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[ちょっとしたエッセイ]見果てぬ背中

ちょうどこの週末は、いわゆる“父の日”を迎える。
まぁ、自分も一端の父親なので、父の日におけるイベントの主役に当てはまる。そんな日を迎えるにあたり、少し思いを巡らせた。さて、「父親」について自分は何を思い、生きているだろう。

人間=男=(≠)父親

見出しの通り、父親は男で人間だ。
その事実は変えられない。そうである以上、父親は、男なのだ、そして人間なのだ。
ただし時には≠でもないのだと思う。
と、偉そうにいうほどのことでもないので、ちょっと振り返ってみよう。

上の子が生まれたのは、2010年だった。下の子が生まれたのは2016年。
そして僕は、31歳と37歳で父親という冠を授かった。
上の子が生まれた当初は、本当に小さくて、だただたかわいい。そういったありふれた感情が主で、それは下の子が生まれた時もそうだった。「目に入れても痛くない」そんな語り草もある通り、本当にそれだった。ただ詳細に言うなれば、上の子(女)はそれで、下の子(男)は、「食べちゃいたいくらいかわいい」が僕の感情だ。
ともかく、父親になったことで、何を得たかと言えば、「自分と同等の内包的価値を持つ存在」を得たということが第一の実感だったろうと思う。
その実感が、即座にイコール父親であるか、または親であるかと問われれば、そうはならないだろう。
あくまで事実の上乗せであり、経験として、まず僕の心を包んだということだ。
子どもが生まれたことでの親の自覚は、手続き上のものであったり、共同生活上のものであるということで、あくまで扶養家族といった社会通念での家族という形式の中である。それは、極論で言えば、ペットや植物のようなものの延長線上のような気がした。ともかく「かわいい」という愛玩意識が広がっていた。それが親というものだという人もあるかもしれないが、僕の場合、それじゃ足りない気がしていた。
だからこそ、自分=父親という意識が芽生えず、自分=保護者的な感覚が子どもの幼い頃は占めていた。
それじゃあ、ダメだ。
今思えば、結婚したからとか、子どもが生まれたとか、そういったことだけで、自分が勝手に成長していくといった幻想だけに生きてきたのかもしれない。小学生のときの卒業アルバムに書いた「20年後の自分へ」的な夢が、そのまま過程を踏まずに存在するようなそんな幻想だ。
勝手に大人になって、勝手に親になってなんてそんなおいしい話は、どの世界を見てもないんだ。
そんな当たり前のことを今さらながら、思い直すことになった。

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*写真は娘が小1の時に描いた父親の絵。真ん中に走るもじゃもじゃはジャージのチャックらしい(胸毛ではない)。あの頃父親はロン毛だった。

親というフェーズ

いつだったか、上の子が抱っこを嫌がる時があった。
自分の足で歩き、だんだんと自分の意見を話し始めた頃だ。
成長というものは、そういうものだと理解はしているものの、なんか人間だ!と思った。
そして、それ以来、「見られてる」という意識が、僕の中に芽生え始めたのだ。
例えば、おならをしたらすごく嫌がられるので、するときはおもいっきりふざけてする。とか、相手(子ども)の顔を伺いながら生活ようになった。
そして、ようやく親としての役割が明確に必要になったのだと思った。
これまでは、ただただ「かわいい」という愛玩主義的な癒しのような存在だった子どもが、そのフェーズを超えた。そして次のフェーズに移行したということだった。
「あ、親って段階があるんだ」
首根っこをつかまれて、そのまま次の扉の向こうに放り出されるような、そんな気づきが、この時あった。

