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りんゴ物語

カナダにある湖畔の家には東に2本、南側に沿って3本のリンゴの木がある。
どれもまだ人間でいえば、青年になるかならないかの若さである。とりわけ東のは、2年前ただの棒切れ状態でこの裏庭にやってきた。

リンゴの木を植えよう

そう言い出したのは夫である。

ちょうど近くのリンゴ園が閉鎖されることになって、私は挿し木用の枝を分けてもらいに行った。いったいこの棒切れが、リンゴのなる木に育つのだろうかと思いながら、裏庭に植えた。

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夫が自宅で緩和ケアに入った頃の事だ。つまりこの棒切れ、もとい、リンゴの木の成長は私の手に託されたということである。


死を前にした人はいったいどんな思いで毎日を過ごすのだろう。

夫との最後の1年を24/7一緒に過ごしたが、
その心はわからない。

と言うのもこのリンゴの’棒‘を植えてもなお、夫はリンゴに執着していて
アップルサイダーを作ると言い出したのだ。
夫の言うアップルサイダーはリンゴ酒の事である。
それに合うリンゴの種類を毎日ネットで探している。
探しているのはリンゴではない。リンゴの苗木である。

私は気が遠くなった

一体全体、苗木が育って、リンゴが実って、そしてアップルサイダーができるまでどれくらいの時間を要するのだろう。それは夫に宣告されていた残りの時間をはるかに超えている。そんなことくらいリンゴを育てたことがない私にもわかる。

私は悲しくなった。

夫は遠くを見ていた、いつも。
死を前にしても、なお。
いや、死を目の前にしているからこそ、たぶん。

🌸🌸


死んだあとは灰をリンゴの木の下に撒いてほしい。

夫はあと2週間と宣告されたICUのベッドの上で言った。
そのリンゴの木とは生まれ故郷アメリカ・バモント、かつておじさんが住んでいた所に植わっているものである。

私は大きくうなずいた。そして心電図のコードだらけになっている夫の胸に耳を付けた。
夫の心臓は医者の宣告など素知らぬ様にパルスを刻んでいる。


結局夫はそんなICUでの状態から不死鳥のごとく復活して、奇跡的に湖畔の家に戻ることができたのである。

I am a fighter.
夫は会う人ごとに自慢げに言った。

I am back for you。
湖水色の目がまっすぐ私に向かってくると、私はいつもぎゅうぎゅうと夫の体を抱きしめた。

湖畔の家で、緩和ケアに入ってしばらく夫は元気で、食べたい物を食べ、ワインやビールを飲んで過ごすことができた。そしてさらに調子がいい時はネットでリンゴの苗木を調べていたのである。アップルサイダー用のリンゴの木。ヘルプに入ってくれていたマーガレットに、

アッパーカナダに問い合わせたけれど、この種類は置いてないって言うんだ

そんな風に話していたのを覚えている。マーガレットはここに来る前はナイアガラに住んでいて、農園はその近くにあるらしかった。

カナダやアメリカの北部でリンゴの木は、人々の生活の近くにあった。東京に居るとリンゴの木を目にすることはなく、私にとってのリンゴは秋深くなったころ長野や青森からピカピカの赤色をしてやってくる宝物であった。傷ひとつなく。完璧な形で。

日本のリンゴはカバーをして虫や傷から守るらしい。ひとつひとつだぜ!

