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ごまめのごたく:ロシアのもろもろ(7)異界幻想(前)

タイトル画像右上は、月岡芳年「老婆鬼腕を持去る図」;老婆は茨木童子


はじめに

 以前、茨木童子(昔、大江山を住みかとしていたという酒呑童子という鬼の頭領の弟子)について調べ始めて、鬼伝説を追いかけ始めた頃(私の記事「牛頭天王」参照)、読書家だった亡父の蔵書が、倉庫の組み立て式書架に紐でくくってしまい込んであったのですが、一冊の本が転げ落ちていました。
どこから転げ落ちてきたのかといぶかしみながら取り上げてみると、ここで取り上げる「ロシア異界幻想」(栗原成郎 2002 岩波新書)でした。
 ロシアに住む鬼の話が出てくるかも、と興味深く読み始めました。

序章

 まず、この本の「序章」を紹介します。
 

世紀のはざまにて


 「いま、なぜロシアの異界幻想なのか。ー」
  著者は、ロシアが、新しい世紀を迎えても、なかなか夜明けが迎えられずにいる状況を繰り返してきた、ということから記述を始めます。そして、

 「しかしこのような歴史的な境目にあって最初に曙光を見るのは、つねに、さまざまな幻想や霊感によって衝き動かされる想像力が創造力と結びつく文学・芸術領域においてである。」
 
と続けます。

 「十九世紀末の約20年間は・・・「苦難の時代」であり、ロシアの精神文化の沈滞期に当たる。このロシアの精神界の知的黄昏(たそがれ)のなかにあって超然と屹立していた思想家の一人に、哲学者で詩人のウラジーミル・ソロヴィヨーフ(1853-1900)がいる。

彼は
 「初期においては実証主義と唯物論の影響を受けるが、のちにそれを超克して理性と信仰の総合の必要性を説きつつ思考を展開し、ついには「聖なる叡智」の邂逅の啓示を受けるに至って独自の神秘主義哲学を構築した。」

わざわざ、序章から紹介し始めたのは、ネットで見つけた「プーチンに影響を与えた思想家たち」の記事に、ソロヴィヨーフが挙げられていたからです。

 これに関しては、また後に戻るとして、
本文に書かれているロシア、ウクライナ、ベラルーシ地域に伝わるスラブ民族の説話や宗教観の興味深い話をかいつまんで述べてみます。

「この世」とあの世のしきい


第一章(「この世」と「あの世」のしきい)で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ地域に伝わる東スラブ民族の説話や儀式にみられる、宗教観、死や死者に対する考え方が述べられます。

ロシアの農民の死にざま


 死が間近に迫り、鳥などがやってくるなどの予兆となる夢をみると、正装をして準備を整えて死を迎えるようにします。

 死の間際には、お迎えがやってくる幻想を見ることが多いようです。

家の霊域に住むもの

 次の章で、この地域の伝統的な建築様式による農家の造りが象徴的に宇宙の構造をモデルとしていることを説明します。

 例えば、東側の角は「美しの隅」と呼ばれ、聖像が安置される三角形の「神棚」が設けられていますが、その対角線の隅かまどであり暖炉でもあるペーチカがあって「ペーチのある隅」と呼ばれています。
また、家を、家族とともに誕生して朽ち果てる生命とみなしています。

ペーチカ

ペーチカは、母性もしくは胎児をはぐくむ母の胎を象徴しています。

 ロシア北部では、日光不足で、幼児の骨の発育不全・形成異常、つまり、くる病の発症が多くありました。
 19世紀末のロシア北東部では、くる病による一歳児の死亡率は60%に達したといいます。

 この病気に罹った嬰児を持つ母親は「赤ん坊の焼き直し」という荒療治、治療のために我が子をペーチで“焼いた”そうです。
民間治療師の婆さんが儀式にのっとって行うのですが、焼きが終わると、子供は半死半生の状態でしばしば危篤状態で母親の手に戻されます。
 この残酷な呪術治療を悪用して、成長の見込みのない幼児を間引きすることもあったようです。

