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【038】ブッダの生涯-【14】(仏教哲学の世界観第2シリーズ)

5人の比丘、鹿野苑での再会

前回は梵天勧請の後、教えを説き広める事を決意したお釈迦さまが、誰にこの教えを説くか考えました。
初めはお釈迦さまが師事していた二人の修行者、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタに教えようと思ったが、神からの報告によりすでに亡くなっていたことがわかりました。
そこでかつての修行仲間だった5人の比丘の元へ行くことにしました。

今回はお釈迦さまが向かった5人の比丘のいる「鹿野苑」についてと、その再会について解説されています。


このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
主な教材は仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座の内容をまとめています。
もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはX(Twitter)などでご指摘いただけると幸いです。

あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。


ブッダの生涯14

https://youtu.be/BLW9cEUQhgk?si=9ae5MiCp7yYvZtEg

AIによる要約

このビデオのスクリプトは、お釈迦様が初めて説法を行った歴史的な旅について語ります。お釈迦様は、苦行を行っていた5人の比丘たちに向けて、悟りの地ブダガヤから約200キロ離れたバラナシの鹿野苑(サールナート)へと旅をします。この場所で、仏教が誕生し、お釈迦様は彼らと再会し、彼らの心を開き、最初の説法を行います。このエピソードは、仏教の4大聖地の一つとして、お釈迦様と比丘たちの関係、そして教えの始まりを象徴する重要な場所であるサールナートの歴史的背景と意義に光を当てています。

学習した事

5人の比丘のいるサールナートへ向かう

梵天からの要請に応えて説法の旅に出たお釈迦さま。
途中出会ったアージーヴィカ教のウパカとの会話では上手くいかなかったが、本格的に説法を行うために昔馴染みの比丘たちのいる場所へ向かう。
悟りを得たブダガヤからバラナシにあるサールナート(鹿野苑:ろくやおん)という場所へ。

サールナートは仏教の4大聖地の一つであり、現在でも仏教徒の巡礼団が連日訪れている。

  1. ルンビニ(生誕の地)

  2. ブダガヤ(悟りを開いた地)

  3. サールナート(初めての説法)

  4. クシナガラ(涅槃=死去した地)

距離は200キロほどの距離を徒歩で向かった。
このバラナシのサールナートがお釈迦さまが初めて説法を行い仏教という宗教が誕生した場所である。

悟りを開いたブダガヤからサールナートまで約200キロの距離

バラナシとサールナートについて

このバラナシ(Baranasi)という場所はかつてはベナレス(Benares)と呼ばれていたが、これはイギリスによる植民地時代の名残であり、正式名称はバラナシである。
近年はこのような植民地時代の名前を元の名前に修正する動きがあり、このバラナシも現在ではこの正式名称で呼ばれている。

ここではガンジス川に入って沐浴をすることで有名な宗教的な都市となっている。
ここは2500年前でも同じように宗教的な街であり、お釈迦さまが訪ねた5人の比丘達がいるのも必然であったと言える。

https://www.his-j.com/oe/detail/T31/?area=O1&country=IND&city=VNS&product=VNS0015

このバラナシの一画に「サールナート」と呼ばれる場所がある。
現在では美しい公園となっているが、おそらく当時においても過ごしやすく、自然のあるのどかな場所であったとされている。
この場所では鹿が生息しており、このことから「鹿野苑」とも呼ばれている。

かつて袂を分かつた5人の比丘たちとの再会

ここにお釈迦さまが訪ねる5人の比丘がいた。
ここで言う「比丘」はこの段階では仏教の僧侶という意味ではなく、広くお布施をもらって生活している修行者という意味である。

彼らは苦行者として生活していた。

かつてはお釈迦さまも苦行仲間であったのだが、その内容が無意味であることに気づいて去っていった。
残った比丘はお釈迦さまが落ちこぼれて堕落したのだと思い見限っていた。
そのまま彼らは苦行を続けることにした。

その後、ついに悟りを開いたお釈迦さまがやってくる。
当然5人の比丘たちはお釈迦さまを蔑み、

ゴータマは贅沢好きで、厳しい修行を捨てた奴であるから、近くに来ても立って挨拶するなどしないようにしよう

このように示し合わせた。
ところが、近づいていくるお釈迦さまの素晴らしい立ち振る舞いを見た途端に思わず立ち上がってしまい、敬服して挨拶してしまう。
さらに鉢と衣を受け取り、座をしつらえて、足洗いの水と足布巾を用意してしまった。
これは客人を丁重にお迎えする際の礼儀であった。

なお、僧侶は旅の時には托鉢用の鉢の他に3着の布を持って歩く。布の一つは正装用の体に巻きつける重い布なので、僧侶の旅とはそれなりに疲労の溜まるものであった。

5人の比丘たちとの問答

こうしてお釈迦さまは5人の比丘たちと再会した。
その際、お釈迦さまはこのように言った。

今後、私のことを「ゴータマさん」とか「あなた」と呼んではならない。私はあなたたちの指導者になるのですから。

こんなことを言われてしまえば当然5人の比丘たちは反発する。
贅沢好きで厳しい修行を捨てたのだからと非難する。
こうして3回の問答の末に、お釈迦さまは
出家の本懐、すなわち
「なぜ我々は出家するのか。その本当の目的を説き示す」
そのため、まずはとにかく先生だと思って話を聞きなさいと語った。

そこまで言うのなら、と5人の比丘たちは一度お釈迦さまのお話を聞いてみることにした。

こうしてお釈迦さまを教える側、5人の比丘たちを教わる側としての体裁を整え、生まれて初めてのお説法に挑むことになった。

それは、人に対して自分の考えを納得させるという事である。

感想

200キロを徒歩で移動とはすごい距離。
今とは違って道路も整備されていないだろうし、野生動物とか野盗・山賊とかいなかったのだろうか。(まあ何も持ってないけど)

ガンジス川で沐浴するというと、例のバラモン教のカーストにある「穢れ」を川で落とす概念だろうか。ヴェーダにある内容でカーストの理論武装はもっと後だったような気もするが今ひとつ時系列がはっきりしない。

Googleマップで見てみると、サールナートからガンジス川まで8キロ程度。
ちょっと歩きだと距離があるけど5人の比丘たちもここで沐浴していたのだろうか。

そもそもインドの仏教にガンジス川での沐浴は習慣としてあったのだろうか。

今回は古代インド紀行といった感じで面白かった。

それにしても、お釈迦さまは現れていきなり「私を先生と呼べ」というのはなかなかに大胆だと思うのだが。
たまにそういう有無を言わせない強引な人っているよね。と思った。


次回は「ブッダの生涯15」 (仏教哲学の世界観 第2シリーズ)
バラナシの鹿野苑にて5人の比丘たちとの再会を果たしたお釈迦さま。
初めての説法が始まります。


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