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推進力と傾聴の調和に関する自身のもろさ

▼正しさのinputによる弊害。正しさなんて本当はない。

このごろ本を読んだり、ブログを読んだりとさまざまなことをinputしている。

大抵は人の意見が書いてあるようなビジネス書なので、「こういう考え方あるのかー」という学びが多い。

そうすると、頭の中が「正しさとはなにか?」ということで支配される。

人を見ると、その人の考え方や行動に対して、自然と、

その人は正しいことをしているのか?

という観点でみてしまう。

これは 「自分自身の思慮が深まっている」という面や、「自分の考えを持っている」という面では良いが、「人へのリスペクト」に欠けてしまうことがしばしばおこる。

またそもそも「正しさ」というものは架空のものであり存在しない。

これはここ最近の僕であり、このごろ葛藤であった。

▼人に求めてしまう自分の弱さ

今日、ここ最近の人へ求めてしまう自分のエゴな部分に、1日向き合っていた。

ノートに悶々とここ最近の感情を書きながら、そこから溢れ出る願いを言葉にすると、
「正しさを他者に伝えること・求めること」で、「自分の成し遂げたいことを成し遂げようとするエゴ」が出てきた。

▼「前に進む推進力」と「傾聴しながら願いを叶える力」

数ヶ月前、人を評価してしまう感情に自覚的になり、他者と話したり関わるときに、自分の中に生まれる他者への評価を横に置きその人の願いを素直に聴き続けるスタンスでいた。
その弊害で自分の思いが人に伝えられずに、プロジェクトを前に進める推進力を失ってしまった

今は、人を評価してしまう感情がそのまま溢れ、他者と話したり関わるときに、自分の中に生まれる他者への評価を、その人の願いを素直に聴き続ける前に伝えてしまっている
プロジェクトを前に進める推進力はあるものの、スケールせずに終わることが多い。

2つとも僕にとっては失敗であるが、学びであると、本日心の中にすっと落ちた。

「前に進む推進力」と「傾聴しながら願いを叶える力」

それがコミュニティを創りながら、みんなが目指したい景色を叶えていくために必要な経験だったのかもしれない。

①まずは評価を横に置きながら傾聴をする
②そこから生まれる目の前の人の願いを共に感じる
③それを聞いた上で感じた自分の気持ちを出す。

目の前の人に嫌われるかもしれないという恐れをまた少しずつ受け入れながら進む。


さぁローカルな目の前から少しずつ。愛を持つ。

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