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他人の「心」は自分の中にある。人間関係を理解する

他人の心は「自分」の中にある


あなたは周りからどう思われているだろうか

嫌われている?


難しい人?


頑固?

大なり小なり人間関係というのは問題があるものだ


そんなつもりでないのに相手を怒らせてしまったり


いい人と思っていた人が実は○○だったり

相手の考えもわからないし

自分がどう思われているのかもわからない

一度嫌なことをされた相手がどんなに反省しても

心の底から信用できないことはある


例えば、浮気をされた人が相手に「謝る」

「二度としない」と誓う

「あなたが大事。愛してる」と言われたらどうだろう

信用できない人は多いだろう。

1度やったことは2度、3度と考えてしまう


そして、相手の心を知ることはできないからだ

しかし

そもそも他人の「心」は存在するのだろうか?


自分以外に「心」は存在するのだろうか?

自分という人間は自分という内側しか経験できない

自分以外はすべて「他人」

誰も「他人」の心の存在を証明することはできない

アメリカの心理学者デイビット・プレマックは

「心の理論」の獲得について研究を行った

「他人の中にも心がある」と想像できるのは4歳以上。3歳までは「相手の身になって考える」つまり、相手にも自分と同じように心があると考えられない


哲学者デイビット・チャーマーズは思考実験を行った

1人減と全く同じ姿をしたアンドロイドのようなロボットを用意する。
2そのロボットは、笑ったり怒ったり会話したり、人間と全く同じ反応を返すプログラムを入れておく
3ひとたび人間のグループの中にそのロボットを交ぜると、たとえ何年付き合ったとしても、グループ内で「誰が人間で」「誰がロボットか」を見抜くことは誰もできない。自分以外に本当の「人間」は存在するのだろうか?


2人のまとめ

心理学者デイビット

3歳までの幼児が「他人の身になって考える」ことができないのは幼児は「心」は自分の中にしかないものと考えているから

哲学者デイビット

もしも人間と同じ反応を返す「完全なロボット」を創ることができたら「本物の人間」と「完全なロボット」を見抜くことはできない

つまり

自分以外に他人に「こころ」というものは存在しているのだろうか

確認する方法も証明もできない

「自分の心」が思っているだけ


浮気をされた人が相手に「謝る」「二度としない」と誓う。「あなたが大事。愛してる」と言われたらどうだろう。1度やったことは2度、3度と考えてしまう

これは例えだけど、相手ではなく「自分」がそう思っているだけ

他人の「心」は自分の中にある


相手の「心」や事実は存在しない

自分が「他人の心」を「自分の心」で決めつけてしまう


自分の内側の思い込み

人間は自分は嫌われやすいという思い込みをしてしまう。会話をしている際、相手が自分のことが好きなのかということを正しく判断することが極めて苦手

このような思い込みよって相手との距離感やコミュニケーションがとりづらくなり、関係が悪くなる

実際は

人間は自分は相手にあまり好かれていないと思い込んでしまっているけれど、実際は好意を向けてくれていることが多い


まずは「答え」や「事実」を外に求めないこと

自分の内側を理解して思い込みを理解すること

このことを覚えておいて

人間関係の構築を少しだけ頑張ってみよう

人間が「幸せ」になるために人間関係は大事なもの

0reiを読んで自分なりに

最後まで読んでいただいたらうれしいです!!!

ありがとうございました


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