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47歳で初めて、本当に初めて気づいたこと。

自己紹介:妻の転勤を機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。13歳の娘と家族3人で2023年夏にオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく働く気も全くなし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。

2023年 5月・・・渡豪まで3ヶ月。。

今更ながら言うけど、俺は良い人間じゃない。「そんなに」良い人間じゃない、じゃなくて「本当に」良い人間じゃない。言ってしまえば冷たい人間。です。

4年前に祖父が入院した。その時、親戚や従兄弟連中は足繁く見舞いに通い、既に意識がなくなった祖父の足を摩り、髪をとかしずっと寄り添っていた。数ヶ月の入院の間、みんなが代わる代わるお見舞いをした。でもね、俺、1、2回か、うん、数えるほどしか行かなかった。そして祖父は他界した。

その数年後に亡くなった祖母の時もそう。彼女に関しては、当時俺が勤めていた老人ホームの系列施設に入居していたのに、顔を出したのは本当に数回。これはコロナ禍の面会制限を理由にしたけど、はっきり言って法人内の施設長なんだからいくらでも行けたはずなんだよ、俺。でも数回。本当に数えるほどしか会いに行かなかった。

今日、数ヶ月前に入院したもう一人の祖母のお見舞いに初めて行った。他の親戚は毎週行く人もいて「今日のおばあちゃん」なんてLINEグループもある。でも、俺は行かなかった。今日まで一度も。

自分がやっていることながら、本当に冷たいやつだな俺、って思っていた。

昨日が日曜参観で今日休みだった娘・13歳が、突拍子もなく「パァパ、大きいおばぁちゃんの顔、見に行こう」って言うからさ、行ったんだよ。病院にお見舞い。

コロナ禍でエレベータ前での制限時間5分。

今年の正月に元気に仏壇を掃除していた祖母は、今日はそうと言われなければわからないほど小さく痩せていた。前に娘がきた時は握った手を握り返してきたらしいが、今日は布団から手を出すこともなく、俺が「おばぁちゃん、来たよ・・・」というと、大きなマスクの上の方から少しだけのぞかせた目はうつろで、それでも俺を見て涙を流した。言葉は全くない。俺の顔をじっと見て、俺が言うことに小さく頷くだけ。時折思い出したように流す涙を拭うこともできない。透明なボードで仕切られているから彼女の身体にふれることはできなかった。立ち会っていたナースに「元介護関係者です。グローブして手を触ってもいいですか?」と聞けたら、もしかしたら手を握ることぐらいできたかもしれない。でも、聞けなかった。制限時間を2分も残して出てきた。3分、顔を見ただけ。

無言で病院を出て車に乗り込んだ時、13歳が

「・・・会いに行ってよかったでしょ?」

と言った。

うん。よかった。・・・よかったんだけどさ、今日、って言うか今、いろんなことに気がついた。とても大事なこと。・・・パァパはずっと思ってたんだよ、なんでこんなに冷たい人間なんだろう、自分は、って。老人福祉なんかしているくせに、実のおじいちゃんやおばあちゃんのお見舞いにもろくに行かない俺って、なんてひどい人間だろうって、ずっと悩んでたんだよ。で、その理由も自分では分からなかった。理由も分からず、なんとなく身内のお見舞いにも行かない俺は、老人福祉なんかする資格ないってすら思ってたんだ。

でもね、今日、なんかわかった。おばあちゃんの顔見てわかったことがあるんだよ。



親父が死んで5年になる。約4年の闘病生活、最後の数ヶ月は自宅での療養だった。家にいるのはお袋一人。日に日に弱っていく親父の介護をお袋一人で行っていた。ある時期までは、まだ親父も立ってトイレ行って飯も自分で食えていたんだけどね。爪切りや散髪、髭剃りがうまく行かない。お袋がやると痛いらしい。で、俺が呼ばれる。

俺ね、施設長風吹かして威張っていたけど、ちゃんと介護職経験あるんだよ。できるの、一通り。4年間現場の介護職だったから、できる。爪も痛くないように切るし、疲れない姿勢で座らせながら散髪できるし、髭剃りもできる。20代の時に得たものが40歳を過ぎて役に立ったんだよね。

