な学校なんか行くものか!」という強い意思が現れた結果なのではないか、と考えている。

(2)教員の現状と課題

 ① いわゆる「冠教育」の膨張

 私が教員になった昭和の時代は、学校は教科教育を行う場であった。即ち教科の指導を通して子ども達に勉強を教える場所であった。しかしその後時代が平成・令和と進む間に、教科以外に「学校が指導すべき内容」として膨大な、いわゆる冠教育(○○教育)が追加された。

 文科省のホームページに載っているものだけを取り上げても、・外国語教育・道徳教育・環境教育・放射線教育・メディア教育・人権教育・キャリア教育・教育の情報化・国際バカロレアの趣旨を踏まえた教育、が挙げられる。
 
 それ以外にも、思いつくままに記してみると、・情報教育・ICT教育・著作権教育・ネットリテラシー教育・ネットモラル教育・プログラミング教育・特別支援教育・ユニバーサルデザイン教育・インクルーシブ教育・主権者教育・平和教育・性教育・LGBT教育・オリンピック、パラリンピック教育・金融教育・消費者教育・税教育・起業家教育・安全教育・交通安全教育・自然体験教育・福祉教育・規範意識教育・心の教育・命の教育・国際理解教育・ボランティア教育・多文化共生教育・食育・健康教育・防災教育・がん教育・薬物乱用防止教育・SDG's教育・NIE(新聞を取り入れた教育)等枚挙に暇がない。

 これらの中には教科指導の一環で行うことができるものも含まれているが、教科以外の特別活動の時間で展開しなければ収まらないものも多い。イベント的な取り組みが増え続けているため、それに比例して教員の負担が増え続けているのである。
     
 冷静に考えてみてほしい。果たしてこれらのてんこ盛りの「冠教育」を行うことが本当に可能なのか。文科省は「この教育は子どもにとって有益だから学校で指導するように」と自治体に通達し、自治体はそれぞれの教育委員会に「通達通りに実施せよ」と指示を出す。そして教育委員会は各校長に「学校の実態に即して柔軟に対応せよ」と丸投げする。最後はいつも現場丸投げである。
     
 文科省は、過去のゆとり教育に対する評価もないままに、その反動で膨れ上がった学習指導要領を確実に実施しろ、と厳重な縛りをかけていて、どの校長も、余剰時数などほとんどない状態で教育課程を編成している。そこに追い打ちをかけるように、てんこ盛りの冠教育の上乗せである。

 そもそも上乗せできる余剰時数など無いのだから、実施できるわけがないのだが、教員たちが無理に無理を重ねて、何とか特別活動の中に押し込んで、冠教育をこなしているのが実態である。しかもこれらの冠教育を実施した結果についての評価や考察は全くされていない。いわゆる「やりっぱなし」である。

 「授業以外にやるべきことが多すぎて、教材研究する時間も取れない、子どもと向き合う時間も取れない」という教員たちの悲鳴の原因はここにある。

② 教員の健康被害の増加

まずは、病気休職に追い込まれている教員数の推移についてのデータを示す。(Fig.9)

Fig9

 文科省が公表している公立学校教職員の人事行政状況調査によれば、精神疾患による休職者数は、過去10年間ほぼ5,000人で高止まりしていたが、令和3年度からは増加が加速していて、令和4年度は6,539人と初めて6,000人を超えた。その内特に20代30代が3,155人で約半数を占めている。

 また休職者以外にも、精神疾患で有給休暇を使って1か月以上休んでいる教員が全体で5,653人いて、休職中の教員と合わせると12,192人にも達している。(休んではいないが、精神に不調をきたしている休職予備軍の教員はさらに多いと推測される)

 原因については諸説あるが、上記冠教育の膨張だけを見ても、教員を取り巻く現状がいかに過酷なものかお判りいただけると思う。

 実は教員を疲弊させている要因は他にもたくさんある。近年、教員採用選考における受験倍率の低下がきっかけとなり、様々な報道がされているが、・長時間労働・休日出勤の多さ・困難な保護者対応のストレス・指導が困難な子どもたちへの対応等、勤務時間で割り切ることができない仕事が多いことが要因と考えられている。

 これらの要因は今に始まったことではなく、私たちの時代にももちろんあった。しかし私たちの時代は、放課後や空き時間に、それらの子どもたちや保護者への対応について、同僚と話し合ったり、上司と解決策を考えたりする時間的・心理的余裕があったのだが、今の教員たちは、皆パンパンに膨れ上がった職務を抱えていて、自分の仕事や自分のクラスへの対応が精いっぱいで、同僚や新規採用教員の悩みにまで付き合う余裕など皆無なのである。

