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ごまめのごたく:ロシアのもろもろ(5)プーチン登場

 今回は、ティモシー・スナイダーの「自由なき世界ーフェイクデモクラシーと新たなファシズム」を中心に、書かせてもらいます。

 原著がロシアのウクライナ侵攻前の2018年で、(日本では2020年、慶応技術大学出版会)当時、これを読んだ多くの人たちが、 この本を、専門家でさえ「こんな途方もない話があるんかいな???」と思って、途中で読むのを投げ出したようです。


ソ連邦の崩壊からプーチンの登場まで

 1991年8月18日、ゴルバチョフに変ってエリツィンが大統領となり、12月ロシアはソ連から離脱した。ソ連のかつての共和国はすべてこれに続いた。
 エリツィンを取り巻く少数の金持ちは、この段階で「オリガルヒ」と呼ばれるようになり、大統領と自分たちに有利に働くよう民主主義を操ろうとした。

 1999年になると、エリツィンは見るからに病気とわかり、しじゅう酔っぱらっていた。エリツィンの「ファミリー」を生きながらえさせ、その富を維持できるようにする後継者が必用だった。

 後継者を見つけるためにエリツィンの取り巻きは人気のエンターテインメントに出てくる好きなヒーローについての世論調査を行った。

 その結果は、1993年に、スパイ小説をテレビドラマ化したシリーズ番組「春の17の瞬間(とき)」(同名の原作が、日本でも翻訳出版されている)の主人公マックス・スティルリッツ、だった。
 スティルリッツは、第二次世界大戦時にドイツ軍情報部に潜入したソ連の諜報部員、すなわちナチの軍服をまとった共産主義者のスパイだった。

プーチン登場

 ウラジミール・プーチンは、レニングラード(現在のサント・ペテルブルグ)で、第二次世界大戦で悲惨な目にあった家族のもとで1952年に生まれました。
 不良グループとの付き合いがあり、スパイを主人公にした映画を見たのをきっかけにスパイに憧れ、大学入学前、日本でいう高校卒業直後にはKGB入りを志願したと言います。しかしKGBの採用はリクルートのみだったので、KGBの面接官の助言にしたがいレニングラード大学の法学部に入学。その後、KGBにリクルートされました
 1998年以降ロシア連邦保安庁(FSB、旧KGB)長官としてモスクワでエリツィンに仕えていましたが、KGB在籍中は、東ドイツの地方都市でさほど重要でもない職に就いていて、物語のスティルリッツに最も近いと思われました

 この時のプーチンの知名度は低く、何とかして彼が解決したように見せかけられる危機をでっちあげる必要がありました。

 『1999年9月、ロシアのいくつかの都市で爆破事件が連続して発生し、何百人ものロシア市民が犠牲になった。
当時、実行犯はFSBの職員の可能性があると思われ、自作自演のテロの可能性がささやかれた。』

 『しかしプーチンは、爆破に関与したとして、コーカサス地方にあるチェチェン共和国に軍事侵攻を命じた。』
『チェチェン人と爆破との関係を証明するものは何もなかったが、この第二次チェチェン戦争のおかげで、プーチンの支持率が跳ね上がり、12月にはエリツィンが辞意を表明して、プーチンを自分の後継者に指名した。』
 
こうして、2000年3月の大統領選で、プーチンは絶対多数の票を獲得しました。

最初の二期ー2008年まで

 プーチンが大統領を務めた最初の二期、つまり2000年から2008年のあいだは、ロシアは年平均7パーセントに近い成長を遂げた。

 『2001年アメリカでの「9.11」テロのあと、プーチンはNATOに対してロシアからの支援を申し出た。
2002年、プーチンは「ヨーロッパの文化」について好意的に語り、NATOを敵とすることを差し控えた。」

 そして、ポール・マッカートニー(当時60)は、2003年5月24日夜、元ビートルズのメンバーとして初めてモスクワの赤の広場でコンサートを行い、プーチン・ロシア大統領を含む約1万8000人の観客を楽しませたのでした。

『2004年にプーチンはウクライナのEU加盟を支持し、それが実現すればロシアの経済的利益につながるだろうと述べた。』

しかしながら、(次は、「シベリアに独立を!」より)
『各共和国に、「民族自決」の度合いを高めたいという願望の実現をめざす、かすかな文化的、政治的表現が現れると、たちまち芽を摘んでしまうというのが、プーチン流連邦制の特徴である
 共和国の首長(大統領と名のることを禁じられた)は、共和国の公選によるのではなく、すべてロシア連邦大統領(プーチン)の任命によるものと改められた。』

