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神様に嫁さんを寝取られてシングルファーザーになった話 その1

こんちわ。
東京で映像クリエイターをしているKENと申します。
先にお断りしておきますが、このnoteは自分自身のメンタル上のリハビリを目的としています。
認知行動療法とかいうやつじゃないかと思います。

もう本当にインプットが多すぎて出すもの出しとかないとパンクしますしね。


何が起きたのか?

表題の件、一言でいうと嫁さんがヨガの修行で出家してしまい、離婚してシングルファーザーになった。ということです。
「神様」と書いてみたけど、実際は神様というよりグル(師)であるし、寝取られたわけではないけど、実際に心を奪われた事は確か。

本当に寝取られたわけではない!と思いたい…!


2021年の暮れに専業主婦の妻が突然離婚を申し出てきた。

理由は出家して悟りを開き、サマーディを達成したいから。

サマーディとは「三昧」だったり「解脱」だったり人によって言い方が異なるのであまり正確な意味はわからない。
とりあえず生死を超えたなんかスゲー世界?に到達することらしい。


で、僕と彼女の間には5歳の娘がいるが、その子も捨てて(本人曰く「託して」)富山にいるグルのもとで修行したいとのこと。

彼女の言うことを要約すると

  • サマーディの成就を目指したい

  • この世はすべてマヤ(幻)なので修行してそこから脱出する

  • 修行があって働けないのでほとんど養育費は払えない

  • 修行先でも常に家族の幸せを祈っており、それは必ず現実になる

  • いつか出家した私に感謝する日が来る


一方で
「グルと抱き合うとセックスするよりも遥かに気持ち良いの」

とも言っている。

このセリフを離婚前にキッチンで聞いた時、目の前が真っ暗になった。
同時に以前僕が彼女のグルに直接会った時にハグされた時の感触・・・
70過ぎのオッサン?のお腹の贅肉がぶつかったブニョっとした感触まで蘇ってきた。

気持ち悪い。
吐き気がする。
なんという破廉恥な。

もうだめだ。この人は完全に「あっち側の人」になってしまった。


どうしてこうなった?

思えば出会った頃、彼女はまだヨガインストラクターを目指していただけで、神秘主義とかスピリチュアルなものに傾倒している節はなかった。
僕もヨガというのはヘンテコなポーズをとるエクササイズの一種だと思っていた。
バリ島でライセンスを取るというので面白そうだと思った僕も途中から合流し、約一ヶ月バリ島で過ごした。
この頃は後に現在のような状況になるなんて、1ミリも想像だにしなかった。
マジでどうしてこうなった?

結婚し、娘が生まれ・・・そしてラージャ・ヨガ。

その後結婚し、沖縄で結婚式を挙げ、娘が産まれた。
仕事は大変で家庭を守るプレッシャーに押しつぶされそうになりながらもなんとか協力してもらい毎日を過ごしていた。
結婚前は自主映画とかMVとかも作っていたけど、それもやめた。

娘が1歳を過ぎた頃だったと思うが、妻はある瞑想系のヨガ団体に参加しはじめた。
ここで初めて瞑想をメインに行うヨガの存在を知った。
ヘンテコなポーズをとるのは「アーサナ(座位)」といって、要するに良い瞑想ができるように普段から体調を整える健康体操のことだった。
結果として、エクササイズであることには違いなかったわけだ。

この瞑想メインの団体はインドに本部があり、ラージャヨガというジャンルだった。ラージャ、とは「王の」という意味で自らの精神を王様のように支配、というかコントロールするヨガらしい。
間違っていたら誰か指摘おねがいします。

この団体の教えによると、15年ほど(2030年ごろ?)経つと世界は崩壊を迎えるので、それまでに瞑想で魂を浄化しようというほぼ終末思想を持っていた。
別に某オウムみたいに危険な思想ではないが。ではないが・・・ううむ。
あと、菜食主義+五葷(ニラとかニンニクなど匂いのある植物)を抜く生活をしており、元妻もそれに従った。
なので、細かい話だが外食や日常の食事が面倒になった。
彼女は胃腸が弱く肉が苦手というのもあったで、本人としては合理性もあったんだと思う。
また、明け方になると一人で起きてスカイプを使った団体のお祈りの言葉を聞く習慣もあった。名前は忘れた。