寝たきりになり、トイレもいけなくなった親父のオムツの仕方をお袋に教えた。普段はお袋が一人でベッド上での清拭をするだけだったけど、週末には俺が出向いて2階の風呂場まで移動して椅子に座らせて、ゆっくりシャワーを浴びせた。ハッとするほど小さくなった親父の髪を洗い、背中を流した。そして結局、お袋が最後まで怖がってできなかった喀痰吸引も俺がやった。痰が絡んで苦しそうな親父の口に管を差し入れて痰を除去したあと、親父が一言「上手だ」って言った。その後「楽になった」とも。その3時間後に親父は死んだ。ベッドに腰掛けた彼の汗ばんだ背中を俺が拭いている間に。

その時、突然胸によぎった感情。

「俺が介護現場で働いたのは、介護技術を取得したのは、こんなことをするためじゃない」

言葉にすればそうなるけど、もっとモヤモヤとした後悔にも似たものがずっと心の中にある。5年前から、ずっと。



「パァパが介護技術を得たのはじぃじを介護するためじゃない、ってこと?後悔?・・・ちょっとよくわかんない」

うん、わかんないよね。パァパもよくわかんなかった、さっきまで。でもなんかわかったんだよ。・・・例えばお坊さん。一生懸命勉強してお経を唱えて供養して遺族に感謝される仕事だよね。とても素敵な仕事だ。大切な仕事だ。とても誇り高い仕事だよ。

「うん」

でもさ、例えばそのお坊さんの子どもが亡くなっちゃったとしたら、そのお坊さんはその自分の子のためにお経を読むことを、どう感じると思う?

「あ・・・」

うん、きっとこんな悲しいお経を読むためにお坊さんになったんじゃないって思うと思うんだ。・・・それに似ている気がする。

「・・・」

そしてもう一つ気づいたことがあるんだ。実はね、これがとても大事なことだった。・・・パァパは何十年も老人福祉で働いてきてさ、何百人ものお爺さんお婆さんと過ごしてきたでしょ。寄り添いながら笑いながら泣きながら。そして何十人ものお爺さんお婆さんを見送ってきた。楽しいこともたくさんあったけど、悲しいこと悔しいことも同じくらいあった。その時に自分に言い聞かせるのは「仕事だからしっかりやらなきゃ」だったんだよ。パァパが施設のお爺さんやお婆さんと接する時、それは「介護職の顔」であり「施設長の顔」なんだよね。決して彼らの家族や肉親ではない。もちろん、そうあってはいけない、我々は家族ではなく介護のプロなんだと言う意識を持ちながら仕事をしていたんだよ。

パァパは医者じゃないけど、わかるんだよ。施設で病床に伏せたお爺さんお婆さんの手を握った時、足をさすった時、あ、ご飯食べてないな、とか、体温低いな、って反射的に思ってしまう。そして、もう時間がないな、ってことも、わかってしまう。もちろん医療者のように正確じゃないけど、わかっちゃうんだよ。・・・でも、その時でもパァパは言わなきゃいけない。「大丈夫ですよ。早く元気になってまたお話ししましょうよ。また、お顔見にきますね」って。施設長だからさ、やらなきゃいけない。そう言い続けなければならない。

・・・そして、その足で緊急に備えて家族に連絡し、訪問看護や担当医師へ今夜が峠であるかもしれないことを伝え、夜勤体制の見直しをし、予定していた友達との飲み会にキャンセルの電話を入れ、夜中にまた来ることになるかもしれないな・・・と思いながら退勤する。

それを難儀だとか辛いだとか思ったことは、ないよ。これは本当。だって全ては仕事だから。それがパァパの責務だから。パァパは施設長だから。そうでしょ。

「・・・うん」

でもね、じぃじのお風呂のお手伝いをしている時、パパパッと手際よくできる自分に、とても違和感を感じたの。嫌悪感かな。喀痰吸引も、ばぁばのように怖がらなかった。そりゃそうだよ。それまで仕事として何度もやってたんだから。簡単だったんだよ。オムツ交換も簡単だった。自分の父親のオムツを母親に教える。もっといろんな感情があってもいいはずなのに体が自動的に動いて、そつなく完璧にやったんだよ、全て。そばでオロオロするばぁばに、ちゃんと見てて、って言いながら。

