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地方のまちづくりに、こどもが参画するメリットとは?

最近、ありがたいことに地方自治体やまちづくり関係の団体からいただく講演テーマで多いのが「こども参画まちづくり」

細かな実務は、下記ご参照頂き、ぼくが感じてる「こども参画まちづくり」のメリットを紹介します。

1.まちにとってのメリット

①未来志向

まちにとって、こどもがまちづくりに参画するメリット1つめは未来志向です。

地方、特に都農町のような過疎地域においては、まちづくりや自治会の協議に参加する人は高齢者が主流。

ぼくが考えるまちづくりの要件のひとつは、

子どもたち、孫たちが健やかに住み続けられる環境やしくみの企画と整備

なんですが、高齢者が、子どもや孫世代の時代まで見据えて考えるかと言うと、目先のことになりがち。自分の子どもや孫はかわいいので(ぼくもそうです!)、気持ちはあるけれど、、、

高齢者が未来の当事者として考えるのはむずかしい

と思います。
こどもたちが参画すれば、

自分たちが大人になった状態を想像するので、自然と未来志向になる

②担い手

2つめのメリットは担い手の確保。

祭りで神輿の担ぎ手がいない
イベントの準備する人がいない
草刈りする人がいない

とか、担い手不足が地方の課題。

国や自治体が少子化を憂いて、まちづくりに魅力的な政策や予算をつけたとしても、実行するプレイヤーが圧倒的に不足しているのが過疎地域の現状。

ぼくがいる都農町でも、祭りやイベントを運営するプレイヤーはだいたい決まってます。どの打合せ出ても、会うのはいつものおなじみメンバー 笑。

昔からやってた人がそのまま歳を重ねていくので、青年部といいながら余裕で60代だったり。

肉体的腕力を除けば、こどもはおとなと変わらない戦力として貢献します。特にアイデア出したり、つくりもの作業はおとなを超える成果も。

ただし、単なるお手伝いやあそびの一種としてのこども扱いせず、話し合いから対等に参画し、実行準備にも積極的に加えていくことが必要です。

③Uターン

3つめのメリットはUターンの可能性です。

こどものころから、おとなと対等に、まちのことを考え、アクションを起こしていれば、当事者意識、いわゆるシティズンシップやシビックプライドも芽生えやすくなります。

ポイントは、

祭りやイベントなどの非日常体験ではなく、
話し合いなどの日常体験を増やすことです。

まちづくり、というとわかりやすい建物・空間づくりや、祭り・イベントに目が行きがちですが、まちづくりのベースは、日々、

まちに関することを継続的に考えて話し合う習慣性

だと思ってます。

その最たる場が学校である。
と、ぼくは考え、都農中学校の総合学習を各学年15時間いただいて、まちづくりをテーマにした探究学習をしています。

2.こどもにとってのメリット

①総合的・探究的

こどもにとって、まちづくりに参画する1つめのメリットは、

まちづくりが総合的・探究的な学びにつながること。

いま、学校教育においては、探究学習の充実が言われています。

ただし、学校内部だけで、探究学習を増強できるかというと、日ごろ中学生の先生たちとご一緒してても限界はあると実感してます。

いまの労働環境や、これまで先生たちがやってきたこととのギャップから見て、探究的な学びのカリキュラムをオリジナルでつくっていくのは質的にも量的にも難しそうだなぁと。

まちづくりは、定義が曖昧、範囲が広く、正解がありません。でも、みんなにとって必要であり身近なことなので、探究と相性がいいと思ってます。

ぼくらの場合は、町に提案したグランドデザインの10の視点から子どもたちが興味あるテーマを選んで、関連する町の人から直接、魅力や課題を聞き出して探究をスタート、その後、ぼくらと企画を練り上げ、最後は町の人たちに課題の解決案を提案してます。


②起動力

2つめのメリットは、起動力が身につけられることです。

起動力をわかりやすく翻訳すると

「あ!いいこと思いついちゃった」の言い出しっぺです。
「この指とまれ」をするやつ。

なにか新しいことを起こして、人や周囲を動かしていく力が、これからの時代、ますまず必要になります。一人の会社経営者としても、採用する上で、もっとも重視している基準です。

まちづくりには多数の利害関係者がいますし、どの地域にも長年の歴史、伝統があります。したがって前例踏襲になるがゆえ、何も変わらず、あたらしい人にとってはなんの魅力もなく離れていく、そんな負のサイクルが高速化しているのが現状。

そんな状況を打ち破るには、誰か一人のバカ者が言い出して突っ走るしか、まちが変わる、新しいことが起きるきっかけはないのではないでしょうか?

③多様性

地方、特に過疎地域で子育てをしている方々と毎月の話し合いの場で聞いたこと。1学年10人とか少数だと、1年生のときのキャラで、その後の6年、9年が決まってしまう。一たび外れたらずっと苦しいポジション、みたいなことを聞いてシリアスだなと深ーく共感。

世の中がこれだけ多様化、ダイバーシティと言われている中、過疎地域のリスクは究極の同質性かなと。もちろん、そのことが子どもが育つ環境としては、安全・安心で、みんなで支え合えるというメリットはありますが、こと、これからの社会への適応能力の醸成という観点でいくと、課題に感じてます。

かつ、過疎地域の場合は完全な車社会。学校と家庭の往復以外で、気軽に友達とも会える距離ではなく、学校の先生、同級生と家族だけの生活といっても過言ではありません。

そのような状況で、まちづくりに関わる機会、役割が日常的にあって、公民館など第三の居場所がつくれれば、同じ町内とはいえ、高齢者やぼくらみたいなヨソ者をはじめ、いろんな属性の人と接点が増えるので、そのこと自体が多様性にはつながるのではないかと。

3.まちづくりと教育を重ねる

どうすれば実現するのか?
なぜ実現していないのか?

まちづくりと教育の分断が原因のひとつとぼくは思ってます。

組織的には、行政のまちづくり部署と教育委員会・学校の分断。
人的には、役場職員や民間のまちづくりプレイヤーと、教育委員・学校教職員との分断。

学校が悪いわけではありませんが、多くの教職員は県採用で市町村に配属されるため、その町の出身者であることは少ないです。

かつ、小さな町になると、PTAに会うことを回避したり利便性を考え、その町には住まず、近くの少し大きな町に住む人も多いようです。

その町に生まれても住んでもいない先生に、その町の日常や未来について想いをもって伝えていくのは結構むずかしそう、と推察。

役場職員や民間のまちづくりプレイヤーにとって学校の敷居は高く、何か用がないと(自分の子どもがいるとか)入りにくいもの。

さらに、行政予算はすべて縦割りのため、まちづくりと教育を一体で取り組むということがむずかしいしくみです。

こども参画まちづくりを実現させていくために、まちづくりと教育を重ね合わせることが必要。

地道な積み重ねでしかありませんし、できたとして小さな一地域で終わってしまうでしょう。

なので、全国で同じような問題意識を持っている方々とは積極的につながって、相互に横展開しあえたらいいなと思っています。

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