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[小説 23時14分大宮発桜木町行(7)]パステルタッチの愛情

 定時を終え駅へと走る。この街はビル風が強過ぎる。爽快に中生を立ち飲みする気楽な先輩方を横目に、むせそうな亜熱帯的湿気の塊を突っ切っていく。髪を振り乱してとはまさにこのこと。人目を憚る余裕などない。寂しがりの映見が私を待っている。

 私と電車が同時にホームに到着する。通路側へと逃げて、乗換駅までに息を整える。暑い日は外気温との差が身体に堪える。額や背中の汗が止まらないのが困る。冷やして風邪をひくわけにはいかない。


 乗り換えも人々をすり抜けるのに必死。ぶつからないように、トラブルが起こらないようにと気にしていた、つもりなのだが…

 「痛って!ちょっと、こんなとこでごちゃごちゃ動いたら危ねぇだろーがよ!」

 ヤバい。よりによってヤンキー女に肘をぶつけた。キューティクルの欠片もない金髪ロングにグレーの半袖つなぎ服。へたったナイロンのボストンバッグはパンパン。目鼻立ちのはっきりした美人顔が、怖さを五倍増しにしている。

 「あっ、ご、ごめんなさい…」

 それしか言えない私に一発舌打ちしつつ、少し憐みの一瞥を向けて

 「ったく、気をつけんだよ!」

 と背を向け女はホームに下りていった。

 はぁーっ…慌てるのはホント良くない。人混みのど真ん中、バッグの中にあるフェイスタオルをゴソゴソ探った私のほうが明らかに悪い。
 彼女の言うことはごもっとも…言い方のガラが悪いってことを除けば。彼女の語調にモヤッとしつつも、ほんの僅かも正当化できない自分自身にしょぼくれつつ、乗るつもりの車両を待つホームへ移動する。

 するとその先に、あの金髪の彼女がいるではないか!しかも私がいつも乗り込む5号車3番目。
 彼女も私と同じく、席に座りたいのだろう。幸い私には気付いていない。バッグを地面に置いてとんでもない速さでスマホに文字をスワイプしている。私は彼女に見つからないよう、2号車離れた乗り口の、間もなく発車する立川行きにスッと乗り込む。
 あー焦るわー。ドアが閉まり発車すると気が抜けてウトウトした…


 そうそう。大地の弁当箱買わなきゃ。小食だったのによく食べるようになったな。キャラ付きはもう嫌がるだろうな、二段でもこれはまだ大き過ぎるかな…三店舗ハシゴして、ようやくこれというものを見つけた。

 少し嵩張るもトートバッグに弁当箱を詰め込み、保育所へ足を向ける。陽が落ちると蒸し暑さも多少は和らぐ。保育所への道は街灯りから離れてどんどん暗くなる。周りを気にしながら歩くのも当たり前になっている。

 あれ?背後に見覚えのある…しかもついさっき見たような…あっ、あのつなぎ服は!?

 なんで私の後をついてくるの?肘をぶつけたのがそんなに酷いことだった?

 怖い、何されるの?怖い…自然と足早になる。うなじから滴る汗が焦りを加速させる。

 「映見ちゃん、お母さんのお迎えよー」

 藤井先生の声に走り回っていた映見が振り返り、その勢いのまま私の脚に絡みついた。

 この瞬間、ようやく報われたと思える。私も思わず微笑み返して抱っこする。

「ごめんね―先生。また遅くなって…」

 振り返るとそこには「あの」つなぎ服のヤンキー。彼女の下にはさっきまで映見と一緒に駆け回っていた男の子が駆け寄っている。

 目が合わない訳がない。声を上げない訳がない。思わず眉をひそめて怯える私と違い、彼女のほうは驚きはすれど平然そのものだ。

 「あれぇ~、あんた映見ちゃんのママだったのぉー!?」

 「さ、さっきは本当にごめんなさい…」

 ホーム上と同じことしか言えない私。

 「まーあれはね、気を付けなよ。もっとガラ悪いのに引っかかったら大変だからね…」

 呆れ顔だが目を細めた彼女。駅での腹の底から出たドスの効いた声と全く違う、少し掠れ気味の高めの声色を聞いて、ホッとした。

 「ウチのタケ、映見タンLOVEなんよ」

 ニヤっとしたかと思えば突然私にそんな耳打ち。展開が早過ぎる彼女に全く追いつけない私の足下では、話題の二人がイチャイチャお互いの頬を突っつき合っている。


 「そっか…映見ママもシングルか…」

 タケママ…健史くんのママも私と同じ。離婚した年も偶然同じ。さっきまでの言い知れぬ恐怖が嘘のように一気に心を開いていた。

 「この子のパパ、中高からの彼氏。いいヤツなんだけど…ほんっと仕事が続かなくてねぇ。じゃあ家事でもしてくれりゃいいけど、ゲームばっかで殆ど何もやらねぇし。残高がみるみる減っていくの、あれ切ないね…」

