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コロナのち、鬱のち、ゼロスタート。


信州伊那谷里山の麓。資本主義経済から軸足を抜いて豊かな森と自家菜園、養蜂、烏骨鶏、山羊飼い、
石窯、薪ストーブ中心のエネルギー生活をしながら幸せを考えています。

【さあ、また始めよう。】


半年前
見慣れた里山、小鳥のさえずり、風が通って肌にあたる感覚、近くを通る車の音、遠くを飛ぶ飛行機音。

久しぶりでもあり、常にあった事でもあり、当たり前の事でもある。つまり、、何十年も忘れていた感覚。。

重度の鬱病と診断され保護入院して塀の中で過ごした。外部から遮断された世界、ある意味守られているが、ある意味監獄のような閉塞感。そこで僕はこれまでやって来た事のいっさいを諦めた。

そして半年ぶりに我が家に帰って来た。

とりあえず、「まだ生きてる。」

はてはて、これからどうすりゃいいんだ?

【始まりの終わり。】


エッセイを書こう。

これを見てくれてるのは飲食店の方かな、それとも地元の方かな?コロナに疲れちゃった人?それとも全然関係ない人かな?まあいいや。

とにかくこのエッセイはパンデミックの中、田舎の飲食店が果敢に立ち向かい、敗れ、ちょっと立ち止まった話が始まり。皆さんもそうかもしれないし、その辺にも吐いて捨てるほどあるような話が始まりだ。

前述の通り、例に漏れず僕もこのコロナパンデミックと戦って敗戦を迎えた。負債総額3500万。

敗因は重度の「鬱(うつ)病」だった。即入院で全てを諦めざる得なかった。

うつ病と言うのはなかなか厄介な奴で、健常者も誰でも「うつ(気分が落ち込む)」な時はあるから、誰でも経験しているごく一般的な病魔である一方で、自殺者のほとんどが「重いうつ病」であるように、ある意味簡単に「命」を奪う病魔ということだ。

そんな僕も危うくコロナとの合わせ技一本で殺られる所だった。ふーー、あぶないあぶない(汗)

でも今は生きてるし、どちらかというと生きる気満々だ(のはずだ!)。

ゼロというかマイナスからの再起だが焦らずゆっくりと再起しなくちゃならない。

だからエッセイストになると決めた。ダメでもなんでも始めなきゃ俺はマイナスだ。1000回ぐらい書けばなんとなく上手になるだろう。エッセイの良いところは無料だ。そして誰にも忖度しなくていい。

よし、それで本を出版しよう。その後はウハウハの印税生活だ。10年続けて55歳。ん〜いい歳じゃないか。

55歳の僕が言ってる「今始めろ!10年後はハッピーだぜ!」

「うん、わかった。」

入院中に思いつくままに書いた殴り書き。
当時はとにかく頑張り尽くした。
頑張って、頑張って、頑張って、
ちくしょー、もう疲れ果てたよ。

【パンデミックの中で。】


2020年冬
「ワクチンが出てくれば!ワクチンこそが切り札だ!そこまで持ち堪えろ!」という、そりゃ何時だ?今年の暮れか?来年か?

そして、2021年ワクチンが開発され一気に国内での接種が始まった。接種率20%!30%!40%!50%! よし、アメリカに並んだぞ!!凄いスピードでワクチン接種が進んでいる。そしてワクチンが足りないという、接種の驚くべきスピードに政府の予想は外れた。そんなこんなで空前絶後のワクチンラッシュが国民の多くに行き渡り、切り札だった最後のカードが切られた。

でも何故だ?飲食店の状況は全く変わんないぞ!お客さん来ないし、宴会の予約入らないし、相変わらず「テイクアウト」を強いられてる。もうなんなんだ?
政府が昨年給付金を200万円出してくれたが、今年はそんな話は一切聞かない。ちなみにうちは200万円の給付金は店を維持するだけで2ヶ月足らずで吹っ飛んだ。

そして皆に言いたい!
皆口を揃えて「コロナが悪い」と言いますが、ほとんどの飲食店は実情金融機関からのつなぎ融資で借金をして耐えている。国も県もコロナ特別融資制度を掲げて助け船を出してくれている。それが実態だ。悪いのは「コロナ」だが、借金を返すのは結局は「コロナ」ではなく「僕ら経営者」にのしかかる。

そして、いつしか「夢」が消えて「借金」を返すための途方もない旅が始まる。その旅の終着点はは10年後か?20年後か??とにかくそこに残るのは、あらゆる時間を仕事に費やし、多売に多売を重ねて、貧しく、冷たい生活で疲れ果てた「自分」と「古ぼけた店舗」だ。

こんなもんが「人生」か?

