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リビングで何をしていますか?

このコロナ禍で家族との時間が増えました。
というよりも意識することが増えたというべきか。

休日なんかも大して外出できるわけでもないから、
おうち時間が増えるのは必至です。

生活を共にするとは何でしょうか?

ひとつ屋根の下にいるので、
たとえば、いっしょに食事する。
たとえば、いっしょに宿題をする。

とはいえ、何でもかんでも、いっしょのことをする必要はなく、
たとえば、私は本を読み、妻は新聞に載っていたクロスワードをし、
息子は創作のキャラクターを書いていたり。

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(私は立川談志の本を読んでました。「人間の業」について
落語のようなデザインをしたいと常々思っています)

読書に没頭してふと息子の気配を感じました。

あぁ、一所懸命のときはこんな顔するんだ、
とか普段見せない表情が見えたりします。

家族だけに許している表情や振る舞いと
私が知らない各々の社会での振る舞いや態度が
この空間に共存しているかのようでした。

家族だけの空間とは、
実は公私が行き来する空間でもあるのかもしれません。

そしてこの時間は、スマホなんかがなると終わっちゃう。
「そこにいない」人とつながってしまうと崩れてしまいそうな
柔い関係でもありますね。

もとい。語らずとも伝わることがある。
人と人との間合いというか、気配って、不思議です。

気配がわかれば、気配りができる。
やさしくもなれる。
漢字で書くと一目瞭然でしたね。

家は、おそろいのことをするだけではなく、
甘えた顔を見せるだけではなく、
社会でのふるまいを訓練している表情を見せる場でも
あるのかもしれません。

練習の風景は見られると
ちょっぴり恥ずかしいものですもんね。

一切合切を許容する家がデレデレする建物となろうか。

リビングはLivingと書くだけあって、
みんな各々に生きていく場所でもあるんですね。


そういう場所でありたいですね。

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