親や親戚の姿を見て
昨日はお墓参りに行ってきました。
僕の父系は代々東京で生活していたため、祖父母が眠っているお墓も都内にあります。
元々祖父は家業を営んでおり、今は伯父と父のふたりで跡を継いでいます。
そのため、父の会社に行くことイコール祖父や親戚に会うこと、といった感覚が昔からあり、祖父亡き今もそれは続いています。
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昨日の朝、父の会社に行って伯父夫婦に帰国後の挨拶をしました。
1年ぶりに会い、より年をとった姿を見ることになったものの、特段大きな変化はありませんでした。
逆に僕に対して少し大人になったと言ったくらいです。
この1年間で僕は少し大人になったのか。年齢以上に成長できたのか。少し気になるところです。
海外でのことについて根掘り葉掘り聞かれました。
特に最後の1ヶ月間の旅行について、父が伝えていたらしく、いろいろと質問されました。
ご飯はどこが美味い?ジョージア。
一番良かった場所は?アテネ。
一番の穴場は?アルバニア。
今何ヶ国行った?41。
ひとつひとつ驚きも混じった反応をしてくれるため、話していて楽しい気分でした。
伯父の子供たち(僕のいとこ)は早くに結婚をしており、僕のように自由奔放な20代を送っている人を前にして新鮮さを感じているそうです。
そして、そんな話に便乗するように父も僕の話をしていました。
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小学4年生から学校終わりや週末に塾に通い詰める。
中学受験をして、私立の中高一貫校に入学する。
推薦で大学に現役で進む。
単位を多くとって4年で大学を卒業する。
新卒で日系大手企業に入社する。
こうして並べてみると、僕の経歴は非の打ち所がない順当なもののように見えます。
誰から言われるまでもなくエリートになることを夢見て、真っ当なキャリアを描いていました。
でも、そんな最中の25歳で僕はレールを外れることになります。
海外に行きたい。
もやもやしていた気持ちに突き動かされるように、会社を辞めてフィリピンへ英語の勉強をしに行きます。
そして、海外就職。
でも、ここが外資系の大手企業だったから、再びレールに乗ったような感覚です。
一度は逸れた道でも、再び軌道修正した。そう思いました。
しかし、日本で1年半、フィリピンで半年働いて、退職。
その後はジョージアに行くことになります。
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親や親戚はこんな人生にどう思うのか。
自分の人生なんだから、自分で好きにすれば良い。
父から言われた言葉です。
僕にとってこれまでのひとつひとつの決断は決して軽くなく、重いものでした。
でも、父を始め家族がそういった決断を受け入れてくれたことで素直に行動に移せました。
今思うと、それらはとてもありがたいことだったと思っています。
いわゆるエリートからは逸れた人生になっているし、お金を始めとして悩みはいくつもあるけれど、これまで自分の人生に満足できる気持ちもあります。
父が楽しそうに僕の自慢をしていたことや、親戚が僕に対して興味を持ってくれたこと。
昨日見たその光景に僕はひとつの安心感を持ちました。
エリートになっていないし、全然お金を稼げていないけれど、これはこれで良い人間に育ってくれたんじゃないか。
そのように思ってくれているのだと思いました。
今、自由を謳歌し、自分なりに生きているという実感があります。
ここまでは苦労の連続だったし、まだまだこれからも大変なことはいくつもあるでしょう。
でも、少しはそんな自分を認めてもいいかな、なんて思った今日この頃です。
僕のことは以下の記事で紹介しています。
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それでは、また明日お会いしましょ
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