見出し画像

大きな脚本コンクールで受賞後のチャンスを活かしきれなかった話(前編)

脚本を仕事にすることを目指す上で、すでにプロとして活躍している方、志望者向けのアドバイスを書いてくださっている方などたくさんの文章を読みました。

で、ふと思ったのですが、
「脚本コンクールで大きな賞を取ったけど、そこからの失敗談」みたいなものを書いてる人って、案外いないのでは・・・

成功した人が語る成功のプロセスは読みたいと思うし、失敗したらわざわざ失敗したって書きたくないだろうしね。でも、失敗を振り返ることで自分に得るものもあると思うし、それを誰かに伝えることの意味もある気がするので、ちょっと書いてみようかな、と思います。

一応「TBS連ドラ・シナリオ大賞」の大賞もらってるんで、失敗談を語る資格はあるでしょうきっと!

賞を取る前のこと

応募した2015年当時、僕は映画やドラマの助監督をやりながら合間に脚本をちびちびと書き進めてはコンクールに応募する日々を送っていました。
2011年にS1で佳作をもらったあと、城戸賞、ヤンシナ、伊参などいろんなコンクールに応募したけど箸にも棒にも引っかからず、そもそも2013年にフリーになって始めた助監督の仕事は超多忙で、2年経ってようやく、ほんの少し仕事に慣れてきたかな、という頃でした。

当時は配信ドラマが少なかったこともあり、映画とテレビドラマの垣根がもっと明確にあったように記憶しています。映画を志して業界に入った自分はテレビドラマを見ていた本数も少ないし、あまり関心もなかった、というのが当時の正直な状況です。
商業映画監督を目指していたので(今も監督したい気持ちはありますが、それを生業にしようという気持ちはないです)脚本を学ぶことを「監督を目指すためのプロセスの一環」と捉えていました。

そんな状況でなぜ連ドラの脚本を対象にしたコンクールに応募したかというと、
・たまたまコンクールの応募期間のスケジュールが落ち着いていた
・映画の企画として考え始めた物語がどうも長く膨らんでしまい、さらにオチを思いつかなかったので「ドラマの1話目としてコンクールに出してしまおう!」
という、そこそこ乱暴な理由からでした。

webサイトで一次通過、二次通過・・・とだんだん候補作が減っていくのをみるのは興奮しました。
とうとう最終に残ったのを見た時は、仕事帰りの路上でガッツポーズして飛び上がったのを覚えてます。
最終審査の前、助監督の仕事がハードすぎてもう心が折れそうな時に、電車移動がつらくて短距離だけど乗ったタクシーが「このタクシーに乗った人は成功する」って有名なドライバーさんだったことも覚えてます。
最終審査の結果の電話は仕事が忙しすぎて取れませんでした。でも、TBSのコンクール事務局を名乗る留守電が入っていたので、きっと何か賞を取ったんだ、と確信してその日はずっとそわそわしてました。家に帰ってメールを確かめて、そこに「大賞」の二文字を見て、妻に即報告しました。電話で聞くんじゃなくて、スマホで見たメール画面の小さい二文字だったのをなんだかよく覚えています。

受賞作『ライフ・タイム・ライン』への思い入れについては、またいずれ。

しかし何であれ、
映画監督を目指していた自分が、テレビドラマの脚本家の賞をいただくという、(とても幸せなことだしめちゃめちゃちゃ嬉しかったですが)今思えばねじれた状況ではありました。

受賞したときのこと

授賞式ではずっと名刺交換をしていて、食べ物を一切口にできませんでした。あの時、ローストビーフ食べたかったなと今も思いますけど、それよりその時もらった名刺がめちゃめちゃ大事だったんだなということを、のちのち思い知ることになりました。

その後、勉強会と称してテーマに沿って書いた短編を数回にわたって講評していただいたり、
企画を一緒に作りませんか、と声をかけてくださったプロデューサーの方がいらっしゃったり、
連ドラの脚本に参加させていただいたり、とさまざまなチャンスをいただきました。

しかし、今振り返ってみると、当時得たチャンスを十分に活かすことができたか?というと、なかなかうまくいかなかったな、というのが正直なところです。
とはいえ、巡り巡って今こうして脚本の仕事をさせていただいているのは受賞の影響がもちろんあると思います。
「賞をとってもあんまり意味なかった」ということではなく、受賞によって得たポテンシャルを活かすだけの準備が自分自身にできていなかったな、という、そういう話です。

受賞した時はほんと、「これで人生変わる!」というか「軌道乗ったわ」というか、もっと言えば「勝った」くらいに思ってました。
もちろん受賞しただけで上手くいくなんて今振り返ったらあり得ないし、別に当時油断したり思い上がったりしてるつもりはなくて、これから頑張らなきゃ、って気を引き締めてるつもりでした。

でも、TBSのドラマは面白い!って、映画をメインに仕事してる自分の耳にも聞こえてくるくらい好評で、1年間くらい働かなくても大丈夫な賞金をもらって、受賞というでっかい看板を手に入れて、「これでどうにかなる!」って本気で思ってたんです。

さらに受賞した2016年、若手映画監督を育成する文化庁の事業「ndjc2016」の育成監督に選ばれました。ずっとやりたかった監督がやれる。作品をたくさんの人に観てもらって、劇場公開もされる。
これはね、もう、「これで人生次のステージ行けるぞ!」って、思わずにはいられなかったですよ。ですよ!!ほんと!!
はじめて自主映画を撮ったのが大学2年生の2006年だったので、10年頑張ったからここまで来れたんだ、って、ほんと思いました。

でもまあ、今思えば足りてないことだらけでしたね・・・

長くなってきたので、続きはまた書きたいと思います。


追記:
つづき書きました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?