見出し画像

自己分析のメモ

大学生のとき、サークルやバイト先で開催される飲み会がキライでした。

10人とか20人とかぐらいたくさん人がいる場で、自分の居場所がなくて、端っこでずっと冷めたポテトを食べてました。

「ああ、俺は陽キャにはなれないんだなあ」「コミュ力のバケモノとかって言われてみたかったなあ」と思っていたんです。

でも不思議と、サシ飲みへのニガテ意識はありませんでした。

その傾向は、直近1〜2年で強化されている感覚があって。サシ飲みだと、自分から誘うこともできるんです。サシ飲みだけじゃなくて、3人や4人での飲み会もちょこちょこ企画したりして。

でも5人以上になった途端、全然しゃべらなくなります。

自分のことが「外向的なのか内向的なのか、ようわからんな」と思っていました。ある友だちからは「お前は陽キャと陰キャの狭間をさまよい続けている」とも言われました。

なんで人数が変わるだけで、これほど振る舞いが変わるのか、ここ1〜2年ずっと謎だったのですが、最近ようやく少しわかった気がしました。

謎を解くために、自分の半生を振り返ってみた

謎が解けたきっかけは、先輩から「編集者として次のステップへ行くために、自分のいまの価値観や思考の源泉を言語化してみるといいかも。たとえば、なんでいまそんな仕事に対して向上心を持っているのかとか」とアドバイスしてもらったこと。

そこで、この前の年末年始の期間で考えてみました。

いまのぼくの生活で、時間でも意識でも確実にいちばん大きな割合を占めているのは「仕事」です。平日は、ほぼ家とオフィスの往復。週末に仕事していることも、珍しくありません。それだけ仕事に対して熱量をもって向き合っている理由は、間違いなく「大学受験の失敗」です。

第一志望だった岡山大学に落ちて、関西学院大学へ行くことになりました。高校の野球部で同期は16人いたのですが、現役で進学した人はみんな国公立に合格したんです。エースだけは、野球をするために私学へ行きました。

つまり現役で私学に「行かざるを得なかった人」は、ぼくだけでした。

ちなみに野球部では、最後の夏は補欠。ぼくは「スポーツ」も「勉強」も負けました。

関西学院大学への願書を出すとき「俺が勝てるのは、もう『ビジネス』しかねえ」と決意したんです。

自分は努力することでしか、成果を出せない

「どうしたらビジネスで勝てるか?」を考えるにあたり、出てきた答えは「めちゃくちゃがんばる」という結論しか思い浮かびませんでした。

大学生になったばかりのぼくの思考を想像してみると、それまでスポーツでも勉強でも、成功体験を積んだのは「たくさんの努力をコツコツと継続できたとき」だけでした。だからその選択肢しか持てなかったのだろうなあと思います。

野球をはじめたのは、小学2年生のとき。地域のソフトボールクラブに入りました。同じタイミングで入ったのは、ぼく含めて3人。男の子が2人と、女の子が1人でした。

あとになって当時のコーチから言われたのですが、入って半年後の時点での実力だと、ぼくは3人のなかでいちばんヘタクソだったそうです。もう一人の男子に負けていたのは、まあ100歩譲っていい。だけど、一般的には女子より男子のほうが体力的には有利なはずのに、女子にも負けていたとは。俺どんだけヘタクソだったんだよって思いました。

でも結局、最終的にそのソフトボールクラブでキャプテンになったのは、ぼくでした。なぜなら、あとの二人は途中で辞めてしまったからです。

あと、小学6年生のときには「学校対抗戦」みたいな大会がありました。そこでぼくは学校の代表のチームで、レギュラーになることもできたんです。コーチからは「お前は続けてから、うまくなったんだよ」と言ってもらいました。

人生でいちばん精神的に追い込まれていた時期

もうひとつだけ「努力によって得られた小さな成功体験」のお話をします。

中学の野球部でもレギュラーになり、そのままの勢いで高校も野球部に入りました。でも高校2年の夏に「イップス」という球を投げられない症状になってしまったんです。

ケガとかそういうことではなく「ボールを投げるのが怖い」という心理的な障壁によって、めちゃくちゃ変なところに球を投げてしまうんです。きっかけは、3年生の先輩たちの最後の夏の大会前に、ぼくがバッティングピッチャーをしていたことでした。