 管理職である副校長や校長も、教育委員会から降ってくる大量の調査への報告や、保護者からのクレームへの対応、休職者の補教等に忙殺されていて、一人ひとりの教員の悩みに寄り添い、一緒に解決策を探る時間的・精神的余裕は無い。今の学校現場は、教員たちが皆がけっぷちで、やっとの思いで日々の業務をこなしているのである。

2.教員養成の現状と課題

(1)新規採用教員が感じる不安

 ① メンターの不在

 大学の教職課程で学び、教育実習を経験してきたとはいえ、新規採用教員は「まだ何もできない」状態で現場に配属される。

 民間企業では新入社員の人材育成や定着率の向上のために、メンターと呼ばれる相談者を配置することが一般的だが、学校現場にメンター制度はない。初任者であっても「先生」としてベテランと同列に扱われ、授業や生徒指導に当たらなければならない。自分が初任だった頃を振り返っても、いきなり一人前として結果を求められるストレスはかなり高かった。

 中学校や高等学校では、同じ教科の先輩教員から、教科指導に関する指導助言を受けたいところであるが、先輩教員たちも多忙を極めており、後輩を指導する余裕がなくなってきているのも事実である。

 さらにもし新規採用教員が担任を任されれば、日々の学級経営や生徒指導、また保護者対応等、大学では教わらない職務に対し、手探りで対応していかなければならない。同僚や先輩教員の支援が得られれば、困難な状況でも頑張ろうと思えるのだが、支援が得られず、孤立無援の中でもがいている新規採用教員も多いのである。

② 保護者の意識の変容

 昭和の時代の保護者にとっては、担任がたとえ新卒の教員であっても、「教師は親に代わって大切なこと(勉強や社会のルール)を教えてくれる大切な存在」だったので、まだ教師は「尊敬」の対象であり、「敬意」を払うべき存在であった。

 しかし、平成に入り学校(特に小中学校)は行政サービスの一環と考えている保護者が増えてきた。そんな保護者達は、学校を教育というサービスを提供する「店」だと考えている。

 彼らは、自分はお金(税金)を払う側=客なのだから、当然学校=店に要求する権利があり、学校=店は、自分の要求に応える義務があると信じている。店なのだから、教員=従業員はちゃんとできて当たり前であり、要求は受け入れられて当然、と考えている。そんな意識の保護者は、教員に対し常に上から目線で、クレームの材料を探している。「自分の要求は正当だ。非は学校や教員にある」というのが彼らの共通した言い分である。

 そして少しでも教員に落ち度があると感じたら、即座に担任や管理職にクレームを突き付け、悪意のあるメッセージをSNSで拡散させるのである。また、学校を飛び越えて、いきなり教育委員会にクレームを入れる保護者も増えている。

 ベテランの教員でも、そんな保護者達と対峙するのは精神的にかなりしんどい。保護者からのクレームに耐えきれずに、退職に追い込まれる若手教員もいる。

(2)教職の魅力と生きがい

① 教職の魅力

 私は中学校と義務教育学校(小中一貫校)で33年間教員として勤務してきたが、何と言っても教職の魅力は、子どもたちの成長する姿を間近で見ることができることである。子どもたちの成長は早い。そして新しい知識や経験をどんどん吸収して伸びていく。このダイナミズムを最も身近で実感できるのが教師である。そして生徒の成長とともに、自分も成長できるのである。

 また、常に若い子どもたちを相手にしているので、新鮮な気持ちで職務に打ち込むことができる。彼らから若さのエネルギーをもらっているので、精神的に老け込むことがない。子どもたちの笑顔や「やり切った」時に見せる満足した表情は、教師である私たちにとって最高のご褒美なのである。

 もう一つ、教職は生徒たちの記憶に残る職業なので、卒業生とのご縁は一生続く。SNSのいいところはネットワークでの交流が簡単にできることである。今でも30代40代の卒業生から、同窓会のお誘いが良く来る。ありがたいと感じる。このように、生涯を通して自分より若い人たちと交流を保つことができることは、教職の大きな魅力なのである。

② 生きがい

 生きがいを何に求めるかは、個人の自由であるが、これから社会に巣立っていく大学生の皆さんには、ぜひ職業を通しての生きがいというものを真剣に考えてほしい。ここでは生きがいを考えるうえで、参考になりそうな概念を紹介しておく。

