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生きづらい人たちのこと

21歳の末娘は学生なのですが

クラスに30代のとても不器用なおじさんがいると

今日はご飯を食べながらいろいろ語ってくれました。


手先も不器用、人との付き合いも不器用、

言われたことをちゃんとできない、理解も怪しい?

その人を嫌う人たちがいる。

キモイと言って。。。

でも、彼は何も悪気もなく

娘から見ればただ、不器用な人、という印象らしく

見ていると兄と重なる部分があると。


長男は不器用でかなり個性が強い人で

いわゆる発達障害ということで療育手帳を持っています。

その兄をずっと見て来ているから

娘にとっては、周りの人たちの

そのおじさんへの扱いがとても「痛い」

胸がギュッとなる、ということでした。

「どう見ても、何か不器用で大変そうなんやなってわかるのに、

なんでそういう人なんやなって思えないのかな」

というのが娘の思い。

娘は、相手がどんな人であっても

「そういう人なんやな」ってことで受け止めて付き合えるみたいです。

基本、悪い人なんていなくて、

どんな人でも、自分の中ではいい人であろうとして生きている。

私はそんな風に子どもたちに伝えてきたので

それがちゃんと伝わっているのだなと思ってうれしいです。


でもそれを理解できるのも、兄あってのことかもしれない。

「きっと、にーさんのお陰で、

そういう風に考えられる優しさが持ててるんじゃない?」

というと、そやな、と。


私も職場に来るお客さんで

どうもそういうタイプの人たちがいて

30過ぎても40過ぎてても

少年のようで話をするにも不器用、人付き合いも苦手そう、

でもちょっと変だけど、

一生懸命生きていて、性格はまじめ、

なんとか頑張りたいと思っているのを感じさせられる、

そういう男性、割といます。

私もそういう人を見ると

息子を思って胸がギュッとなります。


ふつう、そんな言葉遣わないよ~

あんまり、そんなこと人に言わないよ~

という感じで、

分からない人には「え?この人大丈夫?」と

引かれたりすると思います。

その人たちを見ていて思うのは「とにかく自信がない」

これはなぜなのでしょうね。

それが一番彼らの辛さではないかと思います。


うちの息子は

計算が苦手だったり、言葉の選び方が独特なので

学生時代は

自分だけがいろんなことができないことに

イライラしていた時期はありましたが

それでも学校の環境に恵まれていたので

「個性」だと受け止められて

いじめられることもなく、嫌われることもなく、

のびのびと変なところを発揮していました。

バレー部にいましたが

ローテーションが理解できないため

チームメイトが彼にコート内で指さして

彼の場所を指示してくれたり

ピンチサーバーとして活躍の場を作ってもらい、

彼はそれに誇りをもっていました。

精神的に強かったということは本当に恵まれていますが

「環境」は大きいと思います。


みんなと同じことができない、

不器用なだけなのに「変だ」と言われ、

先生からも注意されることが多い、、、

普通はそうなりがちで、

そんな学生時代を12年も過ごすと

誰でも自信を失いますよね。


娘の小学校のクラスメートにも変わった男の子たちは結構いて

彼らの周りはいつも荷物が散乱していたり

教室の中をぶつぶつ言いながらずっと動き回っていたり

なんでも食べる、食べ物でなくてもかじる

みたいな子もいたけど

少人数の学校だったので、長くクラスメートとしていると

周りも「彼はそういう人」と普通に見ているし

本人もだんだん成長して

そんな特異なところも変わってくるのを

見てきたので、娘は

「いろんな人がいていい」と思えているようですし、

それって同時に

「自分も個性的であっていい」と

自分にも許可が出せるということになりますよね。

自分自身の生きやすさを受け取れている、とも思えます。


みんな同じでなくていい。

みんな変でもいいじゃない?

みんな一生懸命生きている。

自分だけが一生懸命生きているわけではない。

一生懸命の結果が変でも笑いあえるといいよなと思います。


息子は就活をしていたとき

「履歴書の資格欄に療育手帳って書いていいのか」と聞くので

一瞬、それって資格だっけ?と思い、え?え?ちょっと待って、

いやいや、違うやろ!とうろたえる私と息子のやり取りに

家族全員で大爆笑でした。

なるほど~そう来るか!

あんた、ほんまにおもろいな!と。

彼も面白がってもらえて一緒に笑ってました。

今年の成人式の後の会話で

「今年も成人式に出なかった」と言うので

家族中、???の後、大笑い。

成人したら毎年行っていいものだと思っていたようです。

「なんでやねん!」とオットに突っ込まれて笑っていました。

26ですが

ようやく、いろんな知識がつながって

トンチンカンを自分の中で修正できるようになってきたようで

頼もしいです。

そういうところを矯正するよりも

面白がりながら受け止めて行けば

間違ったことを言うのも怖くなくなり

変な自分も受け入れることができるようになります。


欠けていると思うところほど

その人の「個性」の輝き。

それは彼らだけではなく

私たちみんながそう思えたら

本当に生きるのが楽になるし、

自分を活かして生きていくことができると思います。




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