見出し画像

意識高い系になれない筋トレおじさん

ここ最近、特に若い人の間では「意識高い」という言葉が、「あいつは意識高い系だから、俺たちと違うよな」、「意識高杉www」等、マイナスイメージを伴って使用される風潮があります。むしろ、このネガティブなニュアンスを持った言葉として定着しつつあり、私自信、若い部下や後輩と接するときに、「高い意識を持って取り組もう。」とはなんとなく言いにくく、いろいろな言葉に言い換えています。
 
私はこの風潮にモヤモヤを感じるとともに、最近は、意識を高く保つことが難しくなってきており(元々、意識が低かっただけかも知れない)、このままでは、意識が低いただの筋トレおじさんになりそうという危機感を抱いています。(筋トレをしている人全員が意識が高いなんてことは絶対にありません。むしろ、意識の高い筋トレ戦士たちが作ってくださったイメージ像のおこぼれに与っている私のような人も多いはず…)。今回はそんな話です。
 
そもそも「意識高い」とは?
Wikipediaには以下のように書かれていました。

意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。 大学生に対して使用されることが多いが、ビジネスマンや主婦など若者・学生以外の層に対して使用される場合もある。「意識高い系」の特徴として、自己啓発(ボランティア・政治)活動や人脈のアピール、あえて流行のカタカナ語を使うなどが挙げられる。嘲笑の対象として「意識高い系(笑)」と表記されることもある。
 
本当にひどい言葉ですね、悪口でしかありません笑。つまり、「大言壮語を吐いている」、「あいつはええ格好しいだ」、ということだと思います。
従来使われていた「意識が高い」には“現在の実情、実力以上のマインド”という意味が含まれていますし、「実力とアピールが乖離」しているという点をとらまえれば(“とらまえる”はじめて使ってみました)、上記の使い方は、まさに言い得て妙かな、ともおもいます。
とはいえ一方で、元々「意識が高い」という言葉にある、“より高い成果、到達点を目指すため、高い目線を持とう”という意味がないがしろにされていたり、そして、頑張っている人、頑張ろうとしている人を嘲笑するニュアンスで使われていたりすることには、モヤモヤを感じます。
 
ここまで書いてきて一つの疑念を抱きました。こんな言葉遊びをすることこそ、おじさんになりつつあることの証左であると。でも、折角ここまで書いたので続けていきます。
 
私は、「人生とは成長である」、「現状維持では、そのうち野垂れ死にますよ?」、「ベンチャー企業に入ると大企業の何倍の成長できますよ」、「圧倒的成長!」と布教する“成長教”の信者、“成長原理主義者”ではありませんが、自分自身目標を設定し、努力することは大変尊いことですし、できる方を非常に尊敬しています。
(「新垣結衣になる!」とか言われたら、寝言は寝てから言ってくださいと言わざるを得ませんが。)
 
周囲の人の活躍、成長や成果、または成長しようとしている姿を見ると、それは悔しいですし、嫉妬や焦りの感情が生まれるのは当然です。更にそういった状況に置かれると、これは一種の防衛反応だと思いますが、何らかの形で自分自身の置かれた状況を「正当化」しようとするものです。

これは私の辿り着いた(というほど大袈裟なものではないですが)一つの仮説ですが、「意識高い(笑)」というのは、この「正当化」の一つの形ではないかと思うのです。防衛本能としての「正当化」自体は否定すべきものではないですが、「意識高い(笑)」のように当該人物の評価を下げて、自信の正当性を確保しようとする方法は、自分自身だけでなく、他人を巻き込むのでタチが悪いです。
さらにタチが悪いのが「意識高い(笑)」は何も生みださないばかりか、場合によっては、「意識高い(笑)」と片付けることで、後々さらに嫉妬心に苛まれ、心が焼け、こじらせる可能性があるのです。

ニーチェ風に言えば、「ルサンチマン」に負けてしまうと、「ルサンチマン」で押しつぶされてしまうよ。ということです。(これが言いたいがために長々と書きました。)
 
今回も計画性なくダラダラと書いてしまいましたが、伝えたかったのは、人のことを「意識高い(笑)」と笑うのは止めよう、なんなら、どんどん意識を高めていきましょう。ということです。
上にも書きましたが、私は“成長原理主義者”ではありません。でも、自ら目標を設定し、それに向けて進んでいくことが、自己肯定感や有用感を生み出すという点でメンタルコントロールに繋がりますし、収入増によって生活が豊かになったり、社会的ステータスの獲得し、承認欲求が満たされたりすることもあるかも知れません。人生が、より楽しく、充実したものになるはずです(まるで成長教の教祖ですね)。
 
厄介なのは、この二つの両立が結構難しいことです。「意識高い(笑)を止めよう」というのは、私自身、年齢や社会経験を積み、他人は他人、自分は自分と考えられるようになる中で(後日改めて書きたいと思いますが、海外生活など、自信がマイノリティな環境におかれると、よりそうなっていく気がします)、多少マシになってきた気がしますが、逆に「意識を高める」というのが年々難しくなってきている気がします。
歳を重ね、社会経験を積むと、良くも悪くも、独自の評価軸を持つことにより(多分これがおじさん化の正体)、他人との比較、競争というものに鈍感になります。そのため、意識を高く保ち、行動に移しつづけるためには、内面からのモチベーション管理、自律が求められるようになっていきます。
 
私は、語学学習や、ダイエットや肉体改造を中心に書いていきたいと思っていますが、これらはいずれも、高い意識を持って、モチベーション管理していくことが何よりも重要なものだと考えており(勉強法のコツ、お勧め教材、継続のコツはいくらでもまとめられていますしね!)、私は、色々な角度から、少しでもモチベーションアップに繋がる読み物を書いていきたいと思います。
 
私は、今からでもアウトプット能力を高めたいという目標があり、30歳を超えてNoteをはじめた「意識高い(笑)」筋トレおじさんです。みなさんのnote、みなさんからいただく反応が続けていくモチベーションになります。
みなさんのスキ、コメント、メール(プロフィール欄に記載)をお待ちしています。
 
ではでは。

この記事が参加している募集

#自己紹介

233,563件

#コンテンツ会議

30,844件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?