レギュラーだった先輩にデッドボールを当ててしまい、監督から「何やってたんだ!」と怒鳴られたんです。ぼくたちは公立校ではあったのですが、そこそこ野球の強い学校でした。兵庫県で160校あるうちの、ベスト16とか32とかそれぐらい。

それなりに緊迫していた練習の日々のなかで、イップスの症状は出始めました。

キャッチボールをしても、ノックを受けていても、とにかく変なところに投げてしまう。毎日のように、ノック中に「外れろ」と言われて、実際に外されていました。グラウンドに行ったら怒られるので、グラウンドには行きたくない。

一瞬「野球部を辞めようかな」と思いました。だけど当時のぼくには「学校」という狭いコミュニティのなかで「部活を辞めたやつ」というレッテルを貼られる恐怖がデカすぎました。

しかも野球部ってわりと学校のなかで目立つ存在だったんです。辞めたら辞めたらで、悪い意味でそこそこ目立つんですよね。結局「辞める」という選択肢は消して。

野球部は辞められないけど、野球部の練習には行きたくない。

どうしようかと考えた結果「事故にあったら、練習に行かなくて済むな」と思いつきました。そこで、練習の帰り道はずっと自転車で車道を走っていたんです。

さすがに正面衝突したら入院どころじゃ済まないので、骨折ぐらいで済むようにしようとしました。車道の真ん中じゃなくて、ちょっとだけ歩道寄りを走っていました。

何を書いているのかあんまりわからないと思いますが、ぼくもよくわかりません。とにかくそれぐらい、当時の精神状態はヤバかったです。

ただ、1回めっちゃデカいクラクションを鳴らされたときに「あ、本当に死んじゃうところだったかも」と怖くなって、ちょっとだけ我に返ったんです。

そこから「どうにかイップスを治す試行錯誤の日々」が始まりました。

病院に行ったり、YouTubeを見たり、本を読んだり

まずはスマホで「イップス 病院」と検索しました。そこで見つけた、イップスの治療をしている神戸の整体院へ、週に1回通うことにしたんです。

学校からは、電車で30分ぐらい。チームメートには「腰を痛めてるから」とウソをついて、放課後に直行していました。整体院では「球を投げる場面を想像して、緊張で体が硬くなった瞬間に整体でほぐす」という治療をやってもらって。

当時はわらにもすがる思いで通っていたのですが、いま思うとあんまり効果はなかった気がします。

そこからネットでイップスのことを調べまくっているうちに「イップスは心が弱いから発生するのではなく、技術が不足しているから発生する」というブログを見つけて「なるほど!」と思いました。

要するに、心が弱いから悪い投げ方になるのではなく、悪い投げ方だから(成功体験を積めなくて)心が弱くなるという順番です。これが科学的にどこまで正しいのかはわからないですが、ぼくにはすごくしっくりくる理論でした。

それ以来「正しい投げ方」を研究するために、YouTubeを見漁ったり、近所の図書館に通って本を借りまくったりして、徹底的に勉強と実践を繰り返しました。練習が終わって家に帰ったら、庭に張っているネットに向かって、フォームを丁寧に確認しながら投げ込み。それが終わってご飯を食べて、お風呂に入ったあとは、端っこを丸めたタオルを持ってシャドーピッチング。

そんな日々を、2〜3ヶ月は続けていたと思います。

そうすると、部活でも少しずつ相手の胸に向かって正確に投げられるようになってきました。しかも単なるマグレではなく、自分のなかで再現性のある理論をもとにした成功体験なので、少しずつ自信もついてきて。

高2の冬練が明けて、春になることには送球への不安はほぼ完全になくなっていました。

練習試合を見にきていた1個上の先輩からは「お前、投げ方めっちゃ変わったな」と言われました。野球部のコーチからは「お前はスローイングの安定感はあるから、あとは捕ってから投げるまでのスピードを上げろ」と指導されるようになりました。