とまあツラツラと「大いなる言い訳」
ああ、また始まっちゃった。。でもさ、そこまで見えちゃったら「鬱」にもなるよね。

誰か「そうね。」と言ってちょうだい。。

【僕の見た成功者たち。】


僕はかつて敏腕経営者の著書を見たり、会って話を聞くことが大好きだった。何故かって?単純に憧れていたからだよ。資本主義にどっぷり浸かって(漬かって)いたからね。社会に出てからだから23年物のミドル級の漬かりっぷりの資本主義漬けだ。

その資本主義経済の世界で大きな成長を実現している人達の思考回路はどうなっているのか知りたいし、僕もそんな思考にあやかって「豊か」になりたいぞ!と思っていたからだ。そんな人は僕に限らず沢山いるはずだ。だから経営者の本は片っ端から読んだし、自分より強い人に出会うとこう質問した「ここまで成功した理由は何ですか?」と。

そして俗にいう「マーケティング」の話も大好物だ。この世の中、商売をするには「集客」が必ず必要になる。良い物を作ったとしても結局お客様へ届かなければ意味がない。

そんなこんなで異業種・同業に関わらず沢山の書籍を見たり、講演会に参加して沢山の知恵を頂戴して、自分で咀嚼しながら実際の現場(飲食店経営)で実践してきた。

中でも僕に大きな影響を与えた方が、前職で10年間修行させていただいた都内の中堅飲食企業の社長だ。いわゆるワンマン気質のトップダウンな会社だったが、その手腕とセンスは確かだった。和洋中韓と様々なブランドを展開していたが、どれも本当にお料理はもちろん内装やしつらえ、接客に至るまでそこで働いた事が誇りに思えるような店舗の数々だった。

30歳手前の僕は17年前にそこで修行することに決めた。

目標はこの企業の中で「社長と対話できる立場まで行く事」だった。そして、一軒の居酒屋からどうやってここまで登りつめたのか?是非、その経験を聞きたかった。

結局そこまで辿り着くのに9年間かかった。社長のいる「本社」という聖域に呼ばれるためには、とにかく支店で圧倒的な成績を出し続ける必要があった。とにもかくにも9年でその聖域のマーケティング部リーダーとして昇格が決まった。いやーよく頑張った。。。

本社での社長は気迫、情熱、センスの塊のような方だった。だがその一方で(だからこそ??)社長以下の幹部との間には大きな開きがあるように見えた。それは少し寂しげで孤独な感じだった。

それでもコミュニケーションを大切にして昼食や夕食は順々に本社幹部を引き連れて食事に出かけられた。

僕も何度もお誘いを受けお供した。そして10年目にしてやっと願いが叶った。

「社長がここまで成長を続ける秘訣があるとしたら何でしょうか?」

社長は少し考えたあと、真面目に言った。

「そんなの山ほどある。でもあえて言うなら俺も運が良かったからだろうな。」

多分、10年前に僕がこの回答をいただいていたらすかさず「ご謙遜ですね」と返していたかもしれない。でも10年かけて会社や社長の後ろ姿を見て来て、その間も様々な経営者の話や書籍を見て来て、社長からもらったその金言は紛れもない本質だと思った。何故なら結果を残す経営者は皆口を揃えてそう言うんだよ。「俺は運が良かった」って!

