見出し画像

きみはホームランを打ったか#4 Don't give up! あきらめるなあああ!!

しばらく心が捉えられたようになって
何も手につかなかった

きっかけは

美しくも不思議で魅力ある作品の作り手
KeigoMさんの記事

タイトル通り吸い込まれるように魅了される作品。
そしてとそこで取り上げられていた曲
弦楽のためのアダージョ

その音楽をググると

何だろうこの曲?
脳裏にあるのに思い出せない

それはどこかで聞いたことがある
そんなゆるい感覚ではない
何か大きな心の揺れと共にあったような記憶

スローモーションの映像?
そこで”映画”もキーワードに加えて検索
すると

Platoon(プラトーン)

あっと思わず声が出る
ウィリアム・デフォーの両手をあげたシーンが鮮明に蘇って来た。
これだ。
ベトナム戦争をリアルに綴った衝撃的な映画であった。

この映画をどうしても観なくてはいけない
そんな突き上げられるような衝動に駆られた。

私には、夫がキャッスルトン大学に入学した直後に行ったらしいベトナム戦争の事をそこに置きっぱなしにしておくことが、どうしても出来ないでいたのだ。


Amazon primeで探す。

当時は映画館ではなくてDVDで見たはず。
それでも30年以上前の話である。
夫と知り合うずっと前の事。
当時まさかそこに描かれている戦場に、後に夫になる人がいたとは思っていなかったわけで。


PCスクリーンで映画が始まると同時に
これだ
この音楽だ
この映画だ
確かな感触があった。

ヘリコプターの音と共にある弦楽のためのアダージョは戦場の最前線に向かう兵士たちを映すにはあまりに美しく切なかった。

その時は意識のなかった音楽を私の体は覚えていたのだ。

しかし
今これを見続けたら
夫の事が思い出されて
また平衡感覚を失うかもしれない

内容があまりにリアルすぎる

映画はオリバー・ストーン監督の実体験を基にしたもの。劇中の多くのエピソードは、監督自身ベトナムの最前線で体験したことなのである。

夫はベトナム戦争でDust offと呼ばれるアメリカ空軍の救護班に配置された。戦地で負傷兵の救急処置をするメディックである。
映画で自分も血だらけになって負傷兵の縫合をしているメディックの姿がスクリーンの隅に映し出された。
負傷者が出るとメディックはどこだと叫んでいる。
負傷兵はメディックを呼んでくれと懇願する。
あたかもメディックたちが手当をすれば命が助かるかのように。
しかし負傷と言っても骨折なんてレベルでない、腕や足がぶっ飛んだり、内臓が飛び出ているような負傷である。
そのメディックに、医学の何の知識もない教育学部の学生である夫をドラフトで選んで、たった二週間のトレーニングで戦地に送り込んだのである。
いくらなんでも無理だろう?

映画の中だけにあったベトナム戦争が
一気に現実にあったものとして私の心に覆いかぶさって来た。

無理とか
行きたくないとか
死にたくないとか
人を殺すのは犯罪だとか

そんなこと四の五の言ってられる世界ではないのだそこは
なんという狂気だろう

国を守るため?
家族を守るため?いや違う
信じる宗教のためでももちろんない。
兵士たちのベトナムに来る大義はどこにあったのだろう。

恐怖と狂気の中で戦いが繰り広げられたあげく、クレーターのように大きく掘られた穴の中にブルトーザーで掘り込まれる兵士たちの遺体。

人間としての尊厳とか人の命を大切にするとか、それってなに?

あるいはそんなことはもうどうでもよくて、この世にある肉体なんて魂のひと時の仮の宿ぐらいなもんで、たいして何の意味もないに違いない。
私たちもそう考えない事には
9年近くに及んだベトナム戦争での何万もの人々の死がどうやっても気持ちの中で納まらないではないか?

夫は精神的困難を抱えていた、ずっと。
少なくとも知り合った時の夫はすでに。

私はモンテソーリで子供の心理を学んだだけだったので、夫の抱える困難は乳児院で育った赤ちゃんの頃の体験が元になっていると勘繰っていた。
しかしこの映画をあらためて見ると、そんな環境不備なんて比べものにならないほど暗い闇を夫に落としたことが分かる。

Hang in there! がんばれ
You're gonna make it 大丈夫だから
Don't quit!  あきらめるな
Don't give up!! あきらめるな

破裂した内臓の手当てをしながら負傷兵に叫ぶシーン
Hang in there!!!
Don't quit!!!!
それでも彼は死んで行く

Don’t give up
そう叫んでいる兵士の姿が夫とオーバーラップして私は苦しくなった。

あきらめることが嫌いだった夫
Don't give up!!!!
戦地にいてそれを何百回も叫んだのかもしれない。
負傷兵の胸を叩いて
Don’t quit!!!!!!

あるいは最後まであきらめない夫の姿勢はこのベトナムで培われたものだったのかもしれない。

I won't give up (ぼくはあきらめない)
夫と共に過ごした短い時間の中でそんな姿勢を何度見たか知れない。例えばほんの小さなことでも。
例えば失くしたiphoneを探した時みたいに。もういいやと私が諦めそうになっても夫は諦めない。

ICUであと2週間と言われたときでも
I'm a fighter
ボクはファイターだから
そう言って夫は生還した
今思えば
あたかもベトナムから帰還したばかりの兵士みたいに
I came back for you
そう言って抱きしめてくれた



写真のコピーのようなものが一枚残されている。
半分はかすれていてよく見えない。

虫眼鏡で見ると最初に1Platoon と見える。 Platoonとは小隊を指すので、どこかの部隊の小隊番号1ということだろうか。U.S. Army training centerとあるので、まだ戦地に行く前の写真かもしれない。みんな穏やかな笑顔で写っている。

しかしこの写真は、映画の中の狂気が確かにそこに存在したことを示しているわけで。
最前線で銃を手にしていたのではなかったにしても、夫は幸運にも生きて帰ることができた。

夫の従軍期間は多分オリバーストーン監督が従軍していた時期とは1,2年のずれがあるはずだ。
でもひょっとしたら夫がメディックとして未来の監督の応急処置をして、夫のバディが操縦するヘリに乗せていたかもしれない。

帰還後夫はシカゴの大学でアドラーを学び心理学の修士を終え、心理カウンセラーとなった。ベトナム帰還兵のカウンセリングを受け持ったといっていた。
それは自分自身がベトナムのPTSDに苦しんだせいかもしれないし、一緒に乗っていたヘリコプターのパイロットであったバディを帰還後銃自殺で失くしたからかもしれない。

そして夫がここで学んだアドラー心理学は、モンテソーリを勉強していた私と後に出会って、二人を結びつけるきっかけのひとつとなった。


ヘッダー写真はシカゴのハンバーガ屋さんのもの。夫が学生だった頃ここのハンバーガーが好きでよく通っていたと。かつてのバーガー屋さんではなくshake shackに代わっていた。
シカゴへは夫のアイオワでのビジネスに付いて行った帰りに立ち寄ったのである。
当時よりバーガーが小さいとぶつぶつ言いながら
夫はあっという間に平らげた。
私たちには平和な日々があって幸せだった。

ストリートでは誰かがレゲエ音楽をやていて、このあとフランク・ロイド・ライトのデザインした家々を見て回った。

私たちは
平和の中にいて
幸せだった


弦楽のためのアダージョ

映画でウィリアム・デフォーが両手をあげるクライマックスシーンには弦楽のためのアダージョのクライマックス悲しみの絶叫にも聞こえるストリングスがピッタリと合わさっている。


日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。