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偏執しらゆきひめの顛末 / 映画『哀愁しんでれら』

鑑賞当時Filmarksに投稿した内容を修正加筆しています。

映画『哀愁しんでれら』

昔からディズニー映画にはあまり縁のない人生だった。そのせいかは分からないが「プリンセス」や「姫」の出てくる世界観はたいして好きでもない。ただ、ポスタービジュアルの白目ファミリーがあまりに怖く、興味をそそられて鑑賞に至ったのだ。田中圭の白目はともかく、土屋太鳳にそのイメージはまるで無い。

見終えた感想として第一に抱いたのは、「哀愁しんでれら」と言うより「偏執しらゆきひめ」だなという印象。小春は、親兄弟に虐げられた物悲しい女というよりも、王子との出会いで生き返り、ある考えに捉われてしまった女だったからだ。

胸糞感よりも感心の気持ちが上回ったのは「祖父と父と自宅に起きた"三重苦"に見舞われながら、妹を置いて彼氏の家に行く姉」を超絶ファンタジーとして捉えたから。自分が姉だから余計にあの行動が理解できなかった。あんなに現実感がないとお伽噺感が半端ない。……まさに。

不幸の連鎖を断ち切るように現れた王子様、もといお医者様とその娘の「母」になろうとする小春だが、自身の母親は10歳の時に出て行ったきり。それぞれの理想と現実に、すれ違う「家族」。彼女が綺麗なドレスと靴で一番幸せそうに踊るべき舞踏会とは、どのシーンだったのか。

それぞれの「母親」観。「無いもの」の想像および幻想、間違った理想を追いかける/押し付けることについては、自分にも心当たりが少しあり、「演じる」うちにそうなってしまう心の表裏に想いを馳せた。他人事じゃないかも、と思わされながら、何処までが妄想か?を含め、映画『ジョーカー』を想起しながら観ていた。

家庭環境とは不思議なものだ。育てられたように育ててしまう、育ってしまう。虐待の連鎖。就活の時に強く感じた「公務員の子供は公務員に、教師の子供は教師に、起業家の子供は起業家になる」傾向。モンスターペアレンツ。そこには時に、正しくない正義があり、依存すべきでない拠り所がある。

あの結末は現実では決して選ばれるべきでも称賛されるべきでもないのだが、「ファンタジー」なら許してやってもいいのか、と少し同情を交えながら思ってしまった。彼らはお伽噺を演じ続ける……。

ちなみにロケ地になっているのは代官山のグレースコンチネンタル。内装ですぐに気付いた。お城感が抜群のショップで、買ってもらうのが普段着でなくドレスと靴、というのが思えば違和感のはじまりだったのだ。

この作品を「完全なフィクション」と見るか「一歩間違えば自分も……」と思うかで評価が分かれそうな意欲作。少なくとも私は勧める相手を選ぶ。つまらないなぁ、日常に刺激が欲しいなぁ……なんて方は是非ご鑑賞を。仲良し親子を見かけてもゾワっとしちゃうかも。


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