春以降、練習でも試合でもスローイングのミスはほぼなかったので、同期にぼくがイップスだった時期のことを話しても、全員忘れていると思います。

ぼくは要領が悪い

こんな感じで、ぼくが成功体験を得られたとき、その背景にあるのは、つねに「たくさんの努力をコツコツと継続できたとき」なんですよね。

逆にいうと、ぼくはありとあらゆることに対して、最初からそれなりにうまくやれる「要領のよさ」がありません。

中学でも高校でも、野球部にいるやつってみんな「運動神経」がいいので、体育の授業で無双するんですよね。でもぼくが活躍できるのは、ソフトボールの授業だけ。サッカーとか卓球とかをやると、ふつうに足手まといになります。

「野球」という、日本ではわりと王道で、それなりに運動自慢が集まる競技をやっていたのに、ぼくはほとんど運動神経がありません。小学生のとき、通知僕がオール3だったのに、体育だけ2だったこともありました。

努力の量によって、すべてが決まる

要領の悪いぼくが成功できたのは、努力のおかげ。

逆にいうと、成果が出ないときの理由は「努力が足りなかったから」。

スポーツでも勉強でも最終的に負けてしまったのは、自分の努力が足りなかったからだ。

ぼくの根底には、そんな後悔があるのだと思います。

実際、野球に関しては「バッティングの方法」や「失敗したときのメンタルの持ち方」について、もっといいやり方があったんじゃないかなと、いまになって思います。

勉強も、もっと効率的な勉強法を考えて、もっと自分を追いこめていれば、もっと偏差値の高い行けたんじゃないかなと、こっちもいまになって思います。

でも野球も勉強も、当時のぼくはあのやり方しか知らなかったし、あれだけの努力が限界だった気もしていて。

だからこそ、ビジネスではそんな後悔をしないように「いかに自分に負担をかけて、頭や手を使える環境に身を置けるか?」ということを考えているのだと思います。

「ビジネス」で勝つために、すべてを捧げた

ということで、大学に入ってからはビジネス書を読みまくったり、インターンを始めたりして、とにかく「ビジネス」で勝つための行動をとり続けました。

いわゆる「意識高い系」です。

すると、インターン先でそれなりに成果が出るようになりました。3年生の夏に内定をもらったり、ぼくのアクティブな感じを聞きつけた中学や高校時代の友だちが、ぼくに就活相談をしてくれたりするようになって。

インターンを通じて学んだ「ビジネスの基礎」は「相手のやりたいことや欲しいものを起点にすること」。

相手がいま何を考えていて、どんなことを欲しているのか。それを提供することで、対価としてお金がいただけるのだなということを学びました。

ちょっとだけ成功体験を積んだことで「あ、ビジネスなら勝てるかも」と思ったぼくは、天狗になっていました。いまこうして振り返ると「ちょっとうまくいったぐらいで、調子に乗るなよ」と思ったりもします。

だけど当時は、大学1年のときからやってきたことが、3年かけてようやく実を結びはじめていたこともあって、うれしかったのだと思います。

社会人1年目は、まったく成果が出なかった

調子に乗った状態で、僕は学生時代にインターンでお世話になっていた会社にそのまま正社員としました。だけど社会人1年目は、ビビるぐらい成果が出なかったです。

当時のぼくを一言で言うなら「頭でっかちのプライドが高い屁理屈野郎」という感じ。

学生時代になまじ知識と成功体験を得てしまっていたので、1年目ながら生意気に「ぼくなりの仕事のやり方」に固執していました。

先輩や上司から「こういうやり方のほうがいいんじゃない?」とアドバイスをしてもらっても「いや、ぼくにはぼくのやり方があるんで」と全拒否。

まあだけど、所詮は学生時代にちょっとだけビジネスをかじっただけの思考の深さと実戦能力なので、とうぜん結果は出ないわけです。ぼくなりに思ったことや気づいたことがあってそれを会議で言っても「そこはいまは本質じゃない」と一蹴される。