親の“背中”とはなんぞや

「親の背中を見て子どもは育つ」とは言ったのものだ。
僕自身、昔から親の背中っていうものを意識することはあった。
しかし、その答えを得るためのヒントを持ち合わせていなかった。というのも、自分の父親は僕が17の時に他界していたからだ。多感な時期を越えてこそ、親のありがたみをわかるものだし、僕は母親のそれしか記憶の中で見たことがなかった。
親のありがたみはわかったし、幼い頃の父親のイメージはある。しかし、父親の役割や存在意義というものがそこからサルベージできなかった。
それはとても不幸なことだなと思う。社会人になってからも、自分の親の歳に近い人と付き合うのが苦手だった。たぶんそれは、自分の勝手な妄想的父親像(仮)に、照らし合わせることで、ネガティブな印象を肉付けしたくなかったからだと思う。社会で見る“大人”はひどく汚れて見えた。
そして今、何をうちの子たちに見せてやればいいんだろうと考える。

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*長女が昨年(小3)書いた目標「整理整頓」。字が違う。

正しいものなんてありやしないという“思い”

「みんな人間。自分も人間。あなたも人間」
誰もが知っているように、人間のすることなんて間違えだらけだ。どの世界を見たって、どの社会を見たって、どうしようもないことであふれている。だから同じく僕だってどうしようもない人間だってわかっている。わかっているからこそ、親であることが怖いのである。何を教えたって、結局人間が教えることだ。どこかに欠陥は必ずあり、いずれそれは破綻する可能性に満ちている。
自分の経験からは、現実的な父親像は生まれなかった。だから社会で出会う「絶望のような嘘の世界」を“気づき”として得られなかったのは痛い。今でも自分の父親というものは、霧に包まれた見えない何かだ。
普通に出くわす「結局親だって人間さ」みたいな、自然な流れがない。幻想しか持たない僕にとって、多くの人より理想的に語ってしまう。だからこそ、父親にはなれないと感じてしまうのだ。
……なんて考えればそういうことなのだけれど……僕はひとつそれらを諦めることにした。
というよりは、父親だって人間で、バカなひとりの男で、間違えだらけなんだということを背中で語るしかないのだ。
最初からそういう意味で大人であることに白旗を降る。
何かを繕えば、繕い続けるしかない。それはつらい。
だから、人間が大きくなって、なんとか生きているその姿を見てもらうしかない。それが僕の道ではないかと思っている。
一緒にバカ笑いして、一緒に泥だらけになって、一緒にご飯をほおばる。ゴロゴロ寝たり、お風呂で遊んだり etc。別に友だちになる必要もない。僕がひどいと思うことをすれば叱るし、正しいと思えば褒める。何か悩んでいれば聞く耳を持つ。言いたいことがあれば、ちゃんと言ってもらう。その中で考えば違うならお互いが納得するまで話せばいい。
そうやってつき合っていくしかないなと思う。われわれは家族で喧嘩したって、何したって家族で、死ぬまでのおつきあいなのだ。

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*たまに急に感謝され似顔絵を描かれる。なんだか七尾旅人みたいな感じになってる。でも嫌いじゃない。アディダスのTシャツのディティールまで描けるようになった長女(現在小4)。

ほら、僕らは家族だから

長くなったが、結局のところ。
父の日なんて大層なものは偉い人が勝手に決めてするイベントではなく、子どもが自発的にやればいい。だけど、なんというかその存在を忘れないでくれればそれでいいのだと思う。
いずれ自分の道を行く、わが子たち。
その日が来るまで、一緒にいられる幸せが生きる糧だ。いわば同胞だ。
幕末の儒学者 広瀬淡窓(1782〜1856)が自分の塾生に向けたこんな詩がある。
僕は、「父の日」だからこそ、わが子たちにこの歌を贈ろう。
そんな父の日があってもいいじゃないか。

道うことを休めよ他郷 苦辛多しと
同袍友有り 自ずから相親しむ
柴扉暁に出ずれば 霜雪の如し
君は川流を汲め 我は薪を拾わん
*元は漢文

*意訳
塾生たちよ、遠く他郷にあって勉学に励むのが辛いなどということはやめなさい。一枚の綿入れをいっしょに着あうような新しい友もでき、自然に親しみあっていけるのだ。
朝早く、粗末な扉を開いて外に出ると、霜が一面に降りてまるで雪のようだ。
さあ、朝食の支度にとりかかろう。君は川に行って水を汲んできたまえ、私は薪を拾ってくるから。

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