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今日のラリアー今日の「訪問看護」

自己紹介:妻の転勤を機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。13歳の娘と家族3人で2023年夏にオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく働く気も全くなし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。


2023年10月に首の後ろに嚢胞ができ、シドニー最大の公立総合病院・Royal North Shore Hospitalで緊急手術を行う。その詳細はnoteのどこかにあるはずなんで探して読んでおくれ(´∀`)。んで、その後の記録。



先週末、首の後ろを切開してたから家に訪問看護がくる。包帯変えに。毎日来る。

これがすごい快適。毎日家に来て消毒してもらって、病院ではほとんど知ることができなかった🤣、俺の傷口の状況を事細かく教えてくれる。

玄関開けた瞬間「あ!車に書類忘れた!下の駐車場まで戻るのめんどくさいから明日でいいよね」とか、俺のガーゼを開くたびに傷口に向かって「ハロー、ベイビー♡」とか、いくつか言動に(・д・)ナヌ?はある高齢のナースだけどね(´∀`)

やっぱ毎日ガーゼ変えに病院行くのは負担だからね、家に来てくれるってすごく楽。更にこの訪問看護(Community Nurse)は俺が言い出したんじゃなくて、病院が自動的にアレンジして「来週月曜日より訪問看護開始。仮に状態に変化があれば迷わず緊急外来へ」的な書類を渡されて、終了。はい、帰れ〜!で訪問看護開始。

すごくシステマチックに流れていて、あれよあれよと言うまに決められていく。

そしてこれが一番大事なとこなんだけど、それが嫌じゃない、と言うか、俺のことを目の前でポンポン進められているのに不愉快な感じは全くしなかったの。謂わゆる患者置き去り感はゼロ。

で、その「嫌じゃない感」はどこから来るのか、なんなのか?分析まではしてないけどさ。

ただ一つ確かなことは「訪問看護」も「アレンジの迅速さ」も、それによって何がもたらされるのかって言うと、「圧迫しない」。

医療が生活を圧迫しない。

ってことなんだと思うよ。

病院に行くためにその日の大半を費やさないための「訪問看護」、術後の体力を書類手続きで消耗しないための「迅速アレンジメント」。

「医療費」の圧迫もあるし、もっと本質的なこと言えば「本人の苦痛」も「回避するべき圧迫」かもしれないよね・・・。

20年以上老人福祉、施設介護・在宅介護に関わってきてさ。シームレスな退院手続きや在宅ケアのチーム作りにはそれなりの知識も経験もあるつもりだったんだけどね。気付かされることが多すぎるよ。

・・・色々考えさせられるよね。

って、考えるか!アホか、俺!カッコつけんな!無職のくせに!まだどこかの施設長のつもりでいるのか!まだ福祉屋のつもりかよ!ば〜か!なーにが「ただ一つ確かなことは」だよ!ガイアの夜明けかよ!更にはなーにが「・・・色々考えさせられるよね。」だよ!お前ごときが考えてどーなるよ?今後の仕事に活かします!とか言うのか?ばーか!お前はもう施設長でも福祉屋でもなく、間違ってもおじぃおばぁ達の健康とか訪問看護とか考えるような立場じゃねえんだよ。無職だよ無職!

と、強めの自己批判をしたところで、こうも素晴らしく機能する医療システムを持ちながら、何故、「看護記録」に貼るステッカーがこれほど雑なのか🤣、そもそもこのステッカーここに貼っていいものなのか🤣ということも考える。

これは考える🤣

転載元
https://www.facebook.com/kazuro.kinjo/posts/pfbid02MYt8cJzj1FJwMx85SPe1ZKmz1iTtg7F2JGJpEXvHkW3UnDBpWMdeCvVmpUJZyeZbl

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