フォローしませんか?
シェア
梶研吾
2022年12月3日 12:08
<”ツーカー”岡村賢二先生との出会い〜"文字"で漫画を"書く"原作者という存在の特殊性と"ブランド力"> 岡村賢二先生との出会いに際して、どうしても書いておかなければならないのが、先述した原作者のタイプに関するエピソードである。 小説家の酒見賢一先生が、某雑誌のインタビューで、「漫画原作者は育てたりするのではなく、どこかにいるのを見つけてくることしかできない」 というニュアンスのこ
2022年12月10日 12:03
<劇画村塾をこっそり聴講する〜小池一夫先生の作劇法の一端と新しい才能の萌芽> 漫画業界の凄まじい"バブル期"の話に行く前に、また少し過去に戻って……。 先述したスタジオ•シップ販売部のOさんとの打ち合わせや、たまに小池一夫先生のマネージャーのOさんからも読み切り原作の依頼をもらったりして、劇画村塾卒塾後も、スタジオ・シップへの出入りは続いた。(この時、マネージャーのOさんから紹介された
2022年12月17日 13:37
<「ファックじゃなくて、ファクシミリとやら」〜狩撫麻礼先輩からの電話> 前述もしたが、社会現象とも言える大ブームを巻き起こしていた新世代のプロレスUWFやシュートボクシングなどの試合を、後楽園ホールを始めとして、様々な会場へ観に行っていた。 たなか亜希夫先輩や、前出の小池一夫先生のマネージャーのOさんも、大のプロレス好き格闘技好きであったので、皆、観戦仲間だった。 共に観戦し終わった後に
2022年12月24日 11:05
<プロ作家の経験の重み〜小池先生と狩撫先輩の”雑談”エピソードに救われる> 幸運にも、漫画原作者としての仕事のほうはすこぶる順調に軌道に乗って行った。 狩撫先輩とたなか先輩の新連載『迷走王ボーダー』も、最初の頃は色々と大変なこともあったようだが、回を重ねる毎に『週刊漫画アクション』の看板作品としての呼び声も高くなりつつあった。 そんな渦中にあっても、たまに、狩撫先輩の車に乗せてもらっ
2022年12月31日 15:21
<各出版社の豪華大パーティ〜黙っていても原稿料がハネ上がり、次々と単行本が発売になる"バブル期"、そして小池一夫先生との創作秘話〉 都立大学と学芸大学を根城にする生活は、漫画原作者としての仕事がそこそこ軌道に乗ってからも、ずっと続いていた。 その頃、漫画業界は、最初で最後のバブル期に向かって(誰もが最後だと思っていなかったが)、華々しく上昇して行く過程にあった。 自分も曲がりなり