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15才  #思い出の曲

10代のころ

10代のころ
歌を作るのが好きだった

歌うのは下手 と自覚してたけど
授業中や 電車のなか
至るところで
頭の中を 詞とメロディが流れた

それらを 忘れないように
何度も繰り返し 丸暗記して
あとで 譜面に書いていった
何曲あったか わからない

わたしには A=440ヘルツから
半音 低い「ほぼ絶対音感」がある
音をドレミで覚えるのは
苦ではなかった

音の世界が 好きだった

18才で ヤマハのポプコン
県大会ステージに立ったのが
最初で最後の 晴れ舞台になった

20才を過ぎ

故郷を離れ
職に就き
いつのまにか
歌は生まれなくなった

音楽好きは 続き
合唱団に入るとか
声楽を学ぶとか
違うかたちで
音の世界にいた

ざっくり言うと
ポップスやフォークソングから
クラッシックへ 引っ越した感じ

愛用していたギターは
今はもう 手元にない
いつになっても 悲しい現実

保育士だった時を終え
実家近くに移り住み
こどもとふたり暮しの いま

いま 

なぜか 昔 作った歌たちが
頭のなかを流れる

わが子が 13才

しゃれにもならないことに
昔 生まれた メロディたちは
詞とともに かわらないまま
わたしのなかで 流れる

その曲のひとつ
「15才」

どうして覚えているんだろ?
譜面 もうないのに

気恥ずかしいことに
実年齢に 関係なく
「この歌がしっくりくる」ことを
認めざるを得ない

わたしのなかのわたしは
15才のまま 止まってる
そんな曲が 何曲も…

それが わたしの
#思い出の曲  たち

いつか

この曲たちを
もう一度 譜面に書きとめようか…?
そのときは 来るのか? 来ないか?
わからないけれど
いまも
わたしの中に 流れてる


以下 #思い出の曲  15才 より


「15才」

またひとつ 小さな星が
夜の中から こぼれ落ち
あなたの笑顔も きのうのままに
さみしげに消えてゆく

何が悲しかったの
わたしには言えないくらい
わからない 答えて お願い
わたしのこころは 15才

ごめんね なんにもしてあげられなくて
あなたのそばで 生きられなくて
もっと早くわたしが 気づいていたなら
なくさずにすんだかも

涙がかれたら あなたの
生まれた場所へ ゆくつもり
なにもできないと 思うけど
見つめたい 感じたい

空へつづく 夜の道を
どんな気持ちで のぼったの
わからない 答えて お願い
わたしのこころは 15才

ごめんね なんにもしてあげられなくて
あなたのそばで 生きられなくて
もっと早くわたしが 気づいていたなら
なくさずにすんだかも

何が悲しかったの
わたしには言えないくらい
わからない 答えて お願い
わたし いまも 15才

 ( lyric by kei )


進みたい進路を閉ざされた

という経験をした
それが 15才 中学3年生

そのとき わたしの中のわたしは
自分はもう止まった
と 感じた

15才 ギターを抱えて


でも 現実には 生きてる自分がいて
消えてしまった 止まったはずの自分に
私自身が問いかけている

そんなコンセプトの 詞と曲

当時 中学3年生なので
そう いろいろ考えたわけではなく
ただ 「生まれた」
それだけの曲

それがいまも
しっくりくる

どれだけ時を重ねても
あの15才のときの
喪失感と
止まったままの時間

その中にいる自分に
いまも 問い続けている…と
これを 書きながら気づいた

15才の自分 帰れない時間

せめて
その歳を生きる いまのこどもたちが

自分の夢に向かえますように

願います

夢に向かって!




たくさん読んでくださって
ありがとうございます♪
こんなふうに
自分のことを書いたのは 初めてで
ちょっとドキドキしています

ありがとうございます♪ けいちゃん


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