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父を乗り越え、母の愛を胸に、少年は大人になる / 映画 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』

⚠️内容に触れています。 #ネタバレ 自衛してください🙇‍♀️

(※最早このアルバムそのものがネタバレ感ある)

公開初日の夜、IMAX版で鑑賞。Filmarksにメモだけして、寝かせておりました。


丁寧に紡ぎ直す「ファイナル」

謎に満ちすぎたアニメ25・26話、描き直したはずが挑発され「気持ち悪」かった旧劇、さらに再構築されながら続編なのかパラレルワールドなのか考察が生まれ続けた新劇(序・破・Q)。様々な「世界」を辿り、過去/現在/未来を繋げていく、納得の「最終回」だったように思う。アニメのタイトルや過去作の台詞、スタジオの描写まで、メタ的な要素が多々あった。そしてエヴァらしくなく、説明が沢山あった。

世界は繋がっていたんだ、彼らが生きていたんだと確かに思えたのは嬉しかった。そして、生きてて良かった、と思える人たちにも再会できて安堵した。漫画版だとトウジは死ぬので…。

第三村の平和さが逆に恐ろしく、破のようにいつぶち壊されてしまうのか緊張しながら見ていたのだけど、シンジくんが感情でなく理性的にエヴァに乗ることを選んだくだりで「今までとは違うんだ」と悟った。「だれかたすけてよ」と泣きながら世界を終わらせていた彼が、これまで救えなかった人たちを丁寧に救っていった。だからこそ最後は、彼が手を下すことなく世界を変える(守る)ことができた。そこにはATフィールドに象徴される心の壁を時に突き破り、人間関係を構築することこそが世界をつくっていけるのだと、そんなメッセージを感じた。どう考えても「対話」で救われたこと、失われずに済んだものがあっただろう、ゲンドウくんよ。

宇宙【未来】と昭和【過去】の対比に喜怒哀楽をかき乱されながら、やっぱり今は今【現在】でしかないのだなと、そこでもがき苦しみながらも生きていくことこそが「ファイナルインパクト」なのかもしれないな、などと思う。「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」とは、そういうことなのだと。

アニメは勿論、CGやら特撮やらまさに「総動員」してきたなと、様々なアプローチに舌を巻いた。『シン・ゴジラ』制作の折には「それよりエヴァを!」と言われながら、実際それは震災以後の"可能性"を描いた含蓄のある作品になっていたし、これがエヴァをつくる前に必要だったんだろうなと思えた。第三村の「突き刺さっている限り大丈夫」な「丸みを帯びた棒」に思う所があったのは、3.11から10年を迎える直前だったから、もあるだろう。

私小説が伝説になり、終わることで始まる物語

エヴァの魅力は、壮大な世界観で描かれた私小説であるが故に「解る」と「解らない」が絶妙に混在した深入りしがいのあるアニメだったからではないかと思っている。その上で、或いは自身も整理し切れていなかったような過去作に比べ、今回は庵野監督が自らを取り巻く事柄に折り合いをつけて生きているのかなと感じられ(マリ=奥様の安野モヨコ説)我々の心の中の少年少女も救われたような、そんな気分になった。オタクの呪縛、とは端的で雄弁なワードだけど、ずっと見てきた訳じゃなくても受け取るものが多かったし、ひとりの人間の心の機微を見せてもらったのは単純に面白かった。

※ラスト。シンジとマリが手を取り合うのは「今までの世界を破壊して次の世界へ」というストーリー的側面もさながら、シンジ→カヲル、マリ→ユイ(・アスカ?)への同性愛的描写からすると疑問符が浮かぶ所でもあるのだけど、シンジはゲンドウ(父)の、マリはユイ(母)の幻影を手放して、という描写であれば腑に落ちるのかなぁと(或いはシンジにユイを見出してるとも取れるけど)。最後のレイとカヲルは、ユイとゲンドウなんだろうなと。

あえて言うなら一監督の心象風景・私小説である今作がここまで伝説的パワーを持ったのは、普遍は不変だということなんだろう。いつの時代もラブソングが廃れないように、かたちを変えても人の心の機微の根本は変わらない。感じ方が変わっても、その中身は変わらないのだ。ゲンドウと心の中で決別し、ユイと心の中で出逢い直す。父を乗り越え、母の愛を胸に、少年は大人になっていくのだと思った。【かつての最終回は「父に、ありがとう 母に、さようなら」で、逆だったように思う】

エヴァに別れを告げ、マリの手を取ったシンジくんこと庵野監督は、シン・ウルトラマンへと晴れやかに向かっていく。

アスカ=明日可でありますように

なんだかんだ一番好きになった、いつも優秀で強気で健気で、愛おしくて、可哀想だったアスカ。この世界に居てくれて良かったなと今作で改めて感じられた。式波、ってそういうことだったんだね。いつも悲しい結末を迎えてしまうアスカの、たしかな明日を感じられる描写に一番涙が溢れた。惣流・アスカ・ラングレーが慕った加持さんのような大人になっていたケンスケ。救ってくれて有難う。

生命の源=母なる海

人類補完計画で人間はひとつになり、LCL化してしまう。ちゃぷん、と消えて、サルベージされるのは海のイメージ。綾波も式波も真希波も戦艦の名前。彼らは母なる海に浮いている。そこから生まれて、そこに還っていくんだな…というのを改めて感じた最終回だった。

宇多田ヒカル

これまでの主題歌たちも然り、今回の起用にもグッときた。『One Last Kiss』のMVがまた素晴らしくて、宇多田ヒカル=ユイに見え、そして我々はゲンドウ目線になってしまう訳で…こんな愛おしいひとを喪ってしまった彼の気持ちに…

かつてミサトさんはコンプラギリギリ(アウト)で「大人のキスよ、帰ってきたら続きをしましょう」とシンジくんを送り出した。二度と会えないのを知りながら。そんな"最後のキス"を、もしかしたらゲンドウとユイも交わしたりしたんだろうか、とか。近づいて触れては離れるキスという行為はまさに、"誰かを求めることは即ち傷つくことだった"。

"I love you more than you'll ever know"の重み。

そして『One Last Kiss』→『Beautiful World』のうつくしさ(『桜流し』ではなく)。この時から世界は繋がっていたんですね。どちらもゲンドウくんの歌にしか聴こえなくなったよ…最後にBeautiful Boyを抱きしめてくれたから良かったよ…(でもやっぱり気分のムラで世界終わらせたらあかん)

エンドロールの名だたるアニメスタジオや企業、人々のお名前に歴史と愛を感じた。2曲を繰り返し聴いてる。そろそろ、2度目を観に行きたい。


明日の庵野秀明監督特集、たのしみです。


※『アルエ』のエピソードに「藤くんをここまで駆り立てた綾波レイって何なの…?」と思っていました("ハートに巻いた包帯を僕がゆっくり解くから"…??? ※【怖】)


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