【旅の話④】 ジャカルタ 《久しぶりの大都会感にやられるも...》
ツバル・サモア・トンガと南太平洋の旅でしたが、ここからは2016年末に出たバックパッキングの話です。
<旅の話③はこちら↓>
フィジーでの2年間の移住&勤務に終止符を打ち、日本に直接は帰国せず、次の仕事が始まる前に6カ国をまわりました。
もう当分帰ってこないのかと感慨深すぎて、フィジー出発前日の夜は寝られず。ナンディ空港にはお世話になった同僚や友人が見送りに来てくれた。
留学生の出迎え・送り出しに何百回とゲートにやってきた上、オフィスがあったこともあるナンディ空港から、自分が旅立つのは変な感じがしてずっとそわそわ。
ふわふわした気持ちのまま飛行機に乗り込んで、最初の目的地は、人生2度目のインドネシア・ジャカルタ。
一人旅では初めて。
宿探し
基本は着いてから宿を探すのが好きですが、特に馴染みの無い大都会では治安を考えて入国前に予約していきます。
今回は何と言ってもジャカルタで且つ到着が夕方になったので、念のため予約しておいた宿に空港到着後に電話も入れた。OK、待ってるでって。
それでも行ってみると、手違いで空き部屋は無いと言われた。
大丈夫、フィジーに2年も住んだので、ドタキャン、手違い、予定不調和に今人生で一番慣れてる。
...とは言え、久しぶりの大都会の人混みと空気の悪さで別のところを探すのがしんどすぎて、ゴリゴリに交渉。
すると、3階のラウンジのソファーで寝ていいと。うん、それで全然いい、十分。疲れた。。そう言えば、色々あって徹夜でフィジーを出たんやった。
深夜に到着したカナダ人も当然満室で、寝床は隣のソファーに。
シャワーを浴びて、とりあえず爆睡しようと思っていたら...2人もラウンジのソファーで寝とんのに、朝5時から謎にクラブミュージックを爆音でかけ始める若者たち(客?スタッフ?)。
つっこもうとしたら、爆音かけながら床で寝始めた。謎過ぎる...。勝手に切って二度寝。
英語事情と、嬉しい再会
ジャカルタで予想外だったのが、想像以上に英語が通じないこと。あれ、前回こんなんやったっけ...。
ゲストハウスのスタッフは6カ国語使いこなす強者で、そういう人もたまにいるけど、超稀。
サモアやツバルで何とでもなった「その辺の地元民と、サシで語り合う連続」といういつもの必勝パターンが使えない。この通じない感じも楽しむ、にシフトチェンジせねば。
寝れないジャカルタの洗礼をうけつつ、ゲストハウスを出発。今日はインドネシアで活躍・奮闘する友人と再会しに中心街へ。
2013年にインスピレーションもらいまくったフィリピンの極小の島(当時住人は600人やったかな)、カオハガン島で島民たちと暮らしていた彼女。
このときはジャカルタで青年海外協力隊として活動していた。
久しぶりに会って、近況、これからの話、悩み、話しにくいこともオープンに話せて、人生観や宗教観を沢山見直す機会が共創できたのがもうめっちゃ豊か。
ジャカルタの次はバリ、次はマレー半島へと旅を考えていることを伝えたら、東ティモールの話になった。東ティモールといえば2001年に独立した新しい国なことは覚えているけれど、その他内情はほとんど知らない。
インドネシアのバリは、東ティモールへの飛行機が出ている数少ない場所だということがわかった。
彼女に現地で活動している青年海外協力隊の方とつなげてもらい、インドネシアの次の目的地は東ティモールに決定。
ジャカルタ市民のスゴさ
次の日からは、ひたすら街歩き。
フィジー慣れした感性には、東南アジア随一のジャカルタの大都会さ加減がちょっとキツい。
バスに乗ったら、東京で働いていた頃を彷彿とさせる人の多さに酔う。辛い…。
それでもそんな大都会なことを差し引いて見てみると、人々は人懐っこくて、優しい。可愛い。
普通は、都会になればなるほど人々の温かさとか、そういうのは薄れていくことが多くて、フィジーもそう。
バイクタクシーのおっさんが高い値段ふっかけてきて、そんなん高いわ他探すわと断って、値下げして追いかけてきて、更に値段交渉して・・・
ってプロセスを経たにもかかわらず、ふと見せる無邪気な感じとか、「うわ、根はめっちゃええ人やな」と思える萌えポイントにやられ、合意した値段にこっちからちょっとプラスしたくなる。
ジャカルタ、すごい。
↓バリで感じた不思議な感覚と、グリーンスクールの話につづく。
8月初旬から夫婦でCamino de Santiago巡礼の旅に出ています。出費はできる限り少なくしている旅なので、サポートは有り難く旅の資金にさせていただきます。ですが、読んでくださったり反応をいただけるだけで、一緒に旅している気分になって十分エネルギーをいただいています。^^