コペルニクス的転回

うちの祖母は変わらない。頑固で、意地悪だ。はっきり言ってクズだ。

自分の家族のことをクズだなんて、思えない。僕はずっとそう思っていた。その思考で今まで生きてきたが、もう限界だ。それはあることがきっかけで思った。(それまでも、噴火しそうだったのだが)

そのあることとは、僕のおばさんが神経症になり精神病院で入院したことだ。祖母からすれば、実の娘だ。子供だ。しかし、祖母に何か変化あるかと思いきや、何も変化はない。おばさんの旦那さんから連絡きたときも、軽い応答で終わる。

僕は信じられなかった。重い話をした次の日には何もなかったような顔している。なんやこのメンタル。やばいほどサイコだ。おばさんはご飯がたべれなくなり、何と脳の萎縮があり会話も不自由になってきてると連絡をもらった時も、人ごとのようだ。はぁ?ムカついたが、もう何も言わなかった。今まで、何十回も話し合ったのだから。喧嘩しても、何言っても変わらない。

僕は、もう何も言わない。そして、自分の中で家族という言葉に縛られていた自分に気づく。いくら家族でも他人だ。思い知った。他人だと思ったら少し肩の荷が降りた。

誰かに変わってほしい、どうにかしないと。そんなふうにぶつかり合うのは、愛情があるからだ。愛情がなければ、赤の他人の色に染まっていき無関心になる。今、僕は休職中で実家にほぼいるが喧嘩することはなくなった。祖母だけに限らず、父、母、妹もだ。家族だか、他人だ。そこまで、頑張る必要はない。距離感が大切だ。

すると、自分が見えてくる。自分という輪郭がみえてきて自由になった気持ちになる。

岸田奈美さんの本のタイトルを思い出した。

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった。

愛する人は自分で決める。

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