 実は今日「生きがい」は「Ikigai」として広く世界中で通用する。そもそも「Ikigai」という言葉が世界に広く知られるようになったきっかけは、スペイン人のFrancesc Miralles(フランセスク・ミラージェス)氏とHéctor Garcia(エクトル・ガルシア)氏(2004年より日本在住)が共著し、2016年春に出版された「ikigai」という本の影響である。

 簡単に説明すると、「あなたが好きなこと」「社会が必要としていること」「報酬を得られること」「あなたが得意なこと」が重なり合った中心に「生きがい」があると説いている。この図は書籍の中にも描かれているが、このコンセプトが世界の人々を強く魅了した。(Fig.10)

ベン図の重なっているところは、以下のように考える。
・自分がお金をもらえることと得意なことは専門職(Profession)
・自分がお金をもらえることと社会が必要とすることは天職(Vocation)
・自分が大好きなことと世の中が必要とすることは使命(Mission)
・自分が得意なことと大好きなことは情熱(Passion)。
そして、4つの円がすべて重なっている所が自分の生きがいとなる。

Fig10

 この概念を私自身に当てはめて振り返ってみると、教師の使命は「生徒の人格形成」なので、これはいつの時代でも社会から必要とされる役割である。
(使命・天職)

 次に私は子どもたちが日々成長していく姿を見つめて、支援していくことが大好きだったので、教師の職務に専念することは全く苦にならなかった。
(使命・情熱)

 また、教師を続けたことで、指導技術も徐々に向上した。(情熱・専門職)

 そして、教諭から主幹教諭へ昇任し、その後副校長・校長へと昇任したことで、職責も大きくなったが、その分仕事の裁量範囲や収入も増えていった。(天職・専門職)

 結果として33年間の私の教師人生は、生きがいのレベルを決める4つの要素である【使命、情熱、天職、専門職】が非常に高い次元でバランスした状態だったことに気が付く。お蔭様で私は今「とても幸せな教師人生を送ることができた」と実感している。

 もちろん教師以外にも、高い次元の「生きがい」を得られる職業はある。職業選択について真剣に考えている大学生の皆さんは、ぜひこの 【Ikigai】チャートを自分に当てはめて、生きがいの 4条件 【好きなこと、得意なこと、社会が必要とすること、収入が得られること】が高い次元で調和し、自分のやりたいことが実現可能な職業を選択してくれることを願っている。

(3)教員採用選考、教員研修の課題

① 職業人生43年時代へのシフトチェンジ

 2022年度までは60歳であった会社員や公務員、教員の定年は、今後2年ごとに1歳ずつ引き上げられていく。今はちょうどその過渡期である。そして2032年度には全員が65歳定年となる。22歳で大学を卒業して社会人になる若者は、これから43年間続く職業人としての人生をデザインしていかなければならない。

 43年間は長い。しかも人生100年時代と言われる昨今、リタイアした後にも30年程度のライフプランが必要なのである。

 平均寿命が70歳位の時代に合わせて制度設計された定年、そして年金受給生活というモデルは、今の若者には全くマッチしない。昭和や平成の前半くらいまでは終身雇用制が前提であったが、現在では企業も利益をもたらさない社員を抱える余裕はないので、成果主義を積極的に取り入れている。転職も普通(必然)だ。

 インターネットの発達やAIの進化が加速する時代、消えていく職業は増え続けるだろうし、逆に新しい職業も生まれてくるだろう。変化の激しい時代をたくましく生き抜いていくためには、常に時代に合わせて自分自身をアップデートしていくことが求められる。

 この点については教師も同じである。これからの教師は、自分で情報を収集し、自分で判断し、自分でプレゼンし、仲間を巻き込んで行動できる子ども達を育てていかなければならない。そのためにはまず教師自身が、そんな子どもたちを育てられるだけの指導力を身に付けなければならない。

 新卒で教員となって、教育現場で試行錯誤しながら指導力を磨くことはもちろん大切だが、何年か企業で働き、その後教員となり、企業で得た知見を子どもたちに還元するのもありだ。インターネットで世界とつながり、知の共有ができるこれからの時代は、教員として得た知見をもとに将来起業することだってできる。

 「生きがい」を実感しながら有意義な人生を送るためには、フレキシブルな職業観をイメージしておく必要がある。自分の活かし所はどこにあるのか真剣に考えてほしい。そして変化に対応しながらキャリアを重ねてほしい。

