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#ぼくたちはなにでできているのか
#374_もはや世界が自己との関係としてしか認識出来なくなってしまうことの気づきです
「瞑想の目的は、なにかを手に入れるとか、なにかに手が届くみたいなこととではなく、そうすることで自己というノイズが起動し、もはや世界が自己との関係としてしか認識出来なくなってしまうことの気づきです」
#373_ヨガによって得られる究極の静寂は、未来を生きないこと、いまを生きることを可能に。
ヨガでは「楽に座る」ことを追求していきます。
最初はだれもが「楽な姿勢」を探します。
こうすればいいかな、ああすればいいかな、といろいろやってみて、でも答えはそこにはないこと、「座りにくさ」がどうやっても少し残ることに気づきます。
次に「ゆっくり座る」ことを試します。
ゆっくり動くということは、身体が起こっている出来ごとを受け入れる余裕を用意するということ。これは比較的うまくいきます。
そし
#372_「世界」は「自分」ですから、受け入れることで救われるものは世界ではなく自分。
「世界に起こる出来ごとを『よいこと』と『よくないこと』に分けてしまいがちで『よくないこと』が『よいこと』に変わるためになにかしようとしたり、それが起こらないようになにかをしたりというのをずっとやっていて、受け入れることをわすれている気がします」
「世界」は「自分」ですから、受け入れることで救われるものは世界ではなく自分。
#367_呼吸のじゃまをするものが一切残っていなくて、すべてから解放された呼吸が無限とも思える時間をかけてゆっくり流れます
ヨガの目的地のひとつは「静止」です。
止めた状態ではなく、止まった状態。
欲望の対象が色褪せて、なにも手に入れる必要がなくなって、ゆっくりと動きが止まった状態。
身体でこれが出来るようになったら、心についても同じことをおこないます。
「静止」を受け入れる準備が出来たかどうかは、自身の呼吸を観察することでわかります。
心身に、呼吸のじゃまをするものが一切残っていなくて、すべてから解放された呼吸が
#364_自分の中に起こっている出来ごと、あるいは自分という現象は、自分の意思が届かない出来ごとの結果であることを受け入れます。
「この建物の外の音に耳を澄ませます」
「この建物の中の音に耳を澄ませます」
「この部屋の外の音に耳を澄ませます」
「自分の中の音に耳を澄ませます」
外界の音が、自分の意思が届かない出来ごとの気配であるように、自分の中の音は、自分の意思が届かない出来ごとの気配であることに気づきます。
自分の中に起こっている出来ごと、あるいは自分という現象は、自分の意思が届かない出来ごとの結果であることを受
#363_なにかが失われるときに、 「追いかける」 「悲しむ」 「嫌いになる」 ..
なにかが失われるときに、
「追いかける」
「悲しむ」
「嫌いになる」
などの反応のほかに
「いらないことに気づく」
があります。あるいは
「気づかない」
も。
#362_ある決められたポーズをするときに「やりにくさ」を感じたら、それを静かに分析していきます。
小惑星に宇宙船が不時着して、パイロットひとりと、大気中の水分を飲水に変える装置だけが残った | 装置はボールくらいのサイズでボタンを押すとコップに飲み水が充たされる仕組み | 何回めか、何十回めか、あるいは何万回めかのボタンで装置は爆発してパイロットは確実に死んでしまうという設定 | パイロットは葛藤しながらボタンを押して水を飲む | しかしあるとき彼のなかでなにかが変わって、彼は何度もボタンを押
もっとみる#361_食べものや仕事に手を伸ばす生活から自由になり、怒りや悲しみに手を伸ばす心の習慣から自由になるために、修行僧は出家します。
太っているのは食べたからで、疲れているのは働いたからで、そこに食べものがあるからではなく、そこに仕事があるからでもありません。
怒っているのは怒ることを選択したからで、悲しんでいるのは悲しむことを選択したからで、そこに理不尽なことがあるからではなく、そこに辛い出来ごとがあるからでもありません。
食べものや仕事に手を伸ばす生活から自由になり、怒りや悲しみに手を伸ばす心の習慣から自由になるために、