Kazuoki Crest

物理(物の理屈)を極めるつもりが、24時間戦えますか、のベンチャーで技術屋として働いて…

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物理(物の理屈)を極めるつもりが、24時間戦えますか、のベンチャーで技術屋として働いてきました。が、極度の緊張性頭痛で何もできなくなって10年余、脇見歩きで「なんやこれは????」とつぶやきながら、徘徊してしのいでいます。映画、音楽、ガーデニングで癒されるのが薬です。

最近の記事

ごまめのごたく:ロシアのもろもろ(1)

イントロロシアがウクライナに侵攻した2022年4月のメモ 次の歌詞、ここ一か月、頭の中でリフレインし始めることしばしばです。 特に最後の、ジョージアズ おんまいまいまいまい・・・マーインド ビートルズの通称「ホワイトアルバム」1968 の第一曲 Back in the USSR。 The Ukraine(ユークレイン) girls really knock me out They leave the West behind And Moscow girls mak

    • SHINE:転落からの帰還

       今回は「SHINE」(1996)。オーストラリアの映画。  アーティストが上り坂で転落。失われた人生からの帰還を描く。  実際に日本にも来て公演したことのある、デヴィッド・へルフゴットの生涯を描く。厳格な父親に一流のピアニストになることを強いられ、コンクールでラフマニノフを演奏するが、精神に変調をきたして、記憶障害となる。そののち何年かして、あてどなく雨の中をさまよっているへルフゴットのシーンから映画は始まります。雨宿りの場所にぴったりの、ピアノパブを見つけて・・・・オープ

      • ブルージャスミン~TAR~ダンサーインParis・・それぞれの人生

         前回紹介した「泳ぐひと」を見た後には、人生に敗北した現実を突き付けられた主人公、ネッド・メリルの妻ルシンダや娘たちの人生はどのようなものだったのだろう・・・などと妄想の余韻が残る。    時代の波に乗って儲けた男が、事業に失敗してその資産を全て失ってしまった後の、妻の側から物語 2014年ウッディアレン監督の映画 ブルージャスミン 映画の冒頭から最後のシーンまで、ジャスミンの独り言らしからぬ独り言が、物語の展開を支配しています。 会話の相手がいることは意識しているのかい

        • 時の狭間のシネマ:「泳ぐひと」

          1950年代から1960年代初めのアメリカの経済成長の波に乗った富裕層と、それを支える家族や地域社会を蝕みつつある病の兆しを、絶妙なタッチで描いた奇妙な味の異色作です。  1970年ごろ、たいがい街のどこかに単館映画館があって、複数の映画が併映されていてた。指定、入れ替え無しで、上映途中で入ってもよかった。満席で立ち見、通路の階段に座ってみてもよかったし、オールナイト上映も普通にあった。  学生時代、名古屋で、この時も飲んだ後の酔い覚ましに入ったかと思う。確かメインが「猿

        ごまめのごたく:ロシアのもろもろ(1)

          歴史の断層と交流:めぐりあう時間たち

          映画「めぐりあう時間たち」 数年前、「めぐりあう時間たち(The Hours)」をWOWOWで見た。(妻がドラマ好きのおかげで、随分前にWOWOWを契約し、家では、そのおこぼれで映画を見てます)DVDに落として三回くらい観た。 2002年アメリカ映画。  ヴァージニア・ウルフの小説「ダロウェイ夫人」の主人公である、クラリッサ・ダロウェイ風の人々の群像劇。 ・ 1923年の英国、リッチモンドでのヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)の1日、 ・ 1951年のロサンゼ

          歴史の断層と交流:めぐりあう時間たち

          記憶の記録:ニジンスキー

          タイトル画像は、QUEEN ”I want to break free” のMVで、ニジンスキーの「牧神」のポーズをとるフレディー・マーキュリー はじめに・経緯  この稿を書き始めるに至った経緯を少し説明しておきます。  ぼくは、関心を持ち始めると、たいがい、「ここ掘れワンワン」と深堀し始めるのですが、ところが脇見歩きが性分で、探索を始めると、棚から牡丹餅というか、本題と関係ないようなことに気をひかれて、脇道に入ってしまうことしばしばです。ところが、どこかで最初の本題との

          記憶の記録:ニジンスキー

          ベートーベンの第九「歓喜の歌」の周辺

           今年は、ウィーンでの「第九」の初演(1824年)から200年、日本での日本人による初演から100年という節目。  そこでベートーベンの交響曲第九番と、その曲構成を支える、第4楽章の合唱「歓喜の歌」の解釈の変遷のごたくです。 はじめに 違和感 日本で、年末の恒例になっているのですが、聞くだけなら、歌詞の内容に踏み込むことはあまりないと思います。  一般的なイメージとしては、世界中の人々が、人種や思想、信条を乗り越えられることを信じて、天空の高見から人類はみな同胞であること

          ベートーベンの第九「歓喜の歌」の周辺

          歴史の断層と交流:年末恒例「ベートーベンの第九」

          はじめに コロナ禍に襲われて、2020年から三年中断した「一万人の第九」が12月3日、四年ぶりに大阪城ホールで開催されました。私は2018、19年の二回参加して以来の、三回目の参加ですが、やっと開催されたということで、今までになく盛り上がっていました。 今回は、1983年の最初の開催以来初めて、全都道府県からの参加があったそうです。 (タイトル写真は、12月2日本番前日リハーサル開場4時45分の15分前。全国から参加者が続々と集合するも一歩も動かず)  そこで、第九に関す

