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出勤!中間管理職戦隊ジェントルマン 最終話 求知と遊戯 【15,16】

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【 15 】

 新たに現れたアルケウスを見て、アゲダシドウフとナンコツは驚愕した。
 四足歩行の個体は、風船のように楕円形に膨らんだ胴体部分を持っている。そこから伸びる頭部はさらに特徴的だった。目や耳といった感覚器官に似たものはなにもなく、ただ上下に裂けていた。すべて口といって差し支えない。しかし開口したところで、その内側も黒い霧だ。舌や牙に似たものはなかった。
 もうひとつの個体は人間のように二本の脚部があるが、腕にあたる部分はない。頭部もあるとは言えない。すべて背中と呼んだ方が近いだろう。そして異様に太い尾を備えているのが最大の特徴だ。頂点から滑るようにして臀部にいたり、尾の先端までなめらかに繋がっている。
 その二体が、ハイボール大佐の一団から距離を取るようにして左右に展開した。

「三方向、囲まれましたね」
 ナンコツは不安を隠さない。
「保身と防衛のが正面にいますから、四方向ですよ。矢じり型ですね」
「やたら冷静じゃないですか、博士」
「我々のほうが強いですから」
「その自信はどこから?」
「千堂くんがいるからです」
 博士自身はサングラスを装備していない。携帯でも使わない限り連絡を取り合うことはできないが、彼女の鷹の目を心から恃んでいるのだろう。
「それに、エスよりもスーパーエゴのほうが上です。そうでなければ人類の文明社会など、とうに崩壊していますよ。ふたりとも、あの化け物を見て、人類の社会性の到達地点だと思いますか?」
「いや、まったく」
「気持ち悪いです」
「そうでしょう。人間の欲望は醜い。醜いがしかし、本能の一部です。ほとんどの動物には本能しかありません。もし人間が本能だけを剥き出しに生きたら、あらゆる動物に負け、捕食されるでしょう。フィジカルでは最弱の生き物ですからね。本能に抗い、本能を手なづけて、社会を生み出したのが人類の生存戦略です。社会がなければ他の生命を制圧できないんですよ。私たち人類は」
 ボンネットから立ち上る白煙の大半は、大穴から上階へ抜けていくが、供給される量がわずかに多く、天井を這うように広がっている。
「だから、エスの化け物に、スーパーエゴが負けることはないんです。つまりジェントマンは、あらゆるアルケウスを倒せるということです」
 そのとき、大音量で警報が鳴った。火災報知器が作動したのだ。抑揚のある電子音が鼓膜を突く。
「ジン!」
 博士が張り合うように大声を発した。
「お前の企みは必ず阻止する! それが俺の仕事だ!」
「失った右目が疼いているよ。はやくお前の希望を奪ってしまえとな!」
「一生言ってろ!」
「お前がな!」
「お前だよ!」
 スプリンクラーが作動し、天井から大量の水が噴き出した。白煙を打ち消したシャワーは、鳥カゴ状の線を描きながら床に衝突して飛び散る。降り積もった粉塵が水を吸い、泥状になり、流されては戻ってきて右往左往している。

 三体のアルケウスは同時に動き始めた。
 剛腕のそれは、バンの残りの車体を叩き潰し、その破壊力を誇示した。四足歩行のそれは、狙いを定める猛獣のようにゆっくりと足を進め、最後の一体は直立したまま長い尾を立て、先端を不気味なほど遅く振り回している。

「さあ、ジェントルマン。出番ですよ」
「と言われましても」
「ど……どれからいきます?」
「どうせ全部敵なんですから、どれからでもいいでしょ」
「ずいぶん簡単に言いますけど……」
「なにか問題でも?」
「博士を守らないといけないので」
「それは問題というより課題ですよね」
「守られる側の人がそれ言います?」
「だって三体同時に攻撃すればいいじゃないですか」
「こっちはふたりしかいないんですよ」
「あれ、気づいてなかったんですか?」
 スプリンクラーが白衣を濡らす。
「もうすでに、三人揃ってますよ」