バーバヤーガ

 ペーチカに関連して、ムソルグスキーの「展覧会の絵」にでてくるバーバヤーガの話が紹介されます。(本では、元の発音に近い「バーバヤガー」と表記されています」
バーバヤーガは、鶏の脚の上に建てられた家に住む妖怪の婆さんで、体は骨に皮膚がまといつくだけの、骸骨のような姿で、子供を取って食うそうです。

「展覧会の絵」はもう40年も前でしょうか、日曜の朝にやってた「題名のない音楽会」に出演していた若いギタリスト、山下和仁の演奏に衝撃を受けてすぐにLP購入、最後のキエフの大門のエンディングでは、プレーヤの針が飛び上がってしまうのではないかというド迫力でした。彼のドヴォルザーク交響曲第九番「新世界より」のギターソロ演奏会は、劇場に観に行きました。
 24分40秒あたりから「バーバーヤーガの小屋」~「キエフの大門」です。


民間伝承では、バーバヤーガに追われた子供たちを、擬人化されたペーチカが救います。
ここでもペーチカは母親としてふるまっています。

ペチカの歌

ペーチカは、日本では「雪の降る夜は、楽しいペチカ、ペチカ燃えろよお話しましょ・・・」という歌詞のうた「ペチカ」で知られていますが、
この歌は、居間(リビング)にある暖炉のまえでの、食後の団らんを描いているようで、ロシア民謡か、という先入観があったと思うのですが、
この本に述べられているような、かまどのイメージは感じません。

 調べてみると、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の童謡で、ロシア民謡ではなく、日本のうたです。
 大正13年、南満州教育会から、満州に適した歌の作曲を依頼されて「満州唱歌集」に収録されました。
 当時、作詞、作曲者もロシアでのペーチカを実際に見ていたわけではなく、満州の日本人移民の子供たち向けのイメージソングだったわけです。
敗戦後はほとんど歌われなくなりましたが、昭和40年12月、NHKのみんなのうたに登場して大ヒットしました。

へ~、そうだったんだ・・・

 次に、家族の祖先の霊の化身であるドモヴォイの話が続きます。
ドモヴォイは、ペーチカなど家の隅や屋根裏、地下室を根城としています。

死神とあの世

第三章(ロシア・フォークロアにおける「死」の概念)は、死神とあの世、そして生と死の闘いの話です。

 民衆宗教詩や民衆版画において、死神は、手に大鎌を持ち、経帷子(きょうかたびら)をまとった骸骨として描かれます。
 また、人間の身体の腹の部分に「生」があって、頭と胸腔に「霊」がいます。「死」が人間の内なる「生」を滅ぼすと。「霊」は口を通って外に出ます。

 ノブゴロド地方の俗信によれば、「霊」は人の体にあるときは、牢獄の中にいるように不自由であり、「死」が「霊」を解放してやると、義人の「霊」は喜びに震えるという。しかし罪びとの例は(煉獄に行くことになるので)体を離れたがらないそうです。

 その後、霊はあの世に行くのですが、あの世にたどり着くには、鉄の山やガラスの山を越えていかねばならず、それらの山を越えるのに、熊やワシミミズクの爪が役に立つので、お守りとして身に着け、亡くなると遺体と一緒に棺桶にいれられます。
 日用品もあの世で必要なので、タオル、櫛、杖、眼鏡など個人の必需品も棺桶に入れられます。

 夢に、死んだ人がでてきて、靴がなくて足が痛いとか、松葉づえがない、とか要求することがあり、そういう時は、親戚縁者が死んだときに、その人の棺桶に入れて、あの世に持って行ってもらうそうです。

このあと
第四章 「聖なるロシア」の啓示 ー民衆宗教詩『鳩の書』ー
第五章 ロシア的終末論
第六章 天国と地獄の幻景
付録 『鳩の書』

と続いて、
プーチンが官僚や国民の民族宗教的感性に訴えて、今の戦争の必然性を説得するための根拠にしているであろう、ロシアの宗教詩が伝える啓示~終末論の話に入ります。

後半も、一気に書いてしまおうと思ってましたが、長くなると書く方も読むほうもしんどい話・・・なので、あとは後編に回します。