          歴史の断層と交流:年末恒例「ベートーベンの第九」

          ごまめのごたく:歴史の断層と交流

          はじめにー茨木市福井というところ  千里丘陵の探索から茨木とアジアの関わりへ、好奇心の赴くままに探索してきたのですが、ちょうど、千里丘陵の北側に活断層が東西に入っていて、そこを亀岡街道が横切っているあたり、茨木市福井周辺を実際に現地を歩きながら過去に思いをはせていると、ここは「歴史の断層と交差点」だ、という感じがします。  もとはといえば、10年ほど前に茨木童子に関心を持って「茨木童子の素顔に迫る」を読んだことからスタートしています。この本から地図を参照させてもらいます。

          ごまめのごたく:歴史の断層と交流

          ごまめのごたく:茨木からアジアへ

          まえがき前回の「千里丘陵から茨木へ」の続きです。  資料をあさっていると、たいがいテーマや地域ごとに歴史が語られるので、私のような歴史に疎いものには、難解な映画を読み解くのと同じで、時系列が行ったり来たりして、因果関係が分からなくなります。 本稿では、できる限りあちこちで起こるいろんな事件を、時系列で組み立てるよう努力してみました。 ごまめのつぶやき:時の流れの積層に、地域の歴史が重層し、離れ離れの異文化が時を超えて重奏する。 朝鮮、中国に対する対応  さて、日本は、日露

          ごまめのごたく:茨木からアジアへ

          ごまめのごたく:千里丘陵から茨木へ

          イントロ 山田の周辺(2)で述べたように、千里丘陵の東北、西国街道沿いに道祖本(サイノモト)という旧地名があって、その北東1kmの所に紫金山古墳が、南側2kmほどの所に、紫金山公園があること。また、明治初期のプロイセン皇孫遊猟事件や、山田別所のイザナギ神社に、中国遼東半島の金洲城の瓦を模したカメレオンみたいな狛犬が奉納されていること(これは、「脇見歩きのつぶやき:山田という所」参照)などを書いた。どうも、明治から大正にかけての外国と交友のある著名人がかかわっている地域だな~

          ごまめのごたく:千里丘陵から茨木へ

          ごまめのごたく:千里丘陵の周辺

          イントロ 最初に勤めた会社が、千里中央と桃山台の間の東豊中にあって、自動車で通っていた。駐車場のすぐ脇は竹林で、ムカデがいた。大阪万博会場を東西に突っ切る大阪中央環状線(中環:中国自動車道路に並走)を車で走っているときは、千里丘陵を突っ切ていることは十分意識していたし、車の車窓からの景色には、必ず竹藪が目に入るので、千里丘陵というと竹藪の丘というイメージが昔からある。 しかし、東西南北どこまでが千里丘陵なのかは意識していなかった。 昔から、地図を眺めるのが好きで、パソコンの

          ごまめのごたく:千里丘陵の周辺

          ごまめのごたく:山田の周辺(2)

          しばらくは、'note'の続きです。 あちこちの脇見歩きで面白いものにぶつかると、また小さなわき道に入ってしまいます。そのうちにどこにいるのか分からなくなって、大きな本道に出会うことを願いながら、さまようことになります。 関連する地域を、今昔マップで示しておきます。 佐井寺と山田寺「脇見歩きのつぶやき:山田という所」の流れで、「茨木童子の素顔に迫る」を読み直して、山田別所で出会った伊射奈岐神社に関連する記事を拾ってみました。  『 別所の南西二キロメートルに「佐井寺」が

          ごまめのごたく:山田の周辺(2)

          ごまめのごたく:山田の周辺

          あれこれ調べたことを、ここでえいやっと並べてみます。覚書'note'です。 へたすると、脈絡のない羅列になりそうなので、時期尚早ではありますが、現時点での推定結論?的なことから。 1.山田の地名を有する、次の場所は、天照大御神と豊受大御神(大御は最上級の敬語)の伊勢への遷座に関連する共通の特徴がありそう。  丹後山田、伊勢の宇治山田、奈良県桜井市の山田、吹田市の山田、伊丹の山田 2.これらの地名としての山田は、山の中の田んぼ、というより、山と田、と理解したほうがよさそう。

          ごまめのごたく:山田の周辺

          脇見歩きのつぶやき:山田という所(2)

          全国には山田という地名が何千とあるようですが、ここでは、伊丹市山田と、吹田市千里の山田、そして伊勢の宇治山田について。 吹田市山田の散策から帰ってから調べてみました。 爬虫類みたいな狛犬について 神社のHPにある由緒書きによると、「明治末期、大連にあった金洲城の屋根の飾りを模して製造し奉納されたものです。」とありますがそれだけです。改めて、先日現地で撮った写真を見ると、台座のところにそれらしい文字が見えます。  金洲城はどこの城や?と思って調べると、日露戦争の時に遼東半島

          脇見歩きのつぶやき:山田という所(2)

          脇見歩きのつぶやき:山田という所

          5月の連休、伊丹市山田で青面金剛祭所を発見した翌日、 千里丘陵の南東の山田という所を散策してきました。前日にたまたま立ち寄った伊丹市山田との関連は、まったく偶然で、わざわざ山田関連散策シリーズとして出かけたわけではありません。しかし結果として、流れは山田シリーズになりそうです。  散策のそもそものきっかけは、前茨木市教育長、大橋忠雄氏の「茨木童子の素顔に迫る」2011の、「Ⅶ 別所と銅鐸  一 吹田市山田別所」 に、俘囚の移配置と産鉄地との関連で、あれこれ書かれていたからで

          脇見歩きのつぶやき:山田という所