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キミはホームランを打ったか #6 スウィート・リベンジ

朝起きて鏡を見たら目が腫れ上がっている
昨日は泣きすぎた

久しぶりにやって来た夫ジェイの娘とその家族たち。
近況報告に始まって、私とジェイの娘の涙が乾いたころには、ジェイの思い出話が次から次へと飛び出してきた。

それはただ事でないものばかり(笑)

まさに

You're never dull with me(僕といたら退屈しないよ)

そうジェイが私に言った言葉通り。

楽しくて退屈しないと言う意味なら最高だ。
しかしジェイの人生はちょっと、いやかなり、それとはかけ離れていた。

そんな中、ジェイの武勇伝が話題に上った。

それも二つ。

そのひとつは燃え盛る車の中から女の子を助け出したこと。
ずっと前、夫からその話を聞いたとき、なんせ本人が語る武勇伝ですから、話半分に聞いていた。

そしたらある日キャビネットを整理していて新聞の古い切り抜きが出てきたのである。

車で火災が起こり、炎が立ち上る中から10歳の女の子がひとりの男性に助け出されたと紙面にあった。そこに夫の名前が確かにあって大きく写真も出ているではないか。しかし悲惨にも、車に残された母親は亡くなっている、女の子の目の前で。

サルサを食べながら夫の娘は、
自分はその場にいたわけではないけれど、何日か経っても現場には生々しく黒く焦げた跡が道路に残っていたと話してくれた。

もうひとつはこれも火災現場で、アパートメントの建物の前にあったゴミのコンテナから発火し、上階にいた人が逃げられなくなったところを、上の階までジェイが駆け上がり、なんとそのごみのコンテナに飛び降りて何らかの方法で火を消したという話である。

何か危機が起きた時だけは、絶対そばにいてほしい人なのよ!

夫ジェイの娘は笑いながら言った。(そのほかの時はいてくれなくていいけど。ケンカするだけだから)

そして付け加えた

アーミーにいたからね。

それはアメリカ陸軍に所属してベトナム戦争に行ったことである。
もちろん彼女はまだ生まれていなかったわけだけれど。

映画プラトーンを見てメディック(救護班)にいたジェイが何をしてたかって初めて知ったわ

そう私が言うと、娘もその夫もその映画をもちろん知っていて、オリバーストーン監督の実体験がもとになっているのよねとうなずき合った。

映画とベトナム戦争のこと

でもね、ダディったらね、
娘はクスッとして話し始めた。

木を切っていてひどい怪我をしたことがあるの。それで私に電話してきたのよ!911でなくて。こっちはまだケイが赤ちゃんで。慌てて行ったら血まみれになって仰向けにぶっ倒れてるの!
ふつう911でしょう!

ベトナム戦争で兵士たちの応急処置ができても自分の状況は判断できなかったらしい。

それにしてもジェイの娘と話していておかしかったのは、あることが起こった年を思い出すのに、

あれってXXの時だったかしら? と娘
OOの時じゃない? と私。
いやその前よ、と娘。

このXXとOOにはジェイのかつてのガールフレンドの名前が入るのである。
私は私の前の彼女exと、そのまた前の彼女ex-exはうちに招待したりして知っているが、そのさらに前ex-ex-exとさらにその前ex-ex-ex-ex(笑)はジェイから名前を聞いているだけである。
でもそのガールフレンドの名前をたどると、だいたい何年に起きたことかが分かる仕組みになっている(笑)
ジェイに育てられたようなものである湖畔の家の間借り人Eも、あれは誰それ(彼女の名前)が一緒にいたから、5年ほど前かなみたいな思い出し方をするのである。

それはともかく(笑)車の火災は、私の前の前の前の彼女の時のことである。
そして助けられた女の子は成人したのち、夫を探して会いに来てくれたらしい。

孤児院に始まり、ベトナム戦争、カナダ移住 聴覚を失い それでも大学院での研究をつづけ、ビジネスを立ち上げ・・・そして生涯にわたってのハンティング。
激しく繰り広げられてきた夫の人生。

ずっと生きるつもりでいたよね

夫の娘がぽつりと言った。

ジェイは
余命を宣告されても、緩和ケア病棟に入っても、在宅緩和ケアに移っても、いつも新しいビジネスのことを考えていた。そしてある時言ったのだ

まだホームランを打っていないと。

そして娘に聞いたのだ
きみはホームランを打ったかと

娘は少し考えて答えた。

私のホームランは二人の子供かな。

ジェイはただ黙っているだけだった。

ジェイが自分で思い描いていたホームランとはいったい何だったのだろう。

I am a fighter

それが口癖だったジェイ。

そしてほんとに戦う人だった。
何事にも向かっていく。

負ける気がしなかっただろう。
最後の最期まで。

でもジェイのそばにずっといて
私は気づいていた
彼が悟った瞬間が
確かにあった

これは勝てる戦ではないと

今日の坂本さん


でもひょっとしたら今も、戦いに負けずに生きているつもりかもしれない。
体という物体が亡くなっただけで。

リンゴの木の下に撒かれ
大地に戻り
そしてリンゴの木の栄養となって
咲いたリンゴの花が受粉し
甘い実を結ぶ

そんな風に生を紡いでゆくつもりかもしれない。

そんな風にこの世に
スウイートリベンジを仕掛けようと
思っているのかもしれない。


坂本龍一氏の曲スウィート・リベンジについて

元々はベルナルド・ベルトルッチ映画リトル・ブッダ」エンディング・スタッフロールのために2番目に書かれた曲だった。(製作中のタイトルは同映画の題名の略である「L.B.」であった)最初に作った曲より「もっと悲しい曲にしろ」と注文されたので、この曲を書いて聴かせたら「悲しすぎる、救いがない」と言われて坂本が大激怒。曲のタイトルはベルトルッチ監督への復讐(リベンジ)という意味が込められている[

ウィキペディア/スウィート・リベンジ

ある時
気づいた
悲しい時は
悲しい曲を聴けばいいのだ

励ましてくれるような音楽は
私の悲しみをちっとも癒さない


日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。