 高層ビルのガラス窓清掃業は、結婚を契機に始めたらしい。今日は川崎駅東の十二階建てをやっつけてきた。男児三人育てるだけで大変なのに、もう一人デカいガキまで面倒は見れないと、彼女から離婚届を突き付けた。

 当然養育費など当てにはしない。彼女一人で年子の三人を育ててやるという心意気と、息子たちの元気な声姿を支えに、ここまでやってきたのだ。

「そっか、映見ママは裁判沙汰か。しんどかったね…」

 私も元夫の言葉のネグレクトに耐えかねて離婚した。仕事をしてお金を入れていただけ、タケママのケースよりもまだマシなのかな。

 父としても夫としても、何もしない、できないというお子ちゃま体質だったのは、彼女のケースと全く同じ。
 子供たちが泣いても危ない目に遭っても、私がぐったりへたっていても、まるで人ごと。一心不乱で家事も育児もこなす私に、それはお前の役割だと。何故俺がやらきゃいけないのかと。
 メシまだか、なんでシャツにアイロンかけてないのか、なんかホコリ臭いな、掃除やってんのかと…

 「ひっでぇな。口ばっか…アイツでもそこまで言わなかったし、多少はしてくれたよ」

 彼女の身の上話を呼び水に思わず語った打ち明け話を、かつての私の思いを代弁するかのような表情で聞いてくれる。

 確かにヤンキーだけど、いい人みたい。

 駅前の灯りが近付いてきた。駅前交番の交差点に着くと、アタシんちはこっちと彼女は逆方向を指差し、私に電話番号を訊いた。

 無論断る理由はない。番号を交換し合って別れると、すぐさま「レミパン」からSNSの友達申請が届いた。

 「今晩何にする?アタシは生姜焼き」

 大地は鶏肉のカレーがいいと言ってたな。カレールーは何がおススメ?

 「甘口のスマトラカレーにリンゴジャムたっぷり入れると、ウチの子喜んで食べるよ」

 佐々木家の賑やかな夕餉の風景を思い浮かべて目尻に皺を寄せる。私もそうしようと、駅ナカのスーパーマーケットでリンゴジャムを手に取った。


 秋の気配なんてまるで感じられない、クーラーが効き過ぎる金曜午後のオフィス。週明けにクライアントに渡す予定のラフデザインももう少しで完成する。

 ブルルと震える微音。画用紙のうえで滑る緑の色鉛筆の手が止まる。スマートフォンのSNSに着信。レミパンの名。まだ彼女も仕事のはず。

 どうしよう。タケ叩いて泣かせちゃった…

 えっ?何があったの?
 返信がない。定時になってもまだ返信がない。
 残暑の名には程遠い暑過ぎる帰り道。映見のお迎えの道すがらも、隙を見つけては手に持ったスマホに目を遣る。やはり返信がない。

 幼稚園に着くと映見が泣き声をあげて駆け寄る。何がどうなってるの?

 「タケくんケンカして…ケガさせっ…」

 私の肩に顔をうずめてヒックヒクし、どうにか言葉にしようとする映見の頭を撫でる。ライオン組の部屋に健史くんの姿はない。園長である庄司さんの表情もいつもと違って曇りがち。

 「映見ちゃんにちょっかい出した子に、健史くんが怒って、ケンカになってしまって…」

 連絡を受け仕事を切り上げた怜美さんは、今にも爆発寸前の相手の母親に平謝り。
 その直後。ブスッとぶんむくれる健史くんに、誰もが見ている状況で右頬に平手打ちを食らわせ、近くの靴箱のほうへと吹っ飛ばした。訳も分からず泣き叫ぶ健史くんの声がただ響く。
 相手の母親は怒りをぶつけようにも、想定を遥かに超える修羅場に怯んで黙り込み、今後はお互い気をつけましょうと事を穏便に収めようとする言葉を残して我が子を連れて帰っていった。
 我に返り雰囲気を察した怜美さんは深く頭を下げて何度もごめんなさいと繰り返し、健史くんの腕を引っ張り寄せて園を出た。思うように彼の歩みが進まないせいか、甲高い泣き声が遠ざかり、いつまでも聞こえていたそうだ。

