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聖地巡礼記-西安 玄奘三蔵と西遊記。仏教の未来を変えた男

玄奘三蔵こと三蔵法師は
西遊記の主人公としても有名

しかも玄奘三蔵こと三蔵法師は
女性ではなく男です

中国で三蔵法師が女性だと言うと、笑われる
君は歴史を知らないのか!と

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えっ!僕が見た西遊記は
女性が馬に乗ってたけどな~ 

日本では何故か女性に変えられて
物語が作られてしまったからです

日本の西遊記は原作とは、かなり設定が違い
大枠だけ同じで日本風演出がかなり入っている
おいおい って感じです
そのまま信じて大人になり
中国にきて僕は大きな恥をかく(笑)

玄奘三蔵は唐の時代に活躍した人
彼の誕生により
それ以後の仏教史を大きく変えた人物

彼の残した偉業は仏教界にとっても
あまりにも計り知れない程大きいからである

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玄奘三蔵が生きた時代は602-664年 
楊貴妃よりも100年近く前の時代

玄奘三蔵が西天(天竺)
今でいう北インド周辺のエリアへの旅に
向かうのが629年とされている

当時、唐の国を出る事は禁止されていた為
本来なら旅に出る事は叶わないはずだったが
玄奘三蔵は国禁を犯して密かに出国に踏み切る

そして16年間の旅を経て
長安へ657部もの大量の経典を持ち帰った

本来なら大きな罪に問われるところを
時の皇帝の太宗により高く評価され
仏教を政治に利用したい国の思惑もあり

運よく罪を免れた
その代わりに
持ち帰った膨大な経典を漢訳する事に
その生涯と命をささげる事になる

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インドでの経典はサンスクリット語(梵語)
それを漢字へ翻訳作業が必要になる

発音、当て字、色々な表現を駆使し
それまでの旧訳から新訳と言われ
玄奘三蔵が漢訳した経典が
今でも使われ日本にも伝わる事になる

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ただあまりにも膨大な経典の為
玄奘三蔵が生きている間に漢訳されたのは
全体の1/3と言われている
のちに弟子たちが漢訳を引き継ぐ

玄奘三蔵が訳した中で最も有名で重要なのが
「大般若経」16部600巻にも及ぶ
完成させた100日後に亡くなる
まさに天命

大般若経はその後の仏教史を変えた
そして今でも読まれる
般若心経は玄奘三蔵が訳したものだ

そして西域の旅は「大唐西域記」として記され
のちの後に元の時代に
小説「西遊記」としてファンタジーを踏まえて
庶民に愛された物語であり
現代の中国にも脈々と物語は伝わり
海を越え世界へ
そして日本にも伝わる物語
そして僕らのドラゴンボールへと繋がる(笑)

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彼が27歳の時に
国のルールを破り死を覚悟してでも天竺を目指し
仏教を学びに行く熱い想いとは
一体なんだったのだろうか?

生きて帰れる保証はない
何度も死にかけているし
ましてや二度と長安に入国できるかも
わからない

国賊となる覚悟で密かに旅に出ている為
関所も普通には通過できなかったと言われている

西安に来たら
高い城壁に囲まれたエリアの外側
南に位置するところに大恩寺という塔がある

ここは持ち帰った経典を翻訳するために
建てられた場所
今でもそうだが、相当立派で大きな建物だ

この中で多くの弟子と共に経典を翻訳していく
そして玄奘三蔵が触ったかもしれない壁を触る僕

インドで大乗仏教が流行し
玄奘三蔵は
最新の仏教を唐に輸入する事に成功した事が
のちの仏教史に大きな意味を持つ事になる

彼がインドから長安へ輸入ニ成功しなければ
仏教はインドの地で滅んでいたかもしれない

この時代から
随分先にはなるが
1200年代に入り仏教はインドでほぼ消滅する

そして、玄奘三蔵が学んだ仏教大学は
次々破壊されていく
大乗仏教は既に中国に輸入され漢訳され
アジア全体へ広がりを見せていた頃
仏教誕生の地、現在のインドで
仏教は衰退し滅んでいく

ヒンドゥー教の勢力に押されていき
最後の砦となるナーランダー大学は
仏教の灯をチベットへ託す事になる

もし玄奘三蔵が
歴史の表舞台に登場していなければ仏教は
ここまでアジア全域で広がらず
日本にも違う形で受け入れられていた
可能性はある

玄奘三蔵が漢訳した経典だからこそ
原文のサンスクリット語からの
理解や解釈を上手く移行できたともいえる

仏教を学びに行った一人の僧の話には
とどまらない業績なのだ

玄奘三蔵の伝えた大乗仏教の少し後の時代に
密教が注目を浴び勢力を広げ
歴史の表舞台に登場しだす

そして746年頃
インド人僧 不空によつて唐へ
密教も伝えられていく

そして不空から恵果へと引き継がれる密教

密教では師から弟子へと引き継がれる
灌頂を行い継承作業を行う
完全に継承されると
阿闍梨(あじゃり)という称号を与える

大乗仏教にはないシステムがある

師から弟子へ引き継がれるのが
密教の一つの特徴でもある

玄奘三蔵の死から約140年後
長安では仏教は成熟し
最新の密教も兼ね備え長安における
仏教の熱は最高潮に達していく

そんな時代に
日本から遣唐使船にのり
名もなき沙門僧が一人
長安に入唐する

歴史は大きな流れの中で
運命的に繋がっている

日本から彼を待つかの様に
全ての舞台は長安に出揃った

歴史の表舞台に満を持して
空海が登場する

彼の話は次にしたい

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西安で出てくる人物は
日本と縁のある人物が多いのも
僕らの興味を駆り立てる

長安が世界の中心だった頃の華やかな時代の物語

中国の歴史つて面白い!

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