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【小説】2042、鑑定団

こちらは八幡謙介が2020年に発表した小説です。



2042


 一心は投射用リビングのソファに座るとゴーグルをかけ、涙ピアスを気にしながら、
「そういえば、今日冬真呼んでないの?」
 と吉右衛門に訊いた。


 *投射用リビング 画像やホログラムを投射するためにグリーンバックを貼ったリビング。
 *ゴーグル ゴーグル型ウェアラブルコンピュータ。壁や空気中に映像を投射、目線と声で操る。音はこめかみから骨伝導で聞こえる。この時代にはタイピングやフリック文化は完全に消滅している。
 *涙ピアス 涙のように目の下にぶら下げるピアス。40年代の流行。 


「あいつ、ござるじゃねーし。」
 吉右衛門は吐き捨てるように言った。
「そこかよ!」
 一心は予想外の答えに噴きだした。この40年代にまだござらーやってるやつがいたなんて……。


 *ござる 2020年代から増え始めた懐古|《なつかし》ネームを指すネットスラング。
 *ござらー 本来は懐古《なつかし》ネームを持つ者という意味。2030年代半ばに懐古|なつかしネームを襲撃する「ござる狩り」が流行し、社会問題となった際、全国のござらー達が自衛のため結束を強めた。それ以降、ござらーとは反懐古ネーム主義者から自分達を守るために結束する者という意味に変わった。吉右衛門はその一人。だから友人の冬真に対して少し冷たい。一心も懐古(なつかし)ネームだが、そういった文脈でのござらーではない。 


 吉右衛門はそれを当然のようにいなすと、
「そういえば一心、今日バイトなかったの?」
「え、ああ、なんか飛んだ。テロあったからって。これだから中東系はなあ……」
「だから国内にしとけって言ったがー。」
 吉右衛門は軽く諭すと、ゴーグルをかけ、一心のクラウドとコネクトした。


 *中東系のバイト 車、重機、工場のラインなどを遠隔操作するバイト。自宅にいながら世界中どこでも働くことができる。一心は中東で重機の遠隔操作を行うバイトをしているが、何らかの理由でなくなったらしい。政情が不安定な国ではよくあること。
 *言ったがー 語尾に「がー」を付ける流行語。


 グリーンバックを貼ったリビングには、DAWの編集画面が映し出されている。さらに、その画面を見つめる三人のアーティストらしい人物のアバターがいる。


 *DAW DAW(デジタルオーディオワークステーシヨン)の略。この時代はホログラムを空気中に投射し、こめかみから骨伝導で聴くスタイル。


「再生。」
 吉右衛門は呟くとすぐに、
「音出てる?」
 と一心に訊ねた。
 一心は軽くゴーグルのこめかみ部分を押さえて、
「来てるよ。」
 そのまま黙って眼前に投射された画面を見つめた。
 吉右衛門は「じゃ、もっかい頭から流していくから。」と言った後、「ストップ。頭に戻って。プレイ。」と呟いた。するとさっき聴いたイントロが再生された。ゴーグルから空中に投射された画面から、音楽に合わせて波形が右に進んでいく。
「これ、どれぐらいの比率でジェネってんの?」
 一心がジュースタブレットを口に放り込みながら訊いた。


 *ジェネる 2020年代後半から爆発的に広まった、過去の偉人のジェネレーターアプリ。音楽だけでなく、文学、政治、ビジネスなどあらゆる分野に及ぶ。例えばモーツァルト・ジェネレーターにキーワードを打ち込むとモーツァルトがそれに従って作ったような曲ができる。ジェネレーターを使って創作することを「ジェネる」と言う。30年代前半はまだアーティストのジェネレーターが少なかったことから、本人にどれだけ肉薄できるかを競い合っていたが、30年代から各国が国家政策として自国のアーティストのジェネレーターを発売しはじめた。また、世界標準規格がつくられたこともあって、ジェネレーター同士のミックスが可能となったため、誰と誰を掛け合わせるかが流行し、現在に至る。例えば、モーツァルトと三島由紀夫とヒットラーに曲を作らせるということもできる。その組み合わせは無限。
 *ジュースタブレット 口に含むと水分が溢れ出てジュースのようになるタブレット。災害用に開発されたが、便利なのでお菓子として浸透した。