 やり切れない気分のまま大地と映見の寝顔を見て部屋を出たその時、廊下の灯りを点けるようにピッカーンと閃いた。
 居ても立っても居られない。すぐに私は作業部屋に戻る。商売道具を収める棚の上から2段目の引き出しを開けて、36色のパステル鉛筆と16切りの画用紙を取り出した。


 週明けの火曜日。改札を通り駅を出るとまだ蒸し暑い風に一瞬吹かれる日暮れ時。わぁー、遠くのちぎれ雲が赤く染まっていて綺麗。
 昨日は怜美さんに会えなかった。仕事で遅れたのかな…

 「ほい」
と肩をポンと触れ後ろから声を掛けたのは、笑顔の怜美さん。
 「この前はごめんねー」
 「ホントよ。でもこちらこそごめんね…」
 「なんで麻衣ちゃんが謝るのよぉー、変に心配掛けたこっちが悪かったんだからさ…」

 二人の言葉が続かない。気まずい。幼稚園までの道が長く感じる。

 お迎えが到着するといつものように我が子は私たちに駆け寄る。健史くんは表情が硬い。映見はといえばわざと健史くんの歩みからずらせて遅れてやってくる。
 子供ながらそれぞれに、複雑な思いでこの二日間を過ごしたのだ。

 我が子の手を引いて駅へと向かう二人。私から声を掛けなくちゃ。
 「あの…」
 「ねぇ…」
 同時に話しかけて動揺し二人とも立ち止まる。怜美さんが「いいよ先に」と言ってくれて助かった…
 トートバッグからA4茶封筒を取り出して怜美さんに手渡す。
 「何?」
 「いいから開けて」
 取り出した透明のクリアファイルの中には、私が描いたドレスの怜美さんと三人の子供たち。そよ風で長い髪をキラキラなびかせた怜美さんが、子供たちを優しく抱き寄せるイメージをパステルで描いた。
 何かに突き動かされるように金曜の夜から早朝四時前くらいまでに、一気に描き上げたものだ。

 「やだっ、なにこれ…泣いちゃうじゃん!」
 その画をじっと見つめる怜美さんはアヒル口で困ったような表情をし、やがて目じりを下げて私のほうを見る。
 「…ごめんね、ありがとう。アタシこんなにキレイじゃないし…でも嬉しい…」

 私はしゃがんで映見にお礼の時間よと声を掛けた。
 「ありがと…」
 小さな右手を健史くんへ差し出す。
 「…もうケンカしない…」
 映見の手を左手で握り返した。

 「あーよかったよかった。これで元通り…いや待て、二人の距離は縮まったかな?」
 私が茶化すと怜美さんもハハハと笑う。
 「もう映見ちゃんへの好きが止まらなくなっちゃったな!」
 私たちのからかいに背中を押されるように、二人は手を繋いで何か秘め事を話しながら私たちの前をニタニタして歩いていた。

 駅前でそれぞれの道へ分かれていく。いつも通りの笑顔で怜美さんは大きく手を振って「また明日も頑張ろ!」と言う。私も「また明日ね!」と彼女に負けないくらい大きく手を振り返した。

 額縁ってどこに売ってんの?と後日怜美さんから連絡があった。きっと今頃、私の衝動が生み出した一枚のカラフルな画は、子供たちとワイワイガヤガヤ暮らす部屋のどこかに、ひっそりと飾られているのかな。そんなことを想像すると、ふと嬉しくなる…

 …とか思いに耽っている場合じゃあない。まだ目が覚め切ってない五時半から私は大地と映見の弁当を…あれ?ウインナー買い忘れてるじゃん!タコさんカニさん作れないじゃん!冷蔵庫をガサゴソ探ってようやく見つけた本日消費期限のスライスハム。こいつできゅうりを巻いてかっぱ巻き風にして詰め込んでやろう!
 今日もお母さんは、しんどいとか言ってる暇もないの!忙しいのよ!


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