誤解しちゃいけないのは「運が良かった」だけではないという事だ。

そこにはこんな隠れたメッセージがあるような気がする。「普通の人の何倍も努力するのは当たり前、溢れる情熱を持つのも当たり前、勝負所で勝負する勇気があるのも当たり前、その上で「運」が良ければ成功するし、そこまでしても「運」がなければ成功できない。だから今俺が成功しているように見えるのなら、それは「運」が良かったからさ」

ガーーーン!!超カッコイイ!! あぁなんて世界だ

一歩踏み出せばそこは自分より努力を重ねた強い奴がウヨウヨしている世界。それでも金言をいただいた僕は10年間勤めた会社(大きな船)を退職し、渡し船で大海に出たルフィのように、小さな船で冒険に旅立ったのだった。

【売上至上主義と利益至上主義の渦。連戦連勝の中で生きてゆく】

僕は28歳で飲食業界に飛び込んだ。15歳で飛び込む人がいるこの業界の職人としてはだいぶ遅い船出だった。それまで何をしていたかと言うと、10年ほど中国という隣国にいた。まあ、そこにはそこで沢山の物語があるのだがそれはまたの機会にお話しすることにしましょう。

さて、まずは皆さんと大いに共感してもらいたいことがあるんです。

サービス業・製造業・建設業に関わらず全ての業種で働く民間企業の皆様へ

「年間でこのぐらいの売上を上げましょう。なので今月はこのぐらいの結果(売上)が必要です。」

月半ばになると・・・

「さあ後半追い込みだー」「これじゃ追いつかない残業するぞー」「このままズルズル行くなよ!対策を打てー」

「今月は目標クリア見えてきたが取りこぼしするな!できるだけ積み上げておいて厳しい月が来ても耐えられるようにするぞー」

なーんて日常送ってません?たぶん多くの人が。

当の僕も社会人になって、製造業・サービス業と渡り歩いた輩ですが、毎日が上記の繰り返しでした。それは雇われる側にいても経営する側にいてもそう。僕の経験だと下っ端から中堅になると更にそんな数字に追い立てられます。

ただ当時はそれをクリアするのが楽しかった事も事実です。頑張れば頑張るほどインプットとアウトプットを繰り返す訳で、そうすると当然成果が出てきます。「昨対100%、103%、105%、」と目標数値を達成することに快感を覚えました。

僕が飲食業に飛び込んだ時代は飲食業界がピークアウトした頃で、まさに携帯電話やコンビニが爆発的に普及し始めて、それまで飲食に使っていた可処分所得が大幅に携帯・コンビニに移動し始めた時代でした。なので業界的には市場の縮小に歯止めがかからず、既存店の昨年対比はマイナスになる傾向だったと思います。

その中で自分の受け持つ店舗が連戦連勝するのは心地よく、またそれが当たり前だと感じていました。(天狗ですね)そのイケイケの中で昨年対比110%を超えると既存の体制では営業が維持できなくなる事を学びました。人員の増員やオペレーションの見直しは前職の製造業の生産管理で学んだ事が大いに役立ちました。

店の売上が好調を維持している間はチームも全員のモチベーションが高く、ほとんどの事が上手く運びました。まさに「売上至上主義」売上が全てを解決する状態です。

その一方で市場が縮小しているので売上が立たない(昨年対比割れがつづく)閉塞感が業界に充満すると、売上が昨年対比を割る前提で「利益」を確保するという動きが活発になって行きます。

俗にいう「コストカット」「コストダウン」が台頭し始めました。

個人的には僕はこの「コストカット・ダウン」は大嫌いでした。「売上」ではなく「利益」を追求する軸に移すと「利益至上主義」となります。食材に関しては本社購買部がその役割を果たすのですが、それ以外の水光熱費・広告費・人件費は店舗の役割となります。はっきり言ってこれらはやろうと思えば能力関係なく、誰にでも出来てしまいます。

だからタチが悪い。

では闇雲に経費削減に走らせるとどうなるでしょう。

まず一番やりやすいのが水光熱の節約です。アイドルタイムの照明は調整する。無駄なエアコンは切る。ガスは種火を消す。水道の蛇口に節水弁を付ける。などなど、まあこのあたりは僕も積極的にやりました。無駄を削減することは環境にも優しいことです。

ただ、

ただし、ですね

声を大きくして言いたい。

「現実は水光熱の節約では大したコストダウンにはつながらない」

21世紀が到来し厨房機器も照明も通常運転で既に限界まで節約できるよう設計されている。上記の節約努力をしたところで100席以上の店舗でもせいぜい月々数千円のコストダウンだ。皆思う「あれだけやったのにこれだけ??」と。