 横から見る博士の犬歯は、やはり異様に白かった。

【 16 】

『いまです!』
 天井の大穴からトリカワポンズが飛び降りた。その直下には、ちょうど剛腕のアルケウスがいる。彼は、首のあたりに取りつくことで、ハンマーの死角の位置を得た。
『ナンコツさん、向かって右の個体へ。アゲダシさんは左へ!』
「は……はい!」
「了解!」
 千堂の指示どおり、ふたりは敵との距離を一気に詰める。
 トリカワポンズは敵の太すぎる首に脚をまわし、身体を固定すると、両腕を頭部にむかって振り下ろした。右、左、右、左とその速度を上げていく。
「くらえ! いやいやぶんぶん!」
 スーツの補助を得て極限まで加速した両腕は、すでに人間の視覚が捉えられるスピードを超えていた。転圧機のような超振動が伝わり、アルケウスを構成する黒い霧がわずかづつ散っていく。それを嫌って腕を振りまわすが、ハンマーは届かない。

 ナンコツの接近を感知した個体は、その長い尾をムチのようにしならせた。先端はもはや目で追うことは叶わない。唸りを上げて迫る尾を、しかしナンコツは宙に浮くことで躱す。彼のつま先をかすめるようにして空を切った尾は、受付カウンターを粉砕した。
「竜巻旋風脚!」
 ナンコツは片足を突き出し、高速回転することで揚力を得た。もとの跳躍の速度がそこに加わり、水平に飛行する。スプリンクラーの放水を巻き上げ、文字通りの竜巻になって襲いかかった。アルケウスは尾を引き戻そうとするが間に合わない。遠心力を最大まで高めた蹴りが胴体にめり込んだ。

 接近するアゲダシドウフに対して、四足歩行のアルケウスは積極的に対応した。間合いに入ったと見るや否や、彼に飛びかかったのだ。それを予測していたアゲダシドウフは、ふくよかな身体に似合わぬ俊敏性で床を転がり、第一撃を躱す。躱しつつ、彼は計算していた。空振りしたアルケウスが着地する、その真下に位置していたのだ。
「双掌底!」
 土俵入りのような屈伸姿勢から、蓮華が咲くように合わせた両の掌底を叩き込んだ。まったくの無防備な部位は、全ダメージを漏れなく受け取り、アルケウスは跳ね飛ばされて天井に激突した。破裂した蛍光灯が白い粉を撒き散らす。

『決めますよ! 三人同時に!』
「いくぞ!」
「もちろん!」
「がってん!」

 アゲダシドウフのサングラスから、銀色の光が溢れる。

内部告発


 ナンコツの全身を、輝きが包み込む。

横領発覚


 トリカワポンズの影は、光のなかに溶けた。

懲戒免職


 光の怒涛は警察署を飲み込み、駐車場を飲み込み、周辺の街を飲み込んでいった。早稲田一帯は真昼よりも明るくなり、その輝きは遠く房総半島からも確認できたという。

 三体のアルケウスは、条件を失った蜃気楼がその姿を消すように、あっけなく光のなかへ溶けていった。黒い霧すら残らなかった。


 水浸しになったリノリウムの床に、それでもまだスプリンクラーは新たな水を送り続けている。その噴射音と、断続的に鳴る火災警報が、残った者の鼓膜を刺激する。蛍光灯がずいぶん減ったせいでロビーは薄暗く、所々がまだらに照らされているだけだった。

