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出勤!中間管理職戦隊ジェントルマン エピローグ

<4,200文字・読むのにかかる時間:8分>

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「横島本部長」
 呼び止められたトリカワポンズは振り返った。エレベーターホールのほうから部下の女性が近づいてくる。彼女は心持ち、駆け足になっていた。
「新設の帯広支部ですが……」
「希望者が足りないんだろう?」
「ご存知でしたか」
「まぁ、だいたい予想はね」
 ふたりは会話を重ねつつ廊下を歩き、人事本部長のオフィスに入った。
「旅行するにはいい場所なんだけどね。暮らすとなると二の足を踏むのはよくある話だよ」
 デスクのイスに腰掛けるトリカワポンズ。彼のもみあげには白髪が混じりはじめている。
「……冬が、厳しいですからね」
 部下は苦笑してみせた。
「みんなそう思うよな。でも住居内は快適だからね。下手すると本州の冬より過ごしやすいんだけど。”北海道転勤は二度泣く”って言ってね」
「二度泣く?」
「そう。命じられたときに転勤がイヤで泣く。そして離れるときにイヤで泣く」
「離れがたいってことですね。それホントですか?」
 笑うと右側だけえくぼができる。
「まことしやかに語り継がれているよ。さて、希望者がいないからといって、道東に拠点は必要だし、とはいえ辞令ひとつで無理やり転勤させたくはない。なにか考えないとね」
「はい、本部長。そう思っていくつか提案を用意しました」
 目を丸くするトリカワポンズ。
「さすがだね。美咲くん」
「ホントですか。嬉しいです!」
 ラジオパーソナリティを引退したエレオノーラ美咲はいま、トリカワポンズの部下として人事本部で働いている。
「でも、コストが掛かってしまうんですが」
「人を動かすにはコストは掛かるよ。財務本部長もそのへんは理解があるほうだと思うけどね」

 そのとき、オフィスのドアを誰かがノックした。入室してきたのはアゲダシドウフだった。週二回のジム通いの成果も虚しく、ふくよかさが増している。
「あ、松永本部長。お疲れさまです。いまコーヒーをお持ちしますね」
「大丈夫だよ。これがあるから」
 アゲダシドウフはタンブラーを軽く持ち上げた。
「人事本部長と違って、僕には気を使わなくていいからね」
「なんでいきなりイヤミなんだ」
「では私がお茶でも淹れましょうか。トリカワポンズどの」
「それは地下にいるときだけでいいって。なにしに来た」
 アゲダシドウフはタブレットを持参していた。
「今期の活動報告に載せるって言ったでしょ。横島本部長のインタビュー記事」
 トリカワポンズは手のひらで顔をこする。
「そうだったっけ」
「わかりやすいくらいに忘れてたね」
「いや、忘れてない」
「じゃあ、総務本部へお越しくださいませ」
「いまから?」
「アポ取ってあったでしょ」
 上司の視線を受けて、美咲は小さく頷いた。
「はい。十時から、総務の広報課でインタビューの予定だと、先週ご自身で仰ってましたよ」
「そうだっけ。気の利いたこと、なんにも考えてないぞ」
「気の利いたことはセンスの問題なんで、考えても無駄だよ。ありのままでいいんだって」

 ふたりの胸ポケットには、財団法人クィンタ・エッセンチアのバッジが光っている。
 世事に無頓着だった阿佐ヶ谷博士の時代は、彼の建てたこのビルは空室だらけだった。しかし今はすべてのフロアで人々が行き交っている。その面々が例外なく身につけているのは同じバッジだ。
「おっ。おふたりさん。どちらへ?」
 上階から降りてきたエレベーターには、ナンコツが乗っていた。最近買い替えたばかりの、オランダ製のメガネが光っている。
「アゲダシのオフィスでインタビューなんだよ」
「トリカワを? なんでまた」
「そりゃ、広く人材募集するためだよ。メディアの露出も必要なんだよ。報道される以外でもさ」
「人選、逆効果じゃないの?」
「おいこら」
「そこは編集の妙で」
「なんで失言前提なんだよ」
 降下をはじめたエレベーターのなかで三人が肩を揺らす。
 そして同時に、それぞれの左手首で、リング型スマートウォッチが通知音を鳴らした。
「おや」
「おお」
「なんと」
 まったく同じ動作で手首を持ち上げ、画面を確認する三人。
「インタビューは、一旦お預けですな」
「残念。またの機会に」
 アゲダシドウフはジャケットの内ポケットからキーケースを取り出した。慣れた手つきで操作パネルに鍵をさし、小さな扉を開ける。そして地下三階のボタンを押した。

 天空へ伸びる光の柱が消失し、山吹警察署が本来の姿を取り戻したとき、二体の半アルケウスの姿も消えていた。跡形もなく、という形容は馴染まない。彼らの立っていた場所に、その名残があったからだ。
 水膜のうえに、小さな水生生物が伏していた。
 スプリンクラーが作りだす水飛沫を浴びながら、カーテンのような尾びれをときおり痙攣するように動かし、口をゆっくり開閉している。
「出目金……か?」
 トリカワポンズが両手で掬うように持ち上げると、左右に大きく飛び出した眼が、半球のなかでしきりに回転した。
「……大佐」
 ようやく視力を回復した黒霧島は、自分たちが敗れたことを知った。金属パイプが彼の手から滑り落ち、高い音をたてて転がる。両膝をつき、天を仰ぐように両手を広げ、スプリンクラーの噴射を浴び続けた。
 グルグルを通してすべてを見ていた白霧島は、自分たちの末路を予見し、慌てて水槽部分を破壊して姿をくらませた。
「さて、お前はどうする?」
「けけ?」
 唯一残った保身と防衛のアルケウスは、立場の不利を悟って取引に応じた。今回の襲撃事件を手引きした首謀者として、黒霧島と白霧島を警察に売ったのだ。黒霧島はロビーであっさり再逮捕されたが、舞鶴市内で白霧島が身柄を確保されるのは、四日間の逃走劇のあとである。
 それでも保身と防衛のアルケウスは結晶化しなかったため、ジェントルマンは阿佐ヶ谷研究所へ連れ帰った。

