[小説 23時14分大宮発桜木町行(8)]Everything will be alright
「えぇ勿論です。今後とも引き続き…」
第二期のシステム移行も我が社が引き続き請け負うことが、これで確定した。
今まさにこの時、先方が第一期分の受入試験を行っている。移行対象の機能自体にバグはなく、対応を受けた先方の担当者も上機嫌だった。先方都合の些細なタブレット画面向けデザインの微調整はあるが、無事クローズできそうだ。
計四期で旧システムをタッチパネル方式に移行する案件。全て請け負える契約になっているが、毎期受入の出来次第で契約見直しを考慮したいと先方は言う。
初めての取引先は大抵こうだ。信用できるかどうかを試す条件を提示してくる。面倒だが致し方ない。信用は積み重ねるもの。
常務に結果を報告し、駅へ向かう。このまま帰社も可能だが、今から移動すれば十一時台には京急蒲田に降り立てる。
あの店にしよう。席が空くのを待たずに昼飯を済ませられる。
「本日の日替わりはチキンのグリルトマトソースです」
じゃあそれを。ドリンクはなしで。
さすがに開店直ぐで客は俺だけ。そのうちぼちぼちと席が埋まり、今はクリアに聴こえる90年代ビルボードトップ40も、そのうち彼らの話し声に埋もれていく。
TLCか。LAX到着後、最初に訪れたモールで流れていた。メロディアスなR&B全盛期だったな…
二十一歳の秋。ロサンゼルスの空は寒気どころか雨さえ無縁の穏やかな、しかし常にもやに覆われたベビーブルーだった。
俺はやっと逃れられたと、会話に自信がない不安を打ち消せる程に晴れ晴れとしていた。
当時まだ真新しかった国際文化学部は競争率の高い人気学部で、一浪とはいえ希望通り合格できた俺の運もそう悪くはない。
受験英語は人並み以上。高校に入ってから急にハマった洋楽ヒットチャートの曲を真似て歌っていたおかげで、発音は割と良かった。英国文化学の教授に「君の発音はイギリス英語のようだ」と言われるほど。
だが運だけで単位を取れるほど、授業は甘くない。容易に英語オンリーの授業が多いと想像できそうだが、それを遥かに上回るネイティブ英語での授業数。ヒアリングが致命的に弱い俺は教授が質問する度におどおどした。
実力で運も掴み共に学ぶ同級生は、当然のように自らの意見を明確に伝える英会話で教授に対峙している。こんな俺を見捨てずみんなは励まし、時間があれば俺の予習復習に付き合ってくれた。
この店のチキングリルは、表面のパリッとした焼き加減が絶妙だ。ソースをかけても簡単に湿気ないこの食感、まさに俺の好み。今日も期待通りだ。
気持ちが安らぐ環境。一つだけでもいい。そういう場所があるだけで、また明日もやれそうと思えるものだ。
当時近くの現場で仕事をした際。偶然見つけ入店した瞬間に心地よさを覚えた。立地上隠れ家になりようもないオープンな立地だが、家族にも誰にも教えない、誰も連れて行かない、地位も年齢も気にせずにいられる俺の大事な場所だ。
こうやって学生時代の感傷に誰にも遠慮なく浸かれる時間だって、ここなら過ごすことができる。
あの頃、とにかく必死だったな。肩に力が入っていた。それが孤独感をより強めるだなんて知らないままに…
大学入学を契機に未経験ながら硬式テニス部に入部した。軟式を含めて経験者だらけの中、練習はもちろん人付き合いに奮闘した。そのおかげで、先輩・顧問・同期からは人として全方位に好かれた。
一方で競技の実力はさっぱり上がらない。二年生になっても後輩にあっという間に抜かれ、ラリーもボレーも皆のようには続かず、ミニゲームもろくに勝てなかった。
その年末。来期の部長候補の噂が上り始めた。性格や行動にやや癖がある同期ではなく、俺が最有力になっている。練習後の学食で先輩から聞こえる、俺をやたらと持ち上げる言葉の数々。彼らが向ける期待を薄々感じていた。
振り返ると、人望と上手く言い換えれば軽く取り込めそうな、大変都合の良い後輩だったのだろう…バカな。俺はこのヘタレな実力で、どんな顔をして彼らをまとめ切れるというのだ。
まだ何も表明されていないのに、俺は日に日にプレッシャーに追い込まれていった。
このままでは、俺は潰れてしまう…
二十代は心が揺れるもの。それは今も昔も変わりない。自分自身の地盤を固めようするが、そう簡単にいかないようにできている。
世間が見るほど成熟しきっていないから、何もかもが人生の岐路に思えてしまう。小さな失敗でさえ、いとも簡単に絶望の淵に突き落とされる。
俺が叱った理由と意図を渡部は理解できたのだろうか。多少拗ねるくらいならいいが、滅入っていないだろうか。辞めるだなんて、言わないだろうか…叱るのは難しい。