「ガネシンが38、ミミズックが14、YOSHIKIが52。」
 と吉右衛門が言うと、
「ドメ専かよ!」
 一心が突っ込んだ。


 *ガネシン 我如古真(がねこ しん) 2040年デビューの沖縄出身男性シンガー。デビューからジェネレーター製作までの国内最短日数記録を持つ。
 *ミミズック ネオロックの象徴的バンド「Solution」の元シンガー、入山ミミズクの愛称。バンド解散後2038年ソロデビュー。
 *ドメ専 日本製(ドメスティック)ジェネレーターのみで製作する者をややからかう言葉。ただし日本製ジェネレーターは官製で精度の高さに定評がある。


 一心のやや卑下するような言い方に吉右衛門はむっとして、
「ドメ最弱だがー!」
 と睨んだ。


 *ドメ最弱だがー わざと逆さの意味を言う流行語。この場合は「ドメ最強」という意味で使っている。


「自分で作るやつってもういねーのかな?」
 一心がふと呟いた。
「フィジカリストかよ! まあみんなそんなに才能ないしね。ジェネよりいいもん作れたらやるけど。」
 吉右衛門はそう答えた瞬間心の中でしまったと舌打ちしたが、一心は特に反応を示さなかった。クソ味噌問答は終わりがない。


 *フィジカリスト 情報を懐疑し、モノの所有や人と人の直接的なコンタクトを再評価する〈フィジカリスム運動〉の実践者。2030年代から流行。実践にフィジカリストであるためには十分な資金とモノを管理するスペース、オンライン上ではなくリアルに行動する時間が必須となるので、金持ちの道楽思想と批判された。クリエイター業界ではジェネレーター肯定派がアンチジェネレーター派を揶揄する言葉。
 *クソ味噌問答 自分で生み出したクソより他人にオーダーした味噌の方が価値があるというジェネレーター肯定派の理論から端を発する問答。アンチジェネからは「自分で味噌を作れるように努力することが大事」という反論が定番。そこから様々な議論が生まれたが必ず堂々巡りとなる。この議論を始める人は煙たがられる。


「あ、そういえばメロンは自分でも曲作るっていってたな。母親がそうしてたからって。」
 まだその話題に固執する一心に吉右衛門は、
「いいからちゃんと聴けよ、一心。そのために呼んだがー。」


 *メロン 椎名メロン。椎名林檎の末娘。2033年、二十歳でデビュー。ジェネ以前の音楽形態にこだわる回帰派の旗手として崇拝される。母親の栄光にすがっているという批判も。


 一心はしばらく目を瞑って音源を聴きながら、膝を叩いてリズムを取っていた。
「あ、ここYOSHIKIっぽい!」
 ハーフテンポになり、ドラムが急に手数を増やしたところでそう言うと、吉右衛門は破顔して、
「俺もそう思った! やっぱ50パー超えると色出てくんなー。」
「でもちょっと長くねーか?」
 一心の言葉に吉右衛門は一瞬眉をしかめ、
「そな! YOSHIKI上げると絶対そうなるんだよね。で、下げたらバランス悪くなってくるから悩みどき……」


 *色出てくる ジェネレーター用語。その人の個性やぽさが出てくるという意味。
 *そな あえて言葉の最初と最後しか言わない40年代の流行語。「そな」なら「そうだな」「それな」などの略。「そで」なら「それで」の略。
 *悩みどき 何でも語尾に「○○どき」と付ける流行語。30年代後半から流行ってき、この時代では定着している。


「隠し味に政治家とか入れてみたら?」
 一心は半分冗談として言ったが、吉右衛門はうるさそうに、
「そな……考えたよ。一応明治の政治家何人かブレンドしてみたけどなんかイマイチ。やりだすときりねーしな。あーあ、ジェネワンこれで出してみっかな……。閉じて。」
 吉右衛門はそう言うと投射された画面を消した。


 *ジェネワン ジェネワングランプリ。政府公認のジェネレーター・アーティスト(通称ジェネ師)を育てる大会。吉右衛門は音楽部門に出品予定。入賞者はアーティストとして事実上国家資格を得たような扱いとなる。


「コンビニ行こうよ、ワレ、ランク上がったから!」
 一心が含み笑いをしながら吉右衛門に言った。


 *ワレ 2030年代から主にトランスジェンダー界隈で使われはじめた一人称。私と俺の中間。後に一般にも広まった。俺と私の中間で「オシ」も一時期流行ったが後に廃れた。
 *ランク上がったから カスタマーランキング。店側が客に対しランキングをつけ、それに従って出てくるホログラム店員が違ったり、無人移動販売車を優先的に呼べたりする。ランキングは必ずしも購入金額に比例しない。ランク付けのアルゴリズムは各企業の重要機密。