成果を出していないので説得力がないし、まあ実際にすごく瑣末なポイントを指摘していたことも、多々あったと思います。

そうやってもがき苦しんでいた社会人1年目の冬、いちばん尊敬していた先輩から、あるビジネスセミナーをオススメしてもらいました。

「事実」と「解釈」を分ける

その先輩が実際にそのセミナーに行って効果を感じていました。そこで「お前にも合うと思う」と、オススメしてもらって。

そのセミナーは金土日の丸々3日間を使って、自分が無意識に持っているバイアスを取り除くという内容。こんなふうに書くとめちゃくちゃ胡散臭いし、実際にサイトをみるとめちゃくちゃ胡散臭いです。

だけど「なにか打開策を見出したい」と藁にもすがる思いだったぼくは、尊敬する先輩から勧めてもらったそのセミナーに参加することにしました。

参加費用は、たしか17万円。兵庫から上京してきたばかりの社会人1年目の貯金残高は、10万円ほどになりました。

その3日間でぼくが徹底的に叩き込まれたのは「事実と解釈を分ける」ということ。言葉だけで書くとすごいシンプルですが、これを意識して実践しつづけるのってけっこう大変です。

当時の成果が出ていなかったぼくは、事実に対して「これはこういう背景があるんじゃないか」「相手がこんなふうに言ってきたのは、こういう意図があるんじゃないか」と自分なりの解釈や意見をごちゃ混ぜにして、迷走していました。

でもそのセミナーでは「事実は事実として、そのまま受け止める。ポジティブシンキングとかもいらない。とにかく事実のまま受け止める。解釈を混ぜない」ということを、何度も言われて。

セミナーが終わってからも「事実と解釈を分けること」を意識して仕事するようになりました。

自分の意見を捨てる

「事実と解釈を分けること」と「解釈をしない」というのは、違うものです。

前者は、解釈してもいいけど「この範囲からは解釈だな」と認識したうえで、事実と切り離すことが大切だという話。後者はそもそも「解釈しない」ということです。

ぼくは後者の「そもそも解釈しない」というトレーニングをしました。

頭では薄々「厳密には間違ったトレーニングだな」とは思っていました。たぶん本来は、解釈もしたうえで「ここまでは事実。ここからは解釈と分けること」が正しいトレーニングなんだと思います。

だけど当時のぼくはあまりにも事実と解釈をごちゃ混ぜにしていたので、ひとまず「解釈しない」訓練をするようになりました。

解釈しないとは、言い換えると「考察しない」「自分の意見を持たない」ということ。悪くいえば「自分の頭で考えることを放棄する」ということでもあります。

これだけ聞くと悪い意味になりますが、頭でっかちのプライドが高い屁理屈野郎だった当時のぼくにとっては「ごちゃごちゃ自分の意見を言ってねえで、さっさとやる」という意味で、それなりにマッチしていた気がします。

とにかくぼくは、成果が出せない日々が続くほど、仕事で「誰かの役に立ちたい」「役に立っていると感じたい」という思いが強くなっていました。スポーツでも勉強でも負けたしまった自分は、ビジネスで勝つしかない。

いま目の前にいる人に、どうやって喜んでもらうか?

自分の意見や考察はひとまず脇に置いて、学生時代に学んだビジネスの基礎である「相手のやりたいことや、欲しいものを想像する」に意識を全振りしました。

実際、そこから爆発的な成果につながるところまではいきませんでしたが、ひとまず社内の上司や別部署の人たちとスムーズにコミュニケーションをとって「仕事がそれなりに回る」感覚は覚えるようになりました。

編集者としてパワーアップするために

仕事がそれなりに回るようにはなっていたのものの、言い換えるとそれなりに回しているだけの感覚がもどかしかったです。

そこで自分がいちばんやりたかった「コンテンツ作り」に仕事内容を全振りするため、独立してフリーランスのライター・編集者になりました。

そして、独立直後からお仕事をご一緒させていただいたいまの会社にお声がけいただき、去年の7月からふたたび会社員として働きはじめています。

いまの仕事は「顧問編集者」というもの。うちの会社のお客さまは、全員経営者さんです。「顧問編集者」として付いた経営者さんに、毎週1時間取材。そこでの内容をもとに、noteやTwitterでの発信を支援するというお仕事です。

noteの冒頭で、先輩から「編集者として次のステップへ行くために、自分のいまの価値観や思考の源泉を言語化してみるといいかも」というアドバイスをいただいた理由。それは、いまのぼくの主な課題が