さて、じゃあ残りのコストダウン対象は「広告費」と「人件費」だ。飲食店はどっちも変動費なのでちょっといじるだけで月に数万単位でコストダウンが可能となる。

ただこの二つは強い因果関係があることを考えない奴が多すぎた。例えるならば車のガソリンは「広告」、エンジンは「スタッフ」だ。良いエンジン(スタッフ)があって効果的なガソリン(広告)がハマれば車(売上)は心地よいほどにハイスピードで前進する。

だが知ってか知らずかコストカット命令が下されると、業界は闇雲に人件費と広告宣伝費を削り出した。当然広告費を削れば客数が減る、客数が少なくなればスタッフは過剰になり人員が自ずと減ってゆく。エンジン部分が弱くなれば当然週末や突発的な大入り日の来客を受け止めきれない。接客も料理レベルも低くなり、客数がますます減ってゆく。そうなると更に広告・人件費のカットに走る。スタッフのモチベーションは下がり、やがて不平不満が蔓延する。結果、売上の分母が減った分、利益も同じように減少する。

だから僕は利益ではなく、売上を追ってきた。ほとんどの支店が前年比を下回る中で、前年比を超えてきた。当時の僕にとってはまさに勝つ事が正義だった。成長し続けることが唯一の正義だという確信があった。

だからあの頃の僕は周りの人に質問されたらこう答えた。

「売上が全てを解決してくれる」ってね。

昔話を綴るのは過去の自分との決別か、それとも足跡の確認か。
いずれも年々風化しながらも今の自分を取り巻く環境に感謝。
今日は庭のイチジクがたくさん取れた、生も美味しいが、セミドライに
すると尚美味しい。あの頃の自分へ

「売上もいいけどさ、イチジク最高だぜ。まああと18年すりゃわかるよ。」

【時給600円という現実よ、さらばだ!】

37歳(8年前)僕は立派にアラフォーになれました。

28歳で結婚、子供は2人仕事は現場から離れて本部の管理チームのリーダーのポジション。目標数値も日々向き合う数字も予算も億単位になった。人生がたとえば「企業の幹部になる」というレースだったら、中々のレース展開を演じていたと思う。

ただこの働き盛りのアラフォー世代というのは色々な意味で全人類の折り返し地点だ。知ってた?

この折り返し地点には一時停止線があり、宿があり、温泉がある。皆そこで湯に浸かりながら考える。

「俺の人生ってこれでよかったっけ?」と。

そして宿の旨い飯を食べ、酒を飲んで声高らかに言う。

「決めたぞ!俺の人生こんなもんじゃねえ!俺はこのまま折り返さねえぜ!!」と。

そして翌朝になって、大半の人が昨晩の酒が抜けて賢者モードになると、あらためて思う。

いやいや、俺はこの道で満足だ。リスクを冒す必要なんてどこにもない!ない!」と。

そして人それぞれ人生の折り返し地点で走る方向を決断して走り出す。

僕はというと前者として違う道を走り出した。

酒も飲まずにシラフで「こんなもんじゃねー!!」と思ってしまったわけだ。


都会で独立という選択肢もあったが、時同じくして長野県の両親がやっている飲食店もそろそろたたむという偶然も重なり、ふるさと長野県にUターンして両親の店を引き継ぐことになった。こうして10年間勤めた外食企業を退職し、第2の人生(レース)がスタートした。

最初の一年は父に付き、店の文化を学んだ。2年目には早くも父が引退し僕が舵取りする事になる。

幸い一店舗の売上を上げることに関しては朝飯前だった。そこから破竹の勢いで店が成長して行く事になるが、3年目で手一杯になり、初の社員を雇用することになる。その時に決めた事があった。

それは「法令遵守」すること。

当たり前の事を言っているようだが、実は過酷で参加者が異様に少ないデスレースへの参加だった。

ひょっとして他の業界も同じかもしれないが、こと飲食業の社員においてはサービス残業が常態化している業界だった。サービス残業は当たり前、もっと言うならば「社員のサービス残業」で成り立っていると言っていい。この業界は(たぶんだけど)アルバイトさんは時給制でタイムカードを使っているが、なぜか社員だけはタイムカードを使っていない。

そして社員には出勤簿というプリント用紙が渡され、手書きでその紙にあらかじめ決められた時刻を書いていく。つまり、「この時間内で仕事を完結させなさいよ。それ以上は残業認めないよ。」というシステムがまかり通っている。(タイムカードではこのシステムでは管理上都合が悪いわけだ!)

