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「お子様ランチ」と「旗」

自己紹介:妻の転勤の機に福祉施設の施設長を退職し、持ち家も処分。当時13歳の娘と家族3人で2023年夏にオーストラリアに移住の48歳。現在子育てと家事全般を行う完全専業主夫。ワーホリのタグ付けをしているが、ワーホリではなく働く気も全くなし。一応、社会福祉士だが外国ではなんの意味もない。吉本芸人チャド・マレーンがオーストラリアを「ラリア」と呼ぶことに感銘を受け、そのまま使用する。

俺がギターを弾いているハードコアバンド「クサレナイチャー&タックルサリンドス 腐敗大和人と叩殺衆」のボス、KさんのSNS投稿に「お子様ランチ」について記事があって、チキンライスに立っていた国旗について盛り上がる。

お子様ランチの旗って通常は日の丸が基本のようで、ヤホーで画像検索すると確かにそう。へぇ。そうなんだ。実は結構な衝撃。

40年以上前、オレがお子様ランチを食べるのは沖縄市サンエーの最上階、こども広場の隣にあるレストランがデフォだった。そしてチキンライスに立っている旗は大概ユニオンジャックか星条旗。そのイメージしかない。日の丸、見たことない・・・。そしてさっき画像検索で見た「日の丸のお子様ランチ」に妙な違和感も覚えた。

沖縄ではある時期まで日の丸は2つの理由で忌むべきモノだった(と思う)。一つは1945年の沖縄戦の悲劇、もう一つはは1972年の悲願の祖国復帰後も「本土」に裏切られ続けた屈辱、その二つの歴史の象徴として。

特に後者は根深い。それは先の大戦時、その旗のもとに多くの島民が犠牲なった「日の丸」は、本土人が持ち込んだという事実に対し、祖国復帰時は県民自らが両手にそれを掲げ「希望」をもって振り続けたことが大きいと思う。祖国復帰後は生活が良くなる、やっと「戦後」が終わる・・・。でも、そんな未来は完全に反故にされ「日の丸」に託された思いは失望に変わったじゃん。

そして「日の丸=沖縄を苦しめる象徴」という感情が充満した空気の中で、1975年に俺は生まれた。そして、12歳の時に国体開会式で日の丸がポールから降ろされ、引き裂か、れ火をつけられるのを目の当たりにした時、その感情は俺自身のものになったんだよ・・・。

実際、幼少時〜少年時に街中で日の丸を目にすることってほぼなかった。逆に国防色に塗りたくられ大音量で軍歌を流す右翼の街宣車に大きく掲げらたそれをみて、その「異様さ」「異質さ」だけが鮮明に今でも記憶残っている。

この刷り込みにも似た原体験が俺の「沖縄対本土」という思考をつくるのに大きく影響したことは間違い無いよね。怒られることを覚悟で言えば、ある時期まで「日の丸」という存在はナチスドイツの「鉤十字」と同レベルのモノだった。言い過ぎかな?いや、少なくとも俺にはそうだった。

数十年前の大戦の相手国の国旗である「星条旗」よりも、今もなお沖縄を蔑む「日の丸」が、よっぽど忌むべき存在だったんだよ。

今は流石に大人になって、若い時のように日の丸に対する負の感情はだいぶ薄れてきているけど、幼い頃から持ち続けた違和感は今現在もあるし、きっと今後も完全に拭い去ることはできないと思う。

そして。

この1年、俺は違和感しかない「日の丸」の印刷されたパスポートを手に行動し、何度も〈Nationality〉の欄に〈Japan〉と記入する生活をしている。毎回、どこかに〈Okinawa〉と書く欄はないか、と探すけど当然そんなものはないよね。

だから俺は自己紹介する時、必ず言う。「From Okinawa」って。すぐにわかってくれる人もいればそうで無い人もいるけど、俺はこれからも「From Japan」の前に「From Okinawa」って言い続けると思う。

冒頭のKさんのSNSに「沖縄には日の丸、ないっすね」と俺はコメントした。何度も東京から辺野古に行き、基地建設反対の座り込みに参加しているボスは一言

「沖縄には沖縄の何かがある」

って。

そう言ってくれるだけで、ただそれだけで、すごくありがたいんだよな、実は。

「違和感」は違和感のまま、残しておきたいんだよ、俺の中に。

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