「・・・うん」

なんかさ、全てがそれまでの介護の仕事の延長のように思えちゃったんだよね、あの時。それがとても怖かった。

「・・・」

何十年も「仕事」として行ってきていたこととは言いながら、今、この状況でなんの戸惑いもなくやってしまった自分自身が、とても嫌だった。

「・・・」

今日、おばぁちゃんにさ、早く良くなってね!とは言えなかった。それはさ、それ言うとさ、なんかパァパが何十年も仕事として言ってきた言葉と同じになってしまいそうで、どうしても口から出なかった。またくるね。が精一杯だった。

自分のお父さんやおじいちゃんおばあちゃんに、仕事のような態度になってしまうのがずーっと怖かったんだ、ってさっき気づいたよ。

「・・・」

だからって今の今まで満足にお見舞いに行かなかったことの言い訳にはならないと思うけどさ・・・。

「でも、前だって、仕事って言ったって嘘の気持ちじゃないでしょ?ちゃんとその利用者のことを考えて思って言ってたんでしょ?」

もちろん。それはもちろんそうだよ。それは嘘の言葉じゃないよ。

「それに、パパァ、台風の時は施設に泊まって帰ってこなかったし、夜中に電話が鳴ったら何時でも出ていったし、一生懸命やっていたから!パァパは『仕事だから』って言ったけど、だからと言って適当になんかしてないじゃん。本当に一生懸命に必死にやってたじゃん」

そうかね(´∀`)

「そうだよ!だからパァパが福祉の仕事していたってことがじぃじのお世話に役立ったんだよ!じぃじ、とても嬉しかったと思うよ!パァパが上手に爪切ってくれて嬉しかったと思う。パァパいつも言うじゃん!友達に帽子の専門家や、お酒の専門家や、レコードの専門家がいることはとても幸せなことだよ、何か困ったらあいつらに聞けばいいんだから。って!それと一緒だよ!パァパは介護の専門家なんだよ!仕事の延長線でもいいよ!その仕事を真面目にやっていたからできたんだよ!」

そうか、そうだといいね(´∀`)・・・なんで泣く?

「泣くさ!パァパ、こんなことばっかり考えてアホだから!アホ!・・・大きいおばあちゃんに仕事の時と同じ言葉を言ったとしても、でも嘘じゃないでしょ、それは。仕事の時も心から良くなって欲しいって思っていて、それでも施設長だから他にもいろんなことを考えなくちゃいけないってだけで!」

そうかもね(´∀`)・・・もう泣くな🤣

「泣いてない!・・・亡くなった大きいおじいちゃんたちも、今日の大きいおばあちゃんもそんなことわかっているよ!カズロは仕事が忙しいからなかなか来れないよね、ってみんなわかっている!・・・今は無職だけど」

無職だったら毎日お見舞い行け!って(´∀`)?

「毎日は行かなくていいよ。・・・大きいおばあちゃんは、何も話しなかったけど、パァパのこと全部わかっているよ。もしかしたらパァパがなかなかお見舞いに来にくい理由もわかっているよ。だっておばあちゃんだもん。全部わかってるってば」

そうかな(´∀`)・・・また泣いてる🤣

「泣いてない!・・・パァパ、さっき言ったよね。お医者さんじゃないけど、足触ったり、手を触ったりしたら大体の状態がわかってしまうのが嫌だって」

うん、言った。

「・・・もしかしたら、おばあちゃん、それもわかっていたから、今日布団から手を出さなかったのかもしれないね」

・・・・。

「・・・あい、なんで泣いてる!」

泣いてない!



上記のことはあくまでも俺の個人的な感情で、全ての介護職の心境がそうではないのはもちろんです。みんな心から真剣に施設でお年寄りのお手伝いをして、家でも懸命に自分の祖父母や老父母のお世話をしているんだよね。

今日、俺30年も老人福祉をやってきたくせに、まだまだだな、思ったよ、本当に。13歳に教えられるんだから。

おわり。

家に着いたら盛りのついた14歳と4歳が喧嘩してた(´∀`)

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