彼女は基本的に全身白い服を着て修行に通っていた。

高齢者メインの参加者もみな白い服を着るようにしていた。
あと、参加者はほとんどが女性だった。これはインドにある団体本部自体が女性の駆け込み寺的な位置づけから始まった名残りで、創始者は男性だが、現在の代表は女性になっているはず。

若手で熱心に通っていた彼女はついにインドにある本部で行われるイベントに参加することになった。

当時娘は1歳と半年くらいだったと思うが、2週間ほど僕一人で娘を見ることになった。

インドのヨガ団体本部への招待

インドの本部は大学のように色々な施設があり、彼女は「テーマパークみたいだった」と言っていた。
巨大な講堂やドーム状の瞑想ルーム、ゲストハウスや農場、レストランに浄水施設なども備えていたそうな。

彼女はそこで各国の政財界や科学者、アーティストなど影響力を持つ人々を招待して団体の事を知ってもらうイベントに参加したのだった。
彼女は洗礼?的な事はまだ行っていないので正式なメンバーではなかった。そのため、団体の最も重要な施設までは入れなかったそうだが、それでも代表者のお言葉などは涙が止まらないほど感動したそうだ。

ちなみに僕は、というと娘を抱っこしすぎて腰を思いっきり痛めた。後にこの腰痛には2年ほど苦しめられた。

彼女の帰国後、更に熱心にヨガ活動を行い、都内の区民ホールを利用した一般向けの大きなイベントにも参加した。
その時、僕は彼女の活動を応援すべく一肌脱ぎ、イベント用の映像を作ったりしていた。
富士山の本栖湖でも彼女をモデルに「瞑想の方法」ビデオを撮影し、編集し、イベント用の映像を作り上げた。
(編集で思いっきり派手なオーラのエフェクトをかけたりして我ながら笑ってしまった。)
イベント会場でも本番のオペレーションを担当した。

活動は続くかと思ったが

イベント映像を作るにあたって僕はそのヨガ団体の色々な面を見た。
参加者は基本的に善人である。悪意のある人は一人もいない。
だが、その運営方針や意見の相違は激しく争っているように見えた。

平和の主張をしている割にはどうも穏やかさに欠ける。
これはアレだ。ビートルズでも喧嘩別れする、ってやつだ。

終末思想や人間の性愛を否定する姿勢、内部の険悪さ(というほどでもないが)について僕は疑問を持ち、その話を彼女に聞いてみた。
最初はそんな事無いと言っていたが、次第に違和感を感じるようになったようで、彼女も団体とは少しずつ距離を置くようになっていった。

お引越し

娘は2歳になり元妻は職場に復帰するようになっていた。
仕事をするからには娘を保育園に入れたいのだが、これが全然見つからない。
当時は「保育園落ちた 日本死ね」なんてフレーズが話題となっていたが、ご多分に漏れず自分の地区でも待機児童問題があった。
ここでは行政の運営する保育園が2つしかなく、他はほとんどが民間だった。自宅のすぐ裏にも楽しそうな保育園があったので入園を希望したが、なんと100人待ちの状態だった。
妻が頑張ってあちこち探し回り、ようやく自転車で15分くらいの場所にある保育園に入れることになった。
ここも保育園不足で急遽公園の一角を潰して作った急造の保育園だった。
僕も保育園の送り迎えをしながらしばらく過ごす日々だった。

妻のヨガ活動はほぼ休止状態で、勤め先でヨガイベントを行う準備をしていた。普段の仕事的には受付業務だったが、彼女の特技とライセンスを生かしてヨガ(のアーサナ)を指導する意欲的なイベントだった。

ところが残念ながら直前になって企画自体がキャンセルになった。
この時の彼女はとても残念そうにしていた。
今思えばもう少し慰めてあげればよかったと後悔している。

そんな事もあった頃、家計が悪化していた。
原因はやたら高額な家賃と僕の仕事嫌いだった。
当時の僕は好きな自主映画やMV制作が全くできない状態でふさぎ込んでおり、仕事もストレスが溜まることが多くモヤモヤとしていた。
そのくせ家庭を維持しなければならないプレッシャーにも負けて無気力な日々を送っていた。

そこで彼女の提案を受け、もう少し家賃が安く近くに幼稚園が(今の場所よりはあるであろう)郊外に引っ越すことにした。


過去の回想に入ってしまい、文章が長くなってしまったので一旦ここまで。
次は引越し先での生活とコロナ禍の始まり、そして新たなヨガ団体との関わりが始まる。


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