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受動態で始まる命を能動的に燃やして / 舞台『FANTASY WORLD?』

ご時世なりの自制は苦しいけど辞世する訳にいかないし、迷いに迷ったけれど今回は配信で観劇させていただいた。

●あらすじ(チケットサイトより引用)

国の管理の元、自殺者・自殺未遂者は臓器移植希望者に強制的に臓器を提供しなければならない右の世界で出会った、余命僅かながらも強く生きたいと願う臓器提供を待っている女の子と自殺未遂で病院に運ばれた男。

そして、3日おきに記憶をリセットされる左の世界で、街の人たちの無くした記憶を取り戻そうとする男と女。

目の前で繰り広げられる二つの世界は、ファンタジー?それとも・・・。

以前、同じく山口ちはるプロデュースの『嫌いだ』という舞台(演劇)を観た時、ステージではなく目の前を縦横無尽に行き交う演者を追うべく、首を左右へ振りまくっていた。今回は初めから「右の世界と左の世界」と謳われていたので配信でちゃんと観れるのかが不安だったけれど、様々な角度の場面を繋いで見易い編集がされており助かった。或いは透明な幕越しの現場で観るより演者の表情や仕種が見えたのかもしれない。

●作品を観て

ファンタジーか否かを問いかけるのだから、そうではないのだろうと解釈する。どんなメッセージを受け取るべきか。メインビジュアルを見てみる。(下記ツイート、1枚目)

2つに割られた左が海、右が建物と夕景。単純に捉えればその通りの世界なのだけど、左の海辺には女性が佇んでいる。果てしなく拡がる海、閉塞的な建物。或いはこれが未来と過去で、希望と絶望で、生と死なのだとしたら。右の世界の心優しき彼女は、きっと助かり広い世界へ行ける。海は生命の母、すべてが其処に還っていく。

"私たちにはただ、見てることしかできない。"
「見てるだけなんでしょ?」と突きつけられる様なキャッチフレーズ。まさに今、終わりの無い戦いを強いられている私たちだけど、考えるべき問題はこれだけではない。もっとずっと前から生と死について向き合うべきで、そのツケが未知のウイルスにより明らかになっただけだ。例えば生体間以外の移植の様に、誰かが死ぬことで生かされる命を罪深いとは思わないけれど(正当な手続きを踏んでいる場合)、棄てたい命と拾いたい命の噛み合わなさに葛藤した記憶が燻り返す。生きたくても生きられない人が居る一方で自ら命を絶つ人も居る、或る種の不条理さを「そういうこともあるよね」といつからか真剣に考えなくなった。自らに置き換えれば、それが気になるうちはまだ終わらせることを選べないし。

「生きる意味を探す為に生きてみて、見つけたら、その為に生きれば良い。それが解らないから死ぬなんて勿体無いよ」とは自分より若い子に、そして誰より自分自身に言ってきた持論。快くそれが出来たらな、と思う。

或いは都合よく忘れながら私たちは生きているのだけど、それが失くすことに抗えないとすると何とかして覚えていようとするのだろうか。それでも何度でも巡り合う奇跡は酷く美しいが、現在がそうでないと誰が言えるのだろうか。もしかしたら私たちは3日間よりもっとずっと長いスパンで、同じ運命を繰り返しているのかもしれない。今ここに在ることがループの一環、出逢うべくして出逢っているのなら、忘れても忘れなくても大切にすることができるかもしれない。

●2年観てきて

長屋和彰さんという役者を2年観てきて初めて、その演技に泣かされた。2つの世界で声色や仕種を使い分ける巧さに深夜ひとりで感動し、感情の昂ぶるラストシーンに耐えきれず落涙。去年も舞台を観たし映画なんて何本も観させてもらった中、役柄もあるかもしれないけど良い演技だなぁと改めてそのお仕事ぶりに尊敬の念。やさしさとつめたさに成りすまして見せてくれた世界。誰かの人生を生きる、誰かの代わりに命を燃やす。役者さんという職業の尊さ。

生で観れなかった寂しさと悔しさにはまさに記憶をリセットしたくなるけれど「私たちはこの世界で生きていくしかない」から憶えている内に綴るし、忘れない努力をしたいと改めて決意する。

●歯車たちの噛み合いと噛み合わなさで運命が回る

涙を飲んだ地方学生時代を経たことで現場至上主義になった私も、コロナ禍ではその価値観の見直しを余儀なくされている。1年前なら何の気兼ねも無く客席に座っていた。配信は、無課金で観ないよりはマシだが行ってないのは同じだと思っている。行った人が一番偉い。思わぬ所でコンプレックスの露呈。観ようと思ったきっかけの長屋さんは、どんな形でも観てもらえたのは嬉しいと言ってくれたけど、自分の中で落としきれておらず申し訳なさは消えていない。東京に住んでいたら、配信されなかったら、そして来週の幸運な予定も無ければ。歯車たちの噛み合いと噛み合わなさで運命が回る。

生で観る熱量には敵わないからこれがスタンダードになる世の中は望まないが、制作側の最大限の尽力に敬意を表したい。事細かな禁止事項と配信対応。確かに存在した2つの世界を、小さな画面の中ではあるが見つめられてよかった。

I was born, "生まれる"。命の始まりは誰しもが受動態だが、全身全霊で燃ゆる様は確かに能動態だ。生むことをされた瞬間には意志がないが、生き続けていることには多少なりとも意志がある。いつだって選んだ結果が今なのだと忘れないで居たい。下北沢の片隅で燃えた命の数々に想う。

●配信は9/13まで

公演は千秋楽を終えたけれど、配信チケットは9/13(日)22時まで購入可能(閲覧期限は当日24時)。命が煌めく90分を是非。

🎡📸📍Paris, France.




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