「なんだよ、気持ちいーな……」
 吉右衛門は眉をしかめながら、
「下まで呼べばいいじゃん。」
 とめんどくさそうに告げた。
「セブンの路面じゃないとダメなんだよ! な、行こうぜ!」
 一心の懇願に吉右衛門は「じゃあ何かおごれよ!」としぶしぶ立ち上がった。


 *気持ちいーな わざと意味を逆にして言う流行語。吉右衛門は「気持ち悪い」という意味で使っている。
 *下まで呼べばいいじゃん ネットで移動販売車両をマンションの下まで呼ぶということ。この時代、路面店は珍しく、わざわざ行く人は少ない。企業側は路面店の生き残りのために限定キャンペーンなどを多く打つがジリ貧。

リビングを出た瞬間、一心が「うおっっ!」と後ずさった。
「なんだよ、気持ちいーな。」
 吉右衛門が廊下を見渡すと、GUNSOがゴキブリを捕獲しているところだった。
「俺はじめて観たー!」
「俺も捕獲してるところははじめてだな。放置してたけど、本当にやってんだな、これ。」
 セラミック製の爪に捕らわれじたばたするゴキブリを横目に、二人は玄関に向かった。

(試し読み終了)


鑑定団


「今度、出るから。」
 夫の敏之がテレビ画面を指さして唐突に告げた。美和子は驚いて左手に持った味噌汁を一度テーブルに置き、
「出るって、この番組にですか?」
 と口にした瞬間、全てを理解した。
 画面上では「幸運 お宝鑑定団」の司会者の一人、魚っぽい顔の芸人が素人を上手にいじって笑いを起こしていた。
「そう。あの壺だよ。応募したら返信が来て、持って来てくれって。」
「あの壺って……。」
 ――本当にアレがそんなに価値のある壺だと思っているのだろうか?
 美和子は心中ため息をついたが、口には出さなかった。
 アレとは、玄関に置いてある薄汚れた大きな壺である。敏之が2年ほど前に突然買ってきて「中国の古い壺だ。家宝にする。」と宣言し、以来玄関に飾ってある。値段は訊かなかったが、かなりの額をはたいただろうということは察しがついた。といっても使ったのは退職金だろうし、お金には堅実すぎるほど堅実な夫だから無茶はしていないはずだ。ただ、この汚い壺をきっかけに古美術にのめり込んでしまいやしないだろうかと、美保子は内心びくびくしていた。一年ほど経ち、あれ以来美術品の類いは一切購入していないようなので、どうやら蒐集する気はないらしいと分かって安心したが、いつも帰宅する度にやれ壺がくすんでいる、ちゃんと掃除しろ、家宝だぞと口うるさく言われるのには内心辟易していた。
 その壺を、鑑定団に出すというのである。
 ――恥ずかしい。
 まず、そう感じた。
 番組は毎週夫と観ているからよく知っている。驚くほど高値が付くこともあれば、退職金をはたいて手に入れた壺や掛け軸が5千円程度のこともしばしば。どちらにしても美和子には迷惑でしかなかった。安物だったらただただ恥をかくだけだし、高かったら高かったで今度こそ夫が調子に乗って骨董蒐集にのめり込んでしまうかもしれない。それに、家に高いものがあれば何かのトラブルに巻き込まれないとも限らない。人生の終盤になって身の回りがごたごたするのは避けたかった。
「そう。専門家の先生に視ていただくとすっきりしますわね。」
 嫌みっぽい口調に自分でも驚いた。しかし、敏之は上機嫌で、
「おう、絶対高値が出るぞ! もしかしたら億が出るかもな!」
 とテレビ画面を見ながら、ビールの缶を美和子の方にポンと置いた。
 美和子は軽くため息をつき、ビールの空き缶を手に立ち上がると、おかわりを台所に取りにいった。


「じゃあ、行ってくる。夕飯は盛大にしてくれ。」
 壺を大事そうに抱えて子供のように出て行った旦那を見送ると、美和子はゆっくりと鍵をかけた。スリッパをこするようにしてキッチンへと向かいながら、頭の中に数字を思い浮かべた。
 ――結婚したのが26歳、今が58歳、58引く26は……32年。男性の平均寿命が81歳、主人が62歳、81引く62は19……。あと19年……。

(試し読み終了)

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