「さて、この出目金をどう解釈すればいいのか」
 ダイニングエリアに置かれたバケツの中で、水生生物は、裾の長い尾びれを涼しげに揺らしている。トリカワポンズは首をひねった。
「エスエナジーは検出されませんでした。アルケウスの類ではないですね」
 千堂の眉尻は、心なしか下がっているように見えた。
「なんていうか。どことなく似ていませんか」
 腹をさすりながら、アゲダシドウフがつぶやく。
「僕も、そう思ってました。似てるって」
 下がってもいないメガネのブリッジを押し上げながら、ナンコツが言う。
「……これはあくまで仮説なんですが」
 千堂が意を決したように話し出した。
「エスエナジーの結晶を大量に集めると、爆発的なエナジーを得ることができ、物質転換さえ可能にするというのが博士の理論でした」
「ハイボール大佐が目指してたやつだな。死ぬほどくだらなかったけどな。世界中のつぶあんのつぶをタピオカに変換するという」
「しかしながら、スーパーエゴエナジーで同様のことが起きても不思議ではないかもしれません」
「ふむ」
「博士と大佐は、人間の部分を色濃く残した半アルケウスでした。消滅するのがアルケウス部分だけだとしたら、人間部分を構成する物質はその場に留まっていたことになります」
「ということはつまり……」
「ジェントルマンの合作技が物質転換を引き起こし、分解された物質を再構成した結果、ひとつの生命体が残った……と」
 三人の開いた口はしばらく塞がらなかった。
「仮説ですよ。あくまで」
「いや、ありえる。つぶあんは要するに小豆で、タピオカだって芋だろ。かなり親和性が高い。まだらに残った人間部分をふたりぶん編みなおしたら、小さな生命体くらいできてもおかしくは……ないよな?」
「僕の脳では処理できませんが、目の前にいますからね」
「そうだよね。博士の白衣のような尾びれと、大佐のような眼を持った生き物が、現実に……」
 世間を騒がせた一連の事件が、結局のところ高校生の親友同士の喧嘩に過ぎなかったという事実を、口にできる者はいなかった。
 出目金は涼しげに泳いでいる。

 エレベーターの扉が開く。地下三階にあるたったひとつのドアを通ると、巨大なアクアリウムが彼らを迎えた。その色は、ツツジのような鮮やかな赤だった。

 クィンタ・エッセンチアの活動は大きく三種類にわかれる。
 第一に阿佐ヶ谷研究所から引き継いだ財産を運用して、運用益を得ること。
 第二に、それを原資に、被災地への支援や復旧活動をおこなうこと。具体的には、避難所への救援物資の流通、避難所そのものの設営、仮設住宅の迅速な建設などが該当する。特に彼らが開発した仮設住宅カートリッジは革命的な変化をもたらした。平常時はコンパクトに折り畳み、積み重ねて保管することができる。非常時にはコンテナでまとめて輸送し、被災地で組み立てるだけで住宅になる。
 第三に、人間社会の中に偶発的に発生するエスエナジーの怪物、アルケウスを退治すること。何らかの要因で地域内のフラストレーションが極限まで高まると自然発生することがある。人類は歴史のなかで、幾度もアルケウスの攻撃を受けてきた。しかし、細菌学が成立する前にウイルスの存在を知覚できなかったように、人類はそれを認識していなかったのだ。だがようやく、その知見を得つつある。彼らはその最前線にいた。

「お疲れさまです。早いですね」
 クィンタ・エッセンチアの代表が微笑む。
「それに、みなさん揃った状態で来るのは久しぶりじゃないですか」
「エレベーターで乗り合わせていたもので。たまたま」
「しかし、ここに来ると緑茶が飲みたくなるなぁ」
「ここじゃなくても飲んでるでしょ」
「なんか上だとコーヒー飲んじゃうんだよな」
 談笑する彼らの足元を、アルマジロのような小動物が横切っていった。
「お。アルちゃん。元気か?」
「けけ」
 小動物はアクアリウムのガラス面を器用に登ると、後付けの給餌口からイトミミズを流し込んだ。気配を感じ取ったのか、どこからともなく出目金が泳いできて、それを丸呑みした。
「博士も元気そうでなにより」
 ツツジ色の溶液内で、カーテンのような白い尾びれが揺蕩っている。

「さて、出動だろ? 千堂さん」
「はい。そのとおりです、トリカワさん」
「今度はどこだ?」
「ネパールです。カトマンズ南部。攻撃と対立のアルケウスが一体、十二分前に具現化しました。人口密集地に向けて移動していますが、周囲の避難はまったく進んでいません」
 千堂のポニーテールが白衣の上で揺れている。

「どこへでも行きますよ」
「ネパールか、初めてだな」
「ヒマラヤ山脈見てみたかったんですよ」
 トリカワポンズは肩を回し、アゲダシドウフは腹をさすり、ナンコツはメガネのブリッジを中指で押し上げた。

「では、ジェントルマン出動です」

 溌剌とした千堂の声が響く。

「さあ、衝撃に備えて」


 完

電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)