かくして、飲食店で「人件費を抑える(削減する)」という行動はアルバイトさんの勤務時間を削って社員がサービス残業で頑張る!というスタイルに行き着く。なので常時30人で運営するお店の社員は2人とかになる。28人はいつでも削れる変動費だ。

気がつけばサービス残業が月に100時間を超えるなんてことはザラだった。ある日自分の月給を時間で割ったらなんと時給600円だった!なんてこった!これじゃアルバイト勤務の方が良いじゃないか!!

だから飲食業の退職率はすこぶる高い。まさか時給600円で働いているという事実に気づけばそりゃ辞めてく、納得だ。だがその一方で時給600円でも辞めない社員もいる。それほどに月々の安定した(安いが)月給と社会保険は人を虜にする。

安定か・・・

本当の安定ってなんだろう?

向日葵は良い。どこでも明るくするその能力はどんな芸人よりもスポーツ選手よりも輝いている。
そんな向日葵が世界中に所狭しと咲いたら絶対に世界は明るくなると思わない?
でもさ、一粒の種が育って1本のひまわりで何百の種を残すのに何故に増えないんだろう?
フツーに考えたら増えなきゃおかしい。人が1人で300人産むって事なんだから。
たぶん、向日葵は向日葵で事情があるんだ。
たとえば宇宙人の監視レーダーだったりしてね。ふふふ。

【独立。そして理想を求めて。】

そんな矛盾を抱えながら過ごした修行時代。
法に定められたルールの中で、働いたら働いただけ豊かになるなんて理想を掲げれば変人扱いされ、「扱いづらい奴」「使えねえ奴」のレッテルを貼られておしまいだ。皆、理想と現実の間で悩みながら(先人にビビりながら)前に習えで低賃金労働を受け入れる。

そう、波風立たさないのが日本人の美徳だからだ。

でも、こう考えてみたらどうだろう?
法令遵守できない、サービス残業でヘトヘト。その上低賃金。そんな業界に若い子たちはよりつかない。優秀な人材はそんな業界は選ばない。そんな業界に未来はあるのか?

答えはNOだ。

だから僕は勇者として立ち上がったんだ。
社員給与法令遵守(もちろんアルバイトさんも)。これを独立するときの自らへの条件とした。だから社員もタイムカード制にした。残業は推奨はしないがやったらやっただけ残業代として計算した。

すると驚くべき事態が発覚した。

事業は相変わらずの右肩上がり状態で、社員の月残業時間は平均80時間にもなった。それを正直に計算したらなんと、事業主である僕の月収を大きく越えたのだ!社員を1人ルール通りに雇用するだけでこれだけのインパクトが有るのか!!なるほど・・・恐るべし法令・・・

ちなみに僕自身は社員が入ったことで更にギアを上げて店舗の増設に踏み切った。その時点で自分の報酬を上げることは頭に無かった。

そして誰よりも朝から、誰よりも晩までトップギアで働いた、アクセル全開だ!
増設すると席数が約2.5倍の120席となった。しかし、週末にもなると満席行列という繁盛ぶりをキープするようになる。前にも言ったが一店舗の売上を上げるなんてのは朝飯前だ。

そこからもう1人社員が増え、翌年には更に1人社員が入社した。もち全員法令遵守だ!全員を豊かにしたい!飲食店を夢のある職業にしたい!そう、飲食店スタッフはもっと豊かになるべきなんだ!

その為には更なる「売上」が必要だった。だから僕は売上を求めるのをやめなかった。

「売上が全てを解決する。」それを信じて突っ走った。

だが、もう半年もすると一店舗での売上が頭打ちの兆しを見せた。その年の年商が6000万だった。そこを境に成長が鈍化し、社員人件費が40%を超える月が出てきた。

一応黒字で、周りは豊かになっていたが、自分は益々多忙が増しているにも関わらず。報酬を一切上げなかった。考えがあったからだ。

そして、ついに僕は2店舗目の計画に入った。

今日は畑のいちじくとトマトをカットして天日干し。のはずがあいにくの雨。。。
いちじくはセミドライにすると食感も甘さも別物の美味しさに!
トマトはセミドライにした後にケチャップを自家製で!
赤色ってやっぱり燃えるよね。相変わらず次から次へと食べたい物を作っては食べる生活。






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