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時の狭間のシネマ:「泳ぐひと」

 1950年代から1960年代初めのアメリカの経済成長の波に乗った富裕層と、それを支える家族や地域社会を蝕みつつある病の兆しを、絶妙なタッチで描いた奇妙な味の異色作です。

 1970年ごろ、たいがい街のどこかに単館映画館があって、複数の映画が併映されていてた。指定、入れ替え無しで、上映途中で入ってもよかった。満席で立ち見、通路の階段に座ってみてもよかったし、オールナイト上映も普通にあった。
 学生時代、名古屋で、この時も飲んだ後の酔い覚ましに入ったかと思う。確かメインが「猿の惑星」だったかで(記憶違いかもしれない)、裏が「泳ぐひと(the Swimmer)」こちらは、まったく宣伝はされていなかったと思う。

 「猿の惑星」を途中から見始めた。最初が見たかったら、「泳ぐひと」を見てから、猿の惑星の始めを見ることになる。退屈な映画を我慢してみた、という人も多かっただろうと思う。

 この「泳ぐひと」という映画、たまたまやっていたのだけれど、一年ほど前の「SFマガジン」の映画評で、ファンタジーとして紹介されていて評価が良かったことをすぐに思い出した。

 というわけで、何とか目を開けて頑張ろうとするも、すぐにうたた寝してしまう。時々目が覚めるものの、ぼんやりとして垣間見えるシーンは、ただ単に、男の人がプールで泳いでるだけ。

 最後の大事なシーンも、居眠りで見過ごしたのか、ひょっとして少しは垣間見たのかもしれないのだが、ちんぷんかんぷん。
どこがファンタジーの秀作なのかさっぱりわからず。

泳ぐひと:1968年、バート・ランカスター主演
日本では1969年9月公開。

 そして30年の歳月が流れ、ツタヤでヒューマンドラマを物色し始め、映画評などつまみ食いしてると、いまや、マニアの間ではカルトムービーということになってるようなのです。気になって、ツタヤや中古ショップに行くたびに「泳ぐひと」を探したが、ない。

 発売されてることは分かっているし、ネットでも購入できるわけですが、僕の性分としては、自分の足で探し回って見つけることが楽しみなわけです。健康にもいいです。

 更に10年の時が流れ、近くのCD、DVDショップが、ネットの趨勢に押されて、閉店セールをしていて、そこで「泳ぐひと」のDVDを見つけたときは、感激でした。

 Official Trailer 

 手に入れたDVDを何度も見ていますが、オープニングのシーン、マーヴィン・ハムリッシュの音楽からぐっと引きこまれます。(昔観た映画館では、子守歌でした

 原作は、アメリカの週刊誌ニューヨーカーに掲載された、ジョン・チーヴァーの短編小説(1964年)
 これが翻訳されている、もう10年以上放置されているサイトがあるのですが、アドレスに「保護されていない通信」メッセージが出るのでアドレス紹介はやめておきます。(もったいないので念のため、覚書:「AAA!cafeは終了いたしました」のアーカイブ「本をめぐる冒険の旅へ」から入れます)

 と、ここまで書いて、調べていると、村上春樹がジョン・チーバーの短編集を翻訳していました!
「巨大なラジオ/泳ぐひと」新潮社2018

 さすが、評判いい短編集です。

 簡単に映画のストーリーを紹介しておきます。

 川沿いの林から海水パンツ姿の男、ネッド・メリルが出てきて、プールのある邸宅の庭へと歩いていく。プールにそそぐ夏の日差しが心地よい。
邸宅の家族と客人に久しぶりの再会、昔話に花が咲く。
 ここは、60年代初期のニューヨークの郊外、広告代理店や金融業界で大もうけした人々のプール付き邸宅があちこちに散在している高級邸宅地

 会話から、住人たちは、週末にはお互いの家に誘い合ってパーティーを開き、次の日は酔い覚ましに、プールサイドでくつろいで過ごしているようです。そして、プールの施設や濾過性能を競い合っています。

 プールサイドで歓談しているときに、ネッドは、妻のルシンダ・メリルと娘たちが暮らしている自宅まで、友人たちの邸宅のプール伝いに、泳ぎながら帰ることを思いつきます。
 「僕が帰るプール伝いの帰り道を、妻にちなんで「ルシンダ河」と名付けよう」と、自分の思い付きに有頂天になります。

 こうして、知り合いの邸宅のプールを、ひと泳ぎしては次の邸宅まで歩いて向かう、という「遊泳」を始めます。

 最初の方では、会う人みんな愛想よく、「今までどうしてたんだ、その後仕事はどうかね」などと笑顔で歓談しているのですが、途中から、妻や娘の話に及ぶと、少し怪訝な顔つきになって「あの時は大変でしたね」というような言葉が聞こえてきます。ネッドは「何が大変だと言ってるんだろう?」と少し気になりますが、すぐに別の話題に入ります。

 プールを渡り歩いていると、住人の様々な家庭の事情も垣間見えてきます。ネッドの友人がすでに亡くなっていて、母親が一人で住んでいる家では、「ここには入ってこないで」と邪険に扱われます。

 ヌデーディストの中年の夫妻は、ネッドが金の無心に来たのかと勘繰ります。

 次の豪邸の前でレモネードを売っている少年がいました。お父さんとお母さんはそれぞれの事情で家を空けることが多く、少年は泳げないのでプールの水が完全に抜かれています。
 仕方がないので、少年と泳ぐ真似をしてプールを縦断します。

 百人を超える客人が集う屋根付きのプールで盛大なパーティーが開かれていました。ここでネッドは間違いなく自分の所有であるワゴンを見つけて、「なぜ無断で使ってるんだ」と口論になります。

 ネッドは、今までの仕事柄(広告代理店の営業?投資?)、多くの女性と遊んできたようで、声をかければ拒否されることはないはずだ、という高慢な態度が見え隠れしています。

 公営プールにたどり着いたときには、疲れ切っています。シャワーを浴びて足もきれいにしろ、とか監視員にいろいろ注意されて、子供たちで芋虫を洗うような混雑したプールで何とかひと泳ぎします。そこで、ご近所さんに出会うのですが、ネッドのこと、家族のことを悪者のように悪しざまに言い始めます。
 もうたくさんだ!とその場を逃げ出して、わが家へと向かいます。

 ファイナルシーンの一部です。見つけてしまったので、ここに上げる誘惑に勝てません。何度見ても、というか、見るたびに発見があってぞくぞくする映画なので、トレイラーの一部と思っていいのですが、初めて全編観てみようと思われる方は、ネタばれ、ともいえるので見ない方がいいかもしれません。
 最後のエンドシーンは意図的にカットされています。

 見れば見るほど、緊張感を感じます。
 
 1960年代には、欧米の文化の流行は、日本では10年遅れてやってくる、みたいに言われてました。

 この映画の10年後、1976年ごろ、日本はバブル経済の絶頂期でした。

 僕が最初に入社したベンチャーの会社は結構儲かっていたほうなので、重役さんたちは、高級車を毎年買い替えてました。ステイタスもありますが、一年以上たつと買取価格が大きく下がるので、それが普通だったようです。

 あれから、日本も世界も大きく変わってしまいました。