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「のら犬」Chien de la Casseレビュー

公式動画

公開

2022年

監督

ジャン=バティスト・デュラ

キャスト

ドッグ:アントニー・バジョン
ラミレス:ラファエル・クナール
エルザ:ガラテア・ベルージ

レビューの前に

時間ができたのでまたフランス映画でも観るかーとアマプラで探したらこちらの作品が無料だったので観ることに。
全く期待していなかったのですが、これが非常に面白く、引き込まれてしまいました。
キャラが濃く、ドラマもしっかりしており、まるでバルザックの小説を映画にしたよう。
主要人物や世界を極端に絞っているのも今風。
久々に観たフランス映画の当たり作で、隠れた名作といってもいいでしょう。
ネタバレしてもたぶん面白さは損なわないと思うのですが、嫌な人は本編を観てからにしてください。




*以下ネタバレあり




レビュー

南フランスの田舎町が舞台。
ドラッグの売人ラミレスは、弟分(子分?)のドッグ(そういう名前の男の子)を常にからかい、バカにするモラハラ人間。
一方ドッグは何を言われても反抗せず、苦笑いしたり下を向いてやりすごす陰キャ。
ラミレスの嫌~な感じと、ドッグの腹立つぐらいの卑屈さがとてもハマっていてすぐに引き込まれた。

冒頭、ラミレスは「俺はビッグになる、この街でコックなんかやって一生を過ごすのは嫌だ」と夢を語りつつ平凡な仕事をバカにする←ラストへの伏線。
ドッグは軍に入ることが目標。

そんな中、車を運転していたドッグはヒッチハイク中の女の子エルザを乗せる。
二人はすぐにデートする仲に。

自分の言いなりだったドッグに彼女ができて嫉妬し、モラハラを加速させるラミレス、何をされてもやはり言いなりのドッグにエルザは次第に愛想を尽かし始める。
また、エルザはエルザでラミレスにモラハラを仕掛けようとするシーンも。

作中、ラミレスの犬がちょっと異様なくらいよく登場するが、実はこの犬がメタファーとなっていることが後で分かる。

ドッグはとうとうエルザに愛想をつかされ振られてしまう。
それに満足し、またモラハラするラミレスにドッグは初めて反抗し、絶縁。
しかしその直後、敵対していた不良グループから追い込みをかけられ町を逃げ惑うドッグ、彼が助けを求めたのは縁を切ったばっかりのラミレスだった。
ラミレスは電話を受け、血相を変えて夜の町に飛び出し、犬と一緒にドッグを助けにいく。
ラミレスは広場でドッグがボコられているところを発見し、数人をあっという間に倒すが、敵の不良に犬を殺されてしまい、双方「あ……」て感じになってシラけて解散。

その後、二人は仲直りしたのか、一緒に犬を埋める。
エピローグはちょっと分かり辛いが、ラミレスはあんなに蔑んでいたコックになり真面目に働いて、ドッグは軍隊に入ったらしい。
ほー……こういう着地かと意外だった。

見終わってからようやく犬がメタファーとして扱われていたことに気づいた。
作中の犬は、支配-被支配という関係性のメタファー。
人は一人では支配者にも奴隷にもなれない。
支配者の絶対性は、被支配者の隷属というサポートが必要となる。
ここに表向き主-従であるものの、心の奥底には対等な相互依存を必要とするという、歪な関係性が生まれる。
本作はこうした関係の二重性を見事に暴いている。
ふつう、こうした主題はSMを通して表現されることが多いが(支配者であるSが実はMに支配されていた…など)、かのサドを生んだ国フランスの映画で、友情を通してこれを描いているところが意外だった。
フランス映画もエロに厭きたのだろうか?

敵対する不良たちは犬を殺すことで、二人の表向きの関係性(支配-被支配)を壊した。
その後に残るのは二人の心の奥底に眠っていた対等性しかない。
だから二人が仲直りするのは必然である。
エピローグでドッグがラミレスのかつてのモラハラをからかっているところが、二人が対等になった証。

原題は「Chien de la Casse」。
Chienは犬、la Casseは「破壊」「壊れたもの」という名詞。
主題に忠実に訳すと、「破壊の犬」が適切な気がするがどうだろうか?
犬が壊したものがラミレスとドッグの表向きの歪な関係性だと考えると原題もすんなり理解できる。
ただ「破壊の犬」だと作品をイメージし辛いから「のら犬」にしたんだろうなと思う。

キャラクター、ドラマ、メタファーと非常に文学性の高い、それでいて難解さを感じさせない傑作だと思えた。
とはいえ、ハリウッド的なドカーン、バキーン、はい大団円という映画が好きな人にはまったくおすすめしないが。

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