 振り返って現在の教員採用選考の在り方を見てみると、志願者減少という若者たちの反乱に直面し、焦っている文科省や各自治体の教育委員会は、選考時期の前倒しで人材を確保しようとしているが、ピント外れも甚だしい。

 教師を志すことは大きな「生きがい」を手に入れることでもある。とりあえず教職課程を受講し、教員免許を手にしたならば、長い職業人生の中で、その資格を活用することを視野に入れてほしい。未来を切り開くのはいつの時代も若者たちの力である。そんな若者たちの人材育成に関わることができることは、間違いなく大きな「生きがい」なのである。

② 学び続ける教師

 教師に限ったことではないが、時代の変化のスピードが上がっていくことで、現在身に付けている知識や技術はどんどん時代遅れになっていく。皆さんが大学で学んだ知識は10年後には使い物にならなくなっている可能性もある。

 今はインターネットを活用することで、時差なく世界中の最先端の情報に触れることができる。世界中と知の共有ができる。大切なのは、常に自分自身をアップデートしていく決意である。

 現在若手教師には法定研修として、初任者研修・二年次研修・三年次研修が課せられている。しかしそれらの研修では、過去の事例から学ぶことはできても、未来を予測し、対応する力を身に付けることはできない。これからの教師は、常に自分でテーマを模索して学び続ける姿勢が必要不可欠である。

 身近な話題では昨年登場したChatGPTに代表される生成AIの活用である。一部の教育現場では「生成AIで子どもたちが自分で考えなくなるから禁止しよう」などという議論もあったようだが、言語道断である。禁止などできるわけがない。

 刃物と一緒で「危ないから使わせない」のではなく「正しい使い方を教えて有効活用できる」ように指導するのが教育の役割である。

3.最後に

 今、教育界、特に義務教育の現場では教員の人材不足が深刻である。冠教育によって肥大化したカリキュラムと、それに伴う教員の負担増加を放置し、また給特法により、部活動などの勤務時間外の活動を無制限に学校に押し付けてきたてきた文科省の責任は重い。

 私は教員志願者減少の傾向はしばらく続くと予想している。特効薬はない。文科省が教員の職務の範囲を明確に示し、本来の職務(授業・生徒指導)以外の職務は教員以外の人材を雇用して担わせることをしない限り、若者は現場に戻ってこないと考えている。

 この原稿が読まれている2024年度は、全国各地で「教師志願者が減ってしまい担任が配置できない」状況が発生することを危惧している。(おそらくそうなるであろう)教育予算を握っている財務省は「少子化で子どもの数が減っているのだから、それに合わせて教員も減らしていく」の論法で予算を増額しようとはしない。

 人材育成は未来への投資である。変化の激しい時代を生き抜くために、子どもたちにどういう資質を身に付けさせることが重要なのかを議論して、義務教育や高等教育をデザインし、国民に理解を求めるのが文科省の存在意義だと考える。しっかりビジョンを示して財務省と対峙しろ!と言いたい。

 ところが文科省がやっていることは「学習指導要領」という高度経済成長時代のスタンダードに固執し、法的拘束力をかけて、子どもたちや教員たちを縛り付けている。もう限界なのではないか。教科書選定、カリキュラム編成、そして何より予算を地域に開放し、地域が責任をもって子どもたちを育てる仕組みに変えていく必要があるのではないか。

 全国の保護者が決起して、国会を取り囲むくらいの行動を起こさないと、この国の教育行政は変われないのかもしれない。

 そんな状況の中でも、本学には教師を目指そうと教職課程を選択する学生が多くいることは、一縷の希望である。私は教育に対する熱い情熱を持つ学生は全力で支援する。そんな学生たちの支援ができる喜びをかみしめつつ、今後も微力を尽くしていく決意である。

※ 参考文献、参考調査
・スマホはどこまで脳を壊すか (朝日新書) 川島 隆太 (監修)、榊 浩平 (著)
・スマホが学力を破壊する (集英社新書) 川島 隆太 (著)
・令和4年度⻘少年のインターネット利⽤環境実態調査結果(速報)内閣府
・学研総合研究所 小学生白書2019年調査
・文部科学省 令和4年度学校基本調査
・文部科学省 令和4年度公立学校教職員の人事行政状況調査
・Ikigai : The Japanese secret to a long and happy life


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