リンゴの苗木を探していて夫は、日本のリンゴ農園にも行き当たったらしい。そんな風に驚いてマーガレットに話していた。

夫は高校生の頃、バモントの農園で毎年リンゴ収穫のアルバイトをしていたという。当時はリンゴの木をゆすって地面に落としていたのかもしれない。
それは映画サイダーハウスルールを思い出させた。主人公は孤児院を飛び出してリンゴ農園で働くのである。
夫も孤児院出身だった。

元気な頃夫はよく、エンパイアアップルでアップルクリスプを、グラニースミスでセロリのウォードーフサラダを作ってくれた。アップルクリスプは私のお気に入りになって何度も夫のレシピで作った。

そしていったいアップルサイダーは、どんな風にして作るのだろう。
やたら大きな樽が必要かもしれない。
ガレージに置くのがイイ?それとも地下?
そんな風に想像するとなんだか楽しくなって私も

夫と一緒に遠くをみる。

しかし夫は
アップルサイダーに思いを馳せたまま
裏庭の棒のようなりんごの木が芽吹くのをさえ見届けることなく
この地ではまだ春というには程遠い弥生の日に
ひとりで逝ってしまった



そのあとの数か月を、どんな風に過ごしたか全く覚えていない。
すべての記憶が頭から転がり落ちてしまっている。
というより、
記憶を入れておく箱のふたを開けることが私にはできなかった。

だから何も覚えていない。

ただひとつ、あの日の事だけが鮮明に残っている。

その日、夫のかつての病室からふと外を見ると、大きな箱が目に飛び込んで来たのである。それは、ドライブウェイにあってガレージの壁にもたれかかるように置かれている。箱の白が明るい陽射しに照らされていたから、もう5月に入る頃だったかもしれない。
なんだろう?
それはとてつもない大きさで、私がすっぽり入らんばかりである。

外に出てそっと様子を見る。
背伸びをすると箱のトップに送り状がある。
夫の宛名になっている。

そういえば夫が在宅緩和ケアに入ったばかりの頃のこと。やたら大きな箱が送られてきた。開けると中には魚の捕獲用のどっしりした網が入っていて、夫が新しいビジネスを始めようと考えていたことが分かった。

ほんとうに
夫は遠くを見ていた、いつも、いつも、いつまでも
死を通り越した、その先を見るように
死ぬことなんて勘定に入ってないかのように

一体今度は何が送られてきたのか。
夫のハンティングナイフを持ってくる。
箱を横にすると、その大きさにしては思いのほか軽い。
しっかり貼られたテープに切れ目を入れる。
蓋を開けるとさらに紙でおおわれていて、
そこにはUpper Canadaとあった。

丁寧にくるまれた紙をはがしていく。

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苗木であった。
それも4本。
すでに芽吹いているものもある。

リンゴだ、リンゴの苗木だ。
すぐにそう思った、もちろん。
夫はアッパーカナダ農園に注文していたのである。

驚きやら
うれしさやら
やっぱり頼んでいたんだと言う可笑しさやらが
一気に襲って来た

そして

でも

それなのに
夫はいない

リンゴの木があるのに
夫は
もういない

私は苗木たちを横にして座り込んだまま
しばらく動くことができなくなった


🌸🌸


その3本のリンゴの苗木たちが、湖畔の家の南側に沿ってすくすくと育っている。3本と言ったのは、送られてきた4本の苗木のうち1本はネクタリンだったのである。

そのネクタリンが今年こんなに実を付けた。

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甘酸っぱい果汁が私の口を一杯にする。
誰にも分けたくない、
独占したい美味しさ。

一方リンゴたちはそれぞれに違う顔を見せている。


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いったいどれがアップルサイダー用のリンゴなのだろう。
収穫の時を今か今かと待っている。

そしてただの棒きれだったものは、もはやその面影もない。

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いったいどんなりんごを実らせるのだろう。


これが夫と私の"りんゴ"物語である。
”りんご” 物語第二話を始めることができるかどうか
今の私にはわからない。



東京に居るとき夫は桜を愛して、
だからnoteのマガジンに“サくらとりんゴ”と言う名を付けた。

カタカナ混じりなのは夫のぎこちない発音のためである。

noteを通じて、色々な体験をした人に、している人に、たくさん出会えたらいいなと思っています。


夫の最後の瞬間まで過ごした湖畔の家での一年の記録。


↑こちらは東京とカナダの生活だいありー。予想外のできごと勃発の現代進行形。

↓そしてちょっと笑える話

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