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去っては増える人脈について考える

気づいたら社会人6年目になってしまいました。今が何年目だとか数えていたのは3年目くらいまでだったから、今が6年目であることに驚いている自分もいます。

新卒で入った会社で直属の先輩だったのが確か6年目の人でした。毎日深夜遅くまで働いていた人でした。

そんな人に憧れた時期もあって、1年目の頃はがむしゃらに働いていました。しかし、好きになれない仕事は続けることも難しいものでした。

高度な知識を求められるITエンジニアの業界で、文系卒の素人が食らいつくのは簡単ではありません。

給料はそこそこ良かったし、将来性のある安定した企業でしたが、やはり今思ってもあのまま同じ会社で働き続けることは難しかったと思ってしまいます。

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その会社を退職した後、フィリピンへの短期留学、外資系IT企業への転職、フィリピンへの異動、退職を経て、今はジョージアでフリーランスとして生活しています。

僕は生まれも育ちも東京。大学生までずっと実家にいたし、社会人になってからの配属も(地方勤務を希望したのに)東京本社でした。

東京出身の人は地方出身の人と比べると土着愛が低く、とりわけ同級生との結びつきは弱い傾向にあります。

地方出身の人たちが帰省する度に旧友と会ったなんて話を聞くことがあるけれど、僕は今までそのようなことはほとんどありませんでした。そもそも帰省がないのですから。

私立の中学校に進学して、小学校の頃の人脈はそこで途絶える。
大学に進学して、中学高校時代の友達とほとんど連絡を取らなくなる。
社会人になってから、大学時代の友達とほとんど連絡を取らなくなる。

ドライなのか、それとも必然なのか。

僕はそんなことを繰り返してきました。決して意図して関係を絶ったわけではなく、自然の法則でそうなっていっただけなのです。

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社会人になってから、僕は会社外のコミュニティに人脈を求めました。会社内は飲み会を含め、苦手な仕事に溢れていて常に息苦しさを感じていたからです。

結果としてそこが一番居心地が良いものでした。

大人の世界が好きだったし、仕事を頑張っている人を見て、僕は大きな影響を受けました。自分の背中を押してもらったこともあるし、知らない世界をたくさん学びました。

最初は怖かったけれど、飛び込んで良かったと思っています。会社内の狭い世界に留まっていたらと思うとゾッとしてしまいます。

そこで知り合った人とは、コミュニティを辞めて以降も時々連絡を取り合っています。フィリピンに行ってからも、ジョージアに来てからも時々連絡をくれる人がいます。ありがたい限りです。

加えて、転職をしたり、国外に出ることでまた新たな人脈をつくれています。だから、今は人間関係で困ることはほとんどありません。

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自分にとってつながっていたい、と思う人はどのような人かを考えることがあります。

僕にとってかつての同級生は、残念ながらつながっていたいと思える人ではなかったのでしょう。

当時仲良くしていても今はそうではない。閉ざされたコミュニティだからこそ楽しいことも、一旦コミュニティから離れるとそうではなくなってしまう。

こうした例はたくさんあるかと思います。

でもそうやって、人との繋がりを流動的にしていくこともまた大事なことだと思っています。

去る人がいるから新たな人を迎えられます。

人脈は増えるから良いとは思わないし、それまでフィーリングが合っていた人も、いつしか合わなくなってしまうことがあります。こればかりは予測もできないし、自分が成長すれば感覚が変わっていくのは当然です。

昨日、大学時代の後輩と久しぶりに電話をしました。彼はプロ野球をこよなく愛し、いつも話し出したら止まりません。僕が日本にいなかったからあまり追えていなかった今年のプロ野球のことをたくさん教えてくれました。

今ではもうほとんどいない大学時代の人脈です。

面白いから話したいと思える人は、これからも僕から連絡を取り続けたいと思うし、それが自分が思うつながっていたいと思う人なのでしょう。


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それでは、また明日お会いしましょう!

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