『ロシアの民族共和国の人たちは、こうした改変がいつ起きたか思い出せないほど、「ひそやかに」、「いつのまにか」、「あっという間に」起こってしまったという』

『2002年、12月11日の法改正で、「ロシア連邦共和国の言語は、キリル(ロシア)文字で書かなければならない」と決められた。』

2012年、プーチン三期目へ

 2008年の大統領選で、プーチンは法的には三期目の大統領職に立候補することができなかった。そこで代わりに無名のドミトリー・メドヴェージェフを後継者に選んだ
 メドヴェージェフは大統領に就任すると、プーチンを首相に任命し、この政権下で、大統領の任期を六年に延長するようロシア憲法が改正された

 こうしてプーチンは、2012年の大統領選挙において、「自由選挙」とは言えない、いかさま選挙で大統領に還り咲いた

プーチンの思想

ロシアのキリスト教への改宗

 2012年にロシア議会で最初に行った演説の中で、ロシアの歴史の流れなかに展開する壮大な景観の中で、現在は永遠のサイクルの完結点にいるとした。

 そのサイクルの開始点は、自分と同一の名前、ロシア人がウラジーミルと呼び、その時代にはヴォロディーミルもしくはヴァルディマーと呼ばれた中世初めの諸侯の一人がキリスト教に改宗した988年だった。

 988年にキリスト教に改宗したウラジーミルと、彼の祖先スウェーデンからのバイキング「ルス人」の9世紀から10世紀のロシアへの侵攻については、やはりぜひとも知っておきたいところなので、稿を改めて書くことにします。
 
ともかく『ウラジーミル・プーチンはー「神の御意志によって」ー歴史を超越して現れ、ある名前を持っているというだけで1000年のロシアの過去を神秘的にも一つにしたロシアの救世主ということになり、時間は、事実がそっくり失われた神秘的な輪になった。』

思想的指導者イリイン

 この項は咀嚼して述べるには、あまりにもややこしいので、キーワードとなりそうな文章を箇条書きに引用させてもらいます。

・ 最高のオリガルヒのウラジミール・プーチンはファシストの哲学者
 イヴァン・イリイン(1883-1954)を案内役に選んだ。

・ 2017年にロシアのテレビ局は・・・イリインを道徳的権威として紹介する番組を放送した。

・ イリインはファシズムこそ来るべき世界の政治であると考えた。

・ イリインは自分の祖国は生き物であり、・・・エデンの園にいる原罪を持たない動物であると主張した。
 細胞が肉体に属するかどうかを決めるのは細胞ではないのだから、ロシアという有機体に誰が属するかは個人が決めることではなかった


・ イリインは、ソヴィエト崩壊後のロシアにウクライナが組み込まれるのは当然のことだと思っていた。

・ ロシアはつねにヨーロッパによる「大陸封鎖」の犠牲者だった。イリインは事の次第をこう見ていた。

 「ロシア国家はキリスト教に完全に改宗して以来、1000年近くも歴史的に艱難辛苦を舐めてきたのだ」。ロシアが悪をなすわけではなく、ロシアに対してだけ悪事がなされるのだ。
 事実は重要ではないのだし、責任も消えてしまう。

・ 戦争とは、イリインが唯一是とした「度の過ぎた行為」、無垢な生命体とこの世のものならぬ救世主との神秘的な交わりだった。真の「情熱」とは、ファシストの暴力だった。それは反乱の剣であり、また跪いての祈りでもあった。

・ 自分たちは無垢なんだという嘘にどっぷり浸かれば、ロシア民族、は盲目的な自己愛を身につけることができるだろう。・・・・プロパガンダの達人スルコフは・・・・夢を見ている状態を永遠に維持させることが自分の仕事だと解説したのだ。真実など何もないことがただ一つの真実であるならば、嘘つきこそがロシアの崇高な僕となりうるのだ。

・ プーチンは、自分の嘘をウクライナの指導層が信じないのも当然だと思っていた。

・ 嘘が途方もなく明々白々なものであるほど、臣下たちはその嘘を受け入れることで忠誠心を示そうとはやり、クレムリン権力の巨大で聖なる神秘に進んで加わろうとする。

・ プーチンが事実の存在を真っ向から攻撃するやり方は「もっともらしい反証」の逆で「もっともらしさのない反証」とでも呼べるものだ。

「もっともらしさのない反証」というプーチンの戦略は・・・・話の片側に身を寄せてみせながら、事実の存在を小馬鹿にしたのだ。「私はあなたに大っぴらに嘘をついていて、そのことを私たちのどちらも知っている」というのでは、話のどちらかの側にいることにさえならない。それは罠なのだ。

 このイリインのとっつきにくい思想については、ロシアの民衆、庶民生活における宗教的な傾向、説話、信仰の役割についての理解がベースにあるようなので、たまたま手に入れた、岩波新書の「ロシア異界幻想」という本をもとに、稿を改めます。