「これでわかったろう」
 博士は白衣が纏わりつくのも構わず、二歩三歩と足を進めた。
「ジン、お前は俺には勝てない」
「勝ち負けにこだわっているようだねェ」
 ハイボール大佐もゆっくりと歩き出す。スプリンクラーの真下を通るとき、ダウンの表面がバタバタと音を立てた。両者は近づいてゆく。
「勝ち負けにこだわっているのはお前のほうだろ」
「私は少し違うねェ。この場での勝敗なんてどうでもいいのさ」
「どうだか」
「最終的に、お前が一番大事にしているものを奪えればそれでいい」
 博士は歩みを止めた。それに呼応するように大佐も立ち止まる。
「ジン。お前はもうすでに、俺から研究を奪ったじゃないか」
「研究なんかで代わりになるかねェ。ヒロシ、お前が俺から奪ったものは、なんだと思う?」
「右目だろ」
「……人生だよ」
「大袈裟な。お前生きてるじゃないか」
「化け物としてはねェ」
「エスエナジーを浴びて化け物になったのなら、それはお前の本能がそうさせたんだ。人のせいにするな」
「ふっ」
 大佐は顔を伏せた。前髪から雫が滴る。
「相変わらずだねェ。自分の興味のためなら路傍の石をどけるが如しだ。ヒロシよ。お前のほうがよほど化け物だよ」
「そうか」
「だから私はお前を見習う事にしたんだよ。化け物が化け物を参考にするのは自然だからねェ。そのために私は、グルグルを完成させた」
 博士の眉が下がる。
「そこまでして実行したいのか。あれを」
「止めるわけがないねェ。お前の理論に基づいて、結晶化したエスエナジーを燃料に、物質転換をする。それを実現するのがグルグルだ。お前より先に完成させてしまって悪かったねェ」
 博士はふたたび歩き出した。水膜の張った床を踏むたび、靴から波紋が生まれる。白衣の袖から伝わる水が、強く握った拳を通り、その床に流れた。
「俺が絶対に阻止する。お前のやろうとしていることは、世界を滅ぼすのと同義だ。この世の全ての人が、生きる希望を失う」
「それは偏見というものだねェ」
 ダウンのポケットに両手を突っ込んだまま、ジンは近づいてくる元親友を見据えている。
「偏見なんかじゃない。お前は右目を失ってもまだわからないのか!」
 ヒロシの右手がジンの襟首に伸び、乱暴に掴んだ。ダウンの表面から水滴が跳ねるように落ちる。ジンは表情を変えない。
「偏見だねェ。世の中の七割はこしあん派なんだよ」
「そんなデータ信じない」
「悲しむのは、たった三割なんだよ。お前はそのひとりだがねェ」
「グルグルはそんなことのために存在するわけじゃない!」
「造ったのは私だからねェ。どんなことに使うかは私が決めるよ」
「やめろ!」
 より力を込めて、ジンの襟を引き寄せる。
「そんなに嫌かねェ。全世界のつぶあんのつぶを、タピオカに転換されることが」
 ヒロシは総毛立った。
「世界が……滅ぶぞ」
「お前が始めたことだろ」
 両者の顔が近づき、そのわずかな隙間を流水が洗ってゆく。
 ジンの補助具は、近すぎるヒロシの目を見ることができない。しかし彼はその表情を知っている。高校生の時、ヒロシの部屋でそれを見た。

「あの。お取り込み中、すいません」
 アゲダシドウフの恐縮しきった声がする。
「博士あてに電話が入っているんで、そちらに渡します」
 スピーカーフォンに切り替たスマホを、アゲダシドウフはカーリングの要領で投げた。水膜のうえを滑走したそれは、ちょうど博士の足元で停止した。
『あ、博士。千堂です。聞こえますか?』
「……聞こえている。なんだ?」
『あの。ご挨拶をしようと思って』
「挨拶?」
『はい。いままでお世話になりました。本当に、わからないことだらけで、頼れる助手ではなかったかもしれないですけど、たくさん教えていただき、ありがとうございます』
 博士は大佐から目を離し、足元のスマホに視線を移した。ガラスについた水滴のせいで「千堂彩」の文字がゆがんでいる。
「……どういう意味だ?」
『ずっと待っていたんです。気づいてしまった日から。博士にバレないようにプログラムに手を加えて、少しづつ準備をしてきました。ずっと待っていたんですよ。この機会が来るのを』
「……機会とは?」
『はい。二体の半アルケウスが極限まで接近し、三人のジェントルマンに包囲されている状況のことです』
 博士は周囲を見回した。
 右にはナンコツが道頓堀グリコのポーズをとり、背後ではトリカワポンズが十字架の姿勢を、左には風神雷神のように身構えたアゲダシドウフが空中に浮いている。
 サングラスから溢れる白銀色は、もう十分に彼らを包んでいた。

「そうか。ヒロシ、お前……」
「……違うぞ、ジン。俺は違う」

 ヒロシは首を振る。前髪から水滴が飛んだ。

『さようなら。博士』

 合作技が炸裂する。

同じ穴の貉


 輝きが渦を巻き、ヒロシとジンを包む。全方位から注ぐ光は互いの影を消失させ、彼らの視界を奪った。

 警察署の敷地にある全ての物体から影を奪ったあと、エネルギーの放出先を求めるかのように、光は直上方向へ収斂されていった。

 天を貫く光の柱は、遠く中国大陸からも視認でき、龍が昇る姿を見たという報告が相次いだ。また、国際宇宙ステーションからも確認されたが、科学では説明のつかない現象のため、各国は機密事項として扱った。


 静かになったアクアリウムが、ポニーテールを柔らかく照らしている。
 モニターの中央に表示されていたふたつの円。ほとんど重なり合っていたオレンジとホワイトのそれは、合作技の発動からほどなくして、画面から消えた。

「お世話になりました。本当に」

 千堂は、モニターに向かって頭を下げた。


最終話 完
エピローグ


電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)