あいつは集中し過ぎる。周りが見えなくなる。立場を理解して動けば十分いける。
期待したいからこそ、言葉強めになってしまうのは、俺の悪いところだ…
俺は誰にも相談しないまま、唐突に休学を決めた。全く違う環境に自分自身を放り込んでみたくなった。この場から距離を置き、俺はどう生きていきたいのか、考える時間が欲しかった。
その環境は英語圏。一番先に頭に浮かんだLAを俺は選んだ。
休学後三か月間は駅から従業員専用バスに乗り込み、給湯器組立工場で資金を稼いだ。その後駆け足で渡航の準備を行い、ソウル経由の格安航空券でLAXに降り立ったのだ。
彼の地には、TVや授業、そしてニューズウィーク、タイムといった英文雑誌で語られる人々とその生活が、それらが語る内容以上に詳細かつリアルな形で存在した。
LAが公的支援する、一ドルで英会話と米国習慣を学べる学校に通えたからこそ、知ることができたのかも知れない。
俺のような遊学生ではない、LAで人生を賭けるために通っている中南米・アジア・中東諸国、そしてフランス語圏カナダ移民の人々が、この街、この国で生き抜くために英語を学んでいた。
俺は蘇生した。アスファルトで覆われた地から放たれるエネルギーは日を追うごとにじわじわと、未熟が故に凍える俺を溶かしてくれた。
なんて狭苦しい自他の思考に苦しめられて過ごしてきたのだろう。そんなことで悩んでいる暇などあれば、今できることをただひたすら懸命にやれ。そう言っているような彼等彼女等と時と空間を共有したこと。
衝撃だなんて言葉で簡単に説明できない感情が俺を満たした。
皆は俺の受験英語力をとても褒めそやしたが、俺からすれば君たちのその快活さ、今この瞬間を楽しく過ごそうとする貪欲さが凄かったし、羨ましかったよ。君たちは明らかに俺より大人だった。幼稚な俺をそのまま受け入れて、そうやって全力でぶつかってきてくれたから、俺は君たちに面白い日本人だと思ってもらえたんだ。
「あなたの笑顔って本当に素敵ね!」
ディアナ、あなたが言ってくれたその言葉を今でも俺は忘れていない。あなたのほうこそ、太陽のように眩しい笑顔の人だよ。
先生達も俺達をいつも温かく見守り、異なる文化で戸惑う我等に具体的なアドバイスと励ましを与えてくれた。メアリー先生。ジョージ先生。授業を早めに終えてハロウィンやクリスマスパーティーでも、俺達と一緒にケレン味なくはしゃいでくれましたね。
何やってんだ俺。みんなが人生を賭けて頑張っているのに、今だからできることをやらなくてどうする。せっかく大学にいるのだからこそできることを、残り二年でやれるだけやってやろう。
歳をとって「あの時こうしていれば」なんて後悔するのは嫌だ。
みんなにとても顔向けできないじゃないか!
突然来た一人の日本人はあっという間に去っていった。最後の授業が終わり、その彼はもうきっと永遠に逢えないという感傷を、みんながそれを好きだと言ってくれた笑顔で隠しながら手を振ったんだ。
”See you again!”
今日は過去に浸り過ぎた。もうすぐ正午。会計を済ませた頃には、ポツポツと客が入り始めた。
曲がり角で振り返る。既にランチ目当てのワーカー達が順番待ちをしている。
さて、本社に戻るか。
蒲田駅東口の長いエスカレーターに、駅近くの大学に通っていると思える若者に紛れて乗り込む。頑張って勉強してるか?今しかない学生生活を楽しんでいるかい?今しかできないことを…
…電車に乗り込む直前の着信。渡部か…
帰国し復学した俺は、自分の心が欲することだけを選んだ。既に心休まる場ではなくなったテニス部は辞めて、大学では学業に専念した。
専攻授業への集中力は大変なもので、一期下の子たちと混ざっても気にならなかった。学外の環境とも触れていたいと、ハンバーガーチェーンでアルバイトも始めた。
就職氷河期真っ只中での内定も、今の会社からなんとか貰えた。
最後の二年間を後悔なく過ごせた。たった三ヶ月間のLAでのあの時間、あの経験、何よりあの人々との出会いがあったからこそ、できたことだ。
UIを見直したので帰社後チェックして欲しいと、電話口の渡部の声色ははきはきと受け答えした。
さては吹っ切れたな。なんとなくでもいい。俺の思いが伝わっていればそれでいい。
君の年齢の頃の俺は、もっと思い上がっていてヘマばかりしていたよ。
「エヴリティング・ウィル・ビー・オルライト、っか」
電車のドアが開くと同時に呟いてみた。
ろくに喋らず半世紀も経つと、英語力はこんなもの。こんな発音で、彼らに伝わるかな。
それでも、なんとかなるもんだ。
完