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#050_「いまをいきる」ことはその美しい字面と裏腹に、畏れや不安そのものです。

前回と同じ書き出しですが、「どんなに時間がかかってもかまわない」という魔法の言葉があります。

「出来なくてもかまわない」というのが受け入れ難いのでこっちの言いかたをするわけですが、「どんなに時間がかかってもかまわない」と口にしたときに生まれる「結局それが起こらなかったら?」という小さな不安をたぐりよせて、将来の出来ごとに対するコミットメントや期待を「執着」とカテゴライズすると、有史依頼、人間の人間たるゆえんであり同時に巨大な足枷である「想像力」からの解放が始まります。

仏教の作法に従って瞑想をおこなうと、目を閉じて何も考えずにじっとしていることが恐ろしく困難であるという事実に瞬時に直面します。「いまをいきる」ことはその美しい字面と裏腹に、畏れや不安そのものです。一瞬先の未来においても自分でいられるという安心を剥ぎ取られることに、ぼくらは激しく抵抗します。

根拠のないこの安心を担保する言語構造をぼくらは選び、言葉になっていない世界はもはや認識されず、言葉になっていない自分はもはや認識されることはありません。

ぼくらにできることは永遠に時間がかかってもかまわないから手放すこと。

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