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知彼知己 百戰不殆 ▶️ 己を知る、、。
こんにちは。
ケイジ4世です。
先日書いた『孫子の兵法』にある『知彼知己 百戰不殆』について『彼を知り』については私見を書きました。
で、その時長くなりすぎた感があったので『己を知れば』の部分についての私見をまたまた書いていこうかと思います。
この章の全文はこうです。
『知彼知己 百戰不殆』
『不知彼而知己 一勝一負』
『不知彼不知己 毎戰必殆』
で、意味がこう。
『彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず』
『彼を知らず己を知れば、一勝一敗する』
『彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし』
と、思ったのですがよくよく考えたら、これは色々な方々が書いてらっしゃいますので、それに書くことはやめておきます。
『不知彼而知己 一勝一負』
なので、二分目の『彼を知らず己を知れば、一勝一敗する』について書いていきます。
一文目を全うするために当時の軍師は、地図を見て、実際に土地見て周り、民から情報を聞いて、時には星を見て、将や兵の性質や状況をみて、といったように敵軍も自軍も情報収集と推察を重ねて戦争に臨んだことでしょう。
今の情報過多な時代と違って情報を掴むのが困難な時代では、敵軍や戦場などの情報を掴むのは相当大変だったのだろうと容易に想像できます。
自軍や関しての情報、置き換えれば自分のことは今よりもシンプルだったのではないかと思います。
なので、敵の情報をリサーチしないと言うことは単に過信だったり、怠惰だったりといことを示しているのではないかと推察します。
それに引き換え、むしろ私は『己のことが』意外とわかっていないかも。。。
『中国文明の凄さ』
そもそもこの『孫子の兵法』というのは紀元前500年くらいに書かれたものです。
日本ではまだまだ土器を作っていましたね。縄文時代です。
書物どころか稲作すら伝わっていません。
そんな時代に今でも参考にされている考え方が考案され、書物として残されているのです。
当時は既に儒教を始め、様々な考え方や教えが生まれていました。
また、『孫子』よりもかなり昔から、『三略』とか『六韜』を書いたとされる太公望呂尚はなんと紀元前1000頃ですから、中国の文明の凄さには驚きですね。
だって中国4000年の歴史ですからね。
▼歴史についてまとめてます。
良かったらこちらも。。。
なんだか、取り留めのない記事になってしまいわかりづらかったかも知れませんね。
なんかすみませんでした。
また読んでやってください。
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