①読者ではなく、経営者さんに意識が向きすぎてしまう
②違和感へのセンサー感度が足りない

だからです。

成果が出ていないときほど、役に立っている実感が欲しくなる

ひとつ目の「読者ではなく、経営者さんに意識が向きすぎてしまう」をもう少し具体的にいうと「読者が読みたいことではなく、経営者さんが言いたいことの優先順位を上げすぎてしまう」ということ。

本来の編集者の役割は、両者が重なり合っているポイントを見つけることです。でもぼくは、つい読者目線が抜けて「経営者さんが言いたいこと」だけを優先してしまう。

経営者にとって本当にいいのは「経営者さんの思いが、読者や世の中に届くこと」。そのためには、ときには経営者さんが言いたいことをそのまま伝えるより、ちょっと切り口を変えたり、言い回しを変えたりしたほうがいいかもしれません。

でもぼくは目先の「役に立っている感」への欲求が強いあまり、経営者さんが「これ言いたいね」と言ったことを「そうですね!」と、そのまま発信しようとしてしまう。そっちのほうが目先の結果だけでいうと、経営者さんからは「言いたいことを言えて満足だ」と喜んでいただけるんですよね。

ぼくが「経営者さん寄りになりすぎてしまう理由」を考えたとき、前職時代の「成果が出ない日々のつらさ」が影響しているんだろうなと思いました。

成果が出ない日々が続くと「自分は存在価値がないな」と落ち込みます。それを回避するために「どうにか役に立っていると、実感したい」という思いが強くなるんです。

この傾向は、2年前に10,000円を払って自己分析したときに「過度なストレスを受けると、過剰に他者に介入しようとする傾向がある」というレポート結果でも言及されました。この傾向は、たぶん「ビジネスでは絶対に勝ちたい!」という欲求の強さが影響しています。

成果が出ていなかったから、ひとまず自分の意見は捨てた

ふたつ目の「違和感へのセンサー感度が足りない」に関しては、たとえば経営者さんのちょっとした言葉の言い回しや仕草、反応から「この経営者さんはどういうパーソナリティを持った人なんだろう」「どういう哲学が根っこにあるんだろう」という、いわゆる相手の「本質」を見出すセンサー感度が、まだまだ足りないということ。

ここのセンサー感度が鈍くなっている理由は、前職のときに受けた「事実と解釈を分けるトレーニング」だなと思っています。

解釈を持たずに事実だけを受けとるトレーニングを続けていると、一つひとつの事実に対して「この出来事はどういう社会背景で起こったのだろう?」「この人はどうしてこういうことを言ったのだろう?」という解釈をする機会が、減っていくんです。

ぼくが受けたセミナーが悪いわけではまったくなくて、本来「事実と解釈を分けよう」ということと「解釈をしないようにしよう」は別の話です。当時のぼくがあまりにも混在して仕事を滞らせていたので「ひとまず自分の解釈や意見、考察は仕事に持ち込まないようにしよう」と仕事のやり方を変えました。

その仕事のやり方が、センサー感度を鈍らせていたのだなと思います。

複数の立場を同時に考えることと、実現することの難しさ

この2つの特徴が、ぼくが「サシ飲みは好きだけど、5人以上の飲み会はニガテな理由」につながったのかもしれないなと、これまでの自分を振りかえるなかで気づきました。大元からたどっていこうとしたら、めっちゃ前置きが長くなってしまいました。

まず「読者ではなく、経営者さんに意識が向きすぎてしまう」傾向って、言い換えると「複数の立場の人を考えるのではなく、とにかく目の前の人への意識が集中しすぎている」という状態なんですよね。

サシ飲みだと、いま目の前で飲んでいる人の気持ちだけを考えればいいんです。とにかくいま目の前にいる人の「この人はいまどういう話をしたいのかな?」「どういう反応をすると喜んでもらえるのかな?」ということだけに意識を集中する。

それを5人以上を一気にやるのって、めちゃくちゃ難しいんです。まず単純に5人とか10人とかたくさんの人の気持ちを、同時に想像するのってめっちゃ難しい。そのうえで、仮にわかったとしても「Aさんが求めている話題」と「Bさんが求めている話題」と「Cさんが求めている話題」がきれいに一致することって、まあありません。

マックス4人ぐらいまでなら、気持ちは想像できるし、求めている話題がそれなりに被ることはあるかもしれない。だから4人までの飲み会だったら、ぼくも「どう振る舞えばいいか」がわかるし、相手が喜んでくれている様子を感じて、ぼくも楽しめていたのだと思います。

でもその規模が5人10人になると「誰の求めている話題や振る舞い」をすればいいのかがわからなくなって、だんまりを決め込むスタイルになっていました。

自分の意見を言わないほうがスムーズに進む

ぼくのいまの2つ目の特徴である「違和感へのセンサー感度が足りない」は、飲み会でどういうふうに表出するのかというと「自分の意見を述べない」です。

ぼくは基本的に、飲み会で自分の意見を言いません。もちろん相手から求められたり「ここは自分の意見を言ったほうが盛り上がるかな」と判断したりしたときは、言います。

だけど基本的に、相手から喜んでもらえるのって、ぼくが「相手の話をニュートラル、ときには肯定的なスタンスで聞き続ける」というときなんですよね。

目の前の相手にいま喜んでもらえることを考えつづけるなかで、それが暫定解になりました。

自分の意見を述べない人にも、サシ飲みでは「相槌」という出番があるんです。それに、相手はずっと「自分の話」をしつづけることができるので、基本的にはぼくがぼく自身の意見を言わないほど、相手に喜んでもらえることが多い。

でも5人以上の飲み会になると「相槌役」ってあんまりいらないんですよね。だれかが意見を言ったら、また次の意見を言う。いちばん声が大きくて強いエピソードトークを持っている人が場を回します。それでもう場が成立しているので、相槌の出番はありません。

その結果、5人以上の飲み会では、ぼくは話さなくなりました。というか、1つ目の「複数人の要求を同時に想像できないし、実現できない」という特徴と合わせて「話せなくなった」という表現のほうが正確です。

だからぼくは、5人以上の飲み会では無口になってしまうのだろうなと思いました。

自分自身の思考や価値観を、言語化していく

ということで、今年は先ほど挙げた2つの課題を改善するために、2つのことを始めようと思います。

2つの課題は「読者ではなく、経営者さんに意識が向きすぎてしまう」と「違和感へのセンサー感度が足りない」。

これらを改善するためには
・経営者さんだけではなく、世の中にも意識を向ける。
・自分自身の意見や価値観を持つ。それを言語化する。

の2つの能力が必要かなと思っていて。

具体的にやることの1つ目は「noteの毎週更新」。

大学生4年生から社会人1年目にかけて、2年間毎日更新をしていた時期もあったのですが、ここ2年ぐらいは投稿頻度を減らしていました。

自分自身の考えを文章というある程度まとまった形でアウトプットする機会を設けることで、自分の思考を言語化したり、世の中を観察したりすることへの意識を半強制的に高めようかなと思います。

2つ目は「毎日3個、気づいた違和感をTwitterに投稿する」。

生活をするなかで溢れている「違和感」を言語化することで、観察能力を高めたり、自分自身の意見を持ったりする機会を増やそうかなと思います。根本的な目的はひとつ目のnoteの毎週投稿と同じなのですが、noteだけだと腰が重くなるかもしれないので、よりライトに投稿できる場があるのはいいかなと思っています。

実際、2つ目の習慣は先週から始めています。

インタビュー相手の思考や価値観を取材させていただき、言語化するお手伝いはしていましたが、そちらに集中しすぎるあまり、つい自分自身の思考や価値観を言語化することをおろそかにしてしまっていました…。

2023年は「読者」と「経営者」の両方の立場に立って、両者が重なるところをバシッと刺せる編集者になれるよう精進していきます!

この記事が参加している募集

部活の思い出

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!