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#333_バガバットギータやヨガスートラは、わたしたちは幸福になることが望ましく、そのためには手に入れるのではなく手離すこと、欲求の対象がそもそも幻想であることを説きます

「神話と科学が分かれていなかった時代から、ヨガの書物はたくさんの賢者によって書かれています」

「神への信仰を賛美するものもあれば、論理を用いて世界の成り立ちを説くものもあります」

「哲学の手法で経典の論理構造を解明するものもあれば、その時代の倫理や道徳規範に寄せて書かれたものもあります」

「バガバットギータやヨガスートラは、わたしたちは幸福になることが望ましく、そのためには手に入れるのではなく手離すこと、欲求の対象がそもそも幻想であることを説きます」

「記号や言葉で出来た幻想は、そのためにコミュニティで共有されることが可能です。共有された幻想は、その向こうにある真理を覆い隠すほどの絶対的な価値となって人生の方向を決定します」

「世界を規定する記号や言葉のルートには自分という記号があります。世界のあらゆる事象は、自分との関係においてその事象であることができます」

「逆に、世界が幻想だと気づくことは、自分が幻想だと気づくことでもあります」

「自分が幻想だと気づくことは、一見大きな苦痛を伴う、とても不安なことですが、消失するのは記号であり言葉でありつまり幻想の部分です」

「記号であり言葉でありつまり幻想の部分が消失したあとになにが残るのか? という問いには意味がありません。手離すのは自分と自分以外という境界であり、境界が消失したあとには全体あるいは無があるのみです」

「わたしたちが五感によって知覚し、認知する世界のものごとは、それが認知された瞬間に、つまり認知は記号や言葉によって行われるので、幻想となります。五感による知覚にもとづく認知ではないやり方で世界を理解するために有